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夫と結婚した本当の理由
夫とは、結婚相談所で知り合い、出会って半年ほどで結婚した。
kakiemonは、のぼせていて周りが見えていない。よく考えなさい。
夫との結婚を決めた時に、祖母に言われたその言葉にガツンとやられたのは、結婚後のことだ。
本当にわたしは、何も見えていなかったと、あの時は思った。
恋愛経験が浅かった私が、夫とお付き合いをするとなると、のぼせない訳がなかった。
出会ったのは23歳。
結婚したのは、24歳と3カ月ほどで、娘の今の年齢と同じくらいだ。
その現実に突き付けられたのは、結婚して数年後のこと。
結婚して数年のうちは、自分が農家で義両親と同居でもいいと承諾した手前、「何もかも我慢しなくちゃ」が専行していたし、新しい生活に慣れるのに必死だった。
それに、夫に嫌われたくなった。
だから、数年間、ひと言も愚痴をこぼさなかった。
だけど、遅ればせながら、やっと気づいた。
そうか・・・。嫌なことはイヤと言わなきゃ伝わらないんだ・・・。
「お見合い結婚」は、結婚してからが恋愛とはよく言うけれど、ここが夫との「お付き合い」の始まりだったのかもしれない。
私は、結婚して数年にして、初めて夫に不平不満をこぼした。
この時を境に、私たちの関係はもつれにもつれた。
とことん深いところまで悩むことになり、よく考えるしかなかった。
なんで、こんなに夫とは合わないんだろう・・・。
あんなに好きで結婚したのに、何が高じて関係がここまで悪くなるんだろう・・・。
ひとつ心当たりがあることに気付いたのは、その時。
そう、結婚前のお付き合いの期間があまりにも短すぎて、夫のことを何も知らなかった。
半年そこらで、その人の何を知ることができるのだろう。
そして・・・。
10歳年上の夫に、包容力のある寛大で、優しい父親像を求めていたのかもしれない。
それを確信した。
結婚するなら、ぜったい年上の人と!と、ずいぶん前の段階から思っていたのは、包容力や優しさを、年のあいた人なら持っているだろうと勝手に想像していたこと。
私は、紛れもなく母親だけではなく、父親の愛情に飢えていたのだ。と。
幼い頃から、「兄」が欲しかったのも、それにつながるのかもしれない。
だけども、人生10年先を歩いているからといって、包容力や寛大さがあるとは限らない。
もっというと、精神年齢も、それに伴っているとも限らない。
そういうことに気づいたら、夫に包容力や寛大さを求めるのを諦めることができた。
諦めると、ズレていた関係性が、少しずつ合致していくのを感じていった。
それは、それぞれの兄弟の関係性にも表れているのかなと、感じるところがあった。
言い出すと聞かない弟に、我慢して一歩引く姉。
それはまさしく、私たち兄弟の関係性だった。
私は三人兄弟のいちばん上の長女。
下には弟、妹がいて、いつも弟や妹が優遇されて、我慢を強いられていた。
特に猫かわいがりに可愛がられた弟は、我がまま言いたい放題だった。
一方で、夫は一番上に義兄、その下に義姉をもつ、末っ子。
待遇は長男である義兄が、いちばん良かったとはいうけれど、兄弟の中で一番のびのびと育った印象だ。
何歳になっても「弟」を感じる。
そして、私も何歳になっても「姉」。
だから、上手くいくのだと、いつからか思うようになった。
ただ、我慢を強いられるだけの、結婚生活はうまくいかない。
何より、相手より賢くなることが必要だと、気付いた。
私は、その日から少しずつ少しずつ賢くなった。
夫に言うことを聞いてもらうためには、どのタイミングでどう伝達すればよいか。
一筋縄ではいかないことはたくさんあったけど、ただの我慢をする「姉」ではなくなった。
それは、ただの兄弟ではなく、「夫婦」になるための試練だったのかもしれない。
夫も我がままを言い張るだけではなく、私の言うことを受け入れ、少しずつ変わっていったのは、夫に受け入れてもらえない時も、諦めずに別の言葉に言い換えたり、夫が気付いていない別の視点から見えることを、納得してもらえるように考えて伝えてきたからだと思う。
人に分かってもらうためには、プレゼンテーションが必要だ。
感情的に言っては伝わらないだろうから、冷静に自分の考えを説明するように伝えると、スッと相手の心に入っていくように感じる。
気がつくと、夫が口にすることは、私の考えと同じことが多くなっていた。
「それ、私が言ってたことやん!」
「ヨメが賢いと、夫も賢くなっていくねん」と、知り合いのの夫婦を引き合いに、夫が口にしたつい先日のこと。
「その通りやなぁ。見てみい。うちも、ヨメが賢いから、自分もどんどん賢くなってなぁ?!手のひらでこう転がされて!」と、すかさず返す私。
「ちがう、ちがう、オレがお前を手のひらで転がして・・・」
言い返そうと思ったが辞めた。
「お互いが、こう何ていうか、高め合っていったんや」
夫がそう言うから、そういうことにしておいた。
もともとがレベルの低いところからスタートしているから、世間一般からすると言うほど賢くはないけど、結婚当初に比べると、お互いずいぶん賢くなったのかもしれない。
人と会話をしたり、自分の思いを伝達するのが苦手な私は、結婚生活を通じて、人とのコミュニケーションを学んだのかもしれない。
夫とは、ただの兄弟ではなくなった。
だけども、今でも夫の「地雷」を踏むこともあるし、喧嘩もするし、もちろんむかつくこともある。
関係性は、未だに「姉」であり「弟」だということを、感じることもある。
だけど、何度息子や娘に言っただろうか。
「母ちゃんの両親は、喧嘩もせえへんかった代わりに、会話もせんかった。それだけはイヤやと思っててん。父ちゃんは何だかんだ言って、よく喋る人やろ。それだけは思った通りで、今も変わらへんわ。」
親子で同じ仕事をしている関係柄、地雷を踏んで夫に叱られることが多くなった息子とは、夫のこととなると話しが合うが、先日もそう言ってフォローしておいた。
もし夫と同じ教室の同級生だったとしたら、私たちはゼッタイに混じ合うことのないクラスメイトだったと思う。
父ちゃんって、絶対クラスにひとりか二人いる、授業中でもしょうもないこと言うて先生を怒らせるタイプの生徒やんなぁ?
母ちゃんとも、kaki男(息子)ともタイプちがうでなぁ?
と加えて、ふたりして笑ったので、フォローになっていなかったのかもしれないけど。
私は超真面目な大人しい生徒だったし、息子は活発的な優等生だった。
そんな夫は喋り出すと止まらない。
うまいこと会話が盛り上がると、いつも私が入る余地がない位に喋り続ける。
時々、私は言う。
喋りすぎ!
だけど、そういうところに安心して結婚したんだった・・・。
会話がなかったら、今頃、私たちの結婚生活は死んでいただろう。
一時は全く会話がなかったこともあるが、お互い高め合いながら来たから、この境地に立てたのだろうか。
だけど、10歳年のあいた夫を支える正念場を迎えるのは、これからかもしれない。