防災士のお仕事について

いや、なんかバッジの条件に「仕事依頼」記事とかあるし。

まあいい機会だし、ぶっちゃけ2年も防災士関係の講師はやってないし、宣伝するにもいいのかもしれない。


私の災害遍歴

まあ私の防災士としての名刺にも書いてあるし、私の講義では最初に話すつかみのネタですわ。


22歳くらいのころ・・・国交省職員として河川に携わる。主に堤防や雨量計についてやってた。


その1年後くらい・・・大学に戻る。修士1年のころ、豪雨で破堤があり、そっちの研究をしてたので、何度も現地調査をしたりする。

そうこうしてるうちに大地震が直撃。夕方だったんですが、寝て起きてぼーっとしてたら揺れだす。うちの周りは震度6弱だったんですが、パンイチで寝てて、「これ家やばいんじゃ?でもこの格好では!?」と迷った末に、パンイチで家から出る。

この時、災害はいつ来てもよいよう、普段から気持ちと避難の準備をしておく(せめてパジャマは着る)という最も大事な教訓を得る。

あと避難所行ったら、市職員の女性が一人で大変そうで、自治会のお偉い爺さんたちが数人手伝ってるところだったので、俺もお手伝いに加わる。


翌年・・・雪崩で修士論文を書く。大学院修了。


その数年後・・・旅行先からの帰宅中に震度7直撃。普通に帰れば100kmの所を、被災中心地避けて300kmくらい運転して帰宅

そのころ地方公務員もやってたので、避難所の運営だったり、被災地の調査だったり、そういうことをする。


その後もなんだかんだ、いろんな災害で現地行ってます。

いつだったか忘れたけど、実家に帰ってた時に土砂災害で地元が孤立集落になったこともあったなあ。2日で解消はしたが。



まあそんな感じで、いろんな災害で被災地に行ってて、地方公務員のころに災害対応関係の研修行ってりもしたし、ある時ふと、自分の被災者・ボランティア・研究者・公務員・民間企業と様々な立場で被災地にかかわった経験って結構貴重なんだな・・・と思うようになった次第で。


土木屋だったらどの分野でもそうだと思うんですけど、教科書の知識って大事なんだけど、実地でそれを生かすには経験がないことにはクソの役にも立たんのですよね。

上記の公務員時代の研修で、もちろん他の人、地方公務員もいれば国家公務員もいたし、民間企業の人もいたけど、失礼ながらどなたも視点の角度が俺より2つは少なかったです。

結果は多分、俺と他の人の発表時、それぞれの講師の反応の違い、それに明確に表れていたと自分では思っています。

ただ俺にはない視点を持っている人もいて、それはすごくためになったけど。女性の視点とか外国人の視点とかって俺にはなかったもんなあ。


まあそんなこんなありまして、防災士としては某市役所と知人の企業で何度か講義をしたことがあります。

その市役所や企業には荷馬車に乗せられていったんですがね、こうしだけに・・・って感じの下らん話を連呼するような講義です


一番でかかった被災の話


大学院1年のころの某震災の話やろなあ。

先述の通り、夕方まで寝てまして、18時前に起きまして、当時やってた定期更新型オンラインRPGの締め切りがもうすぐなので急いでやって作業終わったら揺れだしました。

先述の通り寝起きで着ていたものはパンツ一枚。

しばらくはパソコンが倒れないよう押さえてたけど、揺れは収まるどころかさらに強く。

「やばい!この格好で外には出られない」と思いつつ、揺れが収まらないのでその格好で外に出ました。

揺れが収まったら服着るのと携帯取るのに家に戻り、とりあえず電話が通じないのは知っていたのでメールで身近な人にメッセージだけ送って携帯の電源を切り。

住んでたアパートは半壊認定受ける程度の被害だし、あと近所は倒壊した倉庫とか、ベランダが丸ごと落下した家屋とか。

目の前の電柱も傾いて電線が下がってきていたし、俺が声を出して避難を提案。近所の空き地にみんな集まりました。

私なんかは学生アパートに住んでいましたが、それ以外の方はやはりご近所さんということで「あそこのばあちゃん寝たきりだ」ということでみんなでおばあちゃんをベッドごと運び出したり。

何故かその時おばあちゃんと一緒に地元の日本酒1升運び出す人がいたり。

あと普段だとその時間にアニメが入ってたんだけど、車載テレビをつけたら当然休止で「なんで種休止なんだよ!!」と同じアパートの大学生がキレてました。その大学生ももちろん被災者。

「こんな時に普段通り放送するテレビ局ないだろ」と突っ込んだら「テレ東ならやる!」と強く返されました。ていうかあの時代からテレ東ってそういう認識されてたんだな。


あとは当時博士課程だった同じアパートの人が地震から2時間後にその空き地に来て

「夕方まで徹夜で実験してたから寝てたんだけど、なんかあったの?」「いや、大地震あったんですけど」「ふーん、そうなんだ。じゃあ部屋戻って寝るわ

ってやり取りが有ったり。まあ工業単科大学なんてこんなもんよ?マジで。


ここまで実話しか書いてないのが恐ろしい・・・


あとは先述の通り避難所に行ったら、避難所開設できなくて日付変わるくらいでようやく解説できて、市の職員の女性が一人で大変そう(というかこんな時に家族を置いて仕事しないといけないのが大変そう)なので手伝ったり。

留学生が集まって物陰で震えていたところを誰かが発見して、留学生用の避難所を急遽開設して、「じゃあ俺が案内します」って連れてったり。

留学生の中には当然、友人もいたので、避難中に少し話したのですが

「自分たちの国は日本と違って地震がないから、こんな事初めてでどうしていいかわからなくなった」

と言われたけど、俺だって震度6弱とか初めてだわとは思ったけど口に出さなかった。


自分の視点の話

公務員時代に受けた災害の初期対応の研修の話です。

先に言っておくと、公務員批判の意図はありません。民間の人も同じような意見だったし。


グループワークなんだけど、同じ場所同じ規模の地震という状況を班ごとに季節や時間を変えて条件として与え、1時間後1日後1週間後の状況を考えろという課題でした。

が、申し訳ないのですが出てきた意見が「1時間後には避難所開設、1日後には非常食、1週間後には・・・」と、どこの班も条件を変えた意味のない、同じような意見ばかり。

この季節のこの時間でこの場所特性ならこういう被害が出る、そういう被害が出るとその後の対応にこういう支障が出る、という意見は、自分以外には残念ながら出てきませんでした。

他の班の発表聞いてた限りでもそうだったかな。

先の自分が被災した地震の時、どの程度で復旧されるか、どういう場所でどういう被害が出たか、その際の被災者がとる行動は?というのは、もちろん完璧ではないにせよ自分の目で見てきました。

この時、自分の経験というのは、結構貴重なものなんだなと思うようになりました。

その後もこの手の研修の時、自信をもって他の人とは違う意見を意図的に出していました。


そういえば先述の自分の被災体験から、外国人観光客は地震発生時に適切な行動がとれないというのは学んでいたのだけど、避難所への誘導とかそういうのは考えたけど、そこから先の脱出までとかは考えられなかったから、まだまだ経験が足りないな、とは実感した。


講義の依頼

まあそんなこんなで防災士とりました。

二日間の受講の最後に試験受けるのですが。まあ終わってみたら試験楽勝だったけどねw

それでも講義前日は緊張して行きつけのアニソンカラオケバーに逃げて、家戻って荷物まとめてたら今まで存在を認識していなかった想定問題集(事前に解けと書いてあった)の存在が発覚。

講義が終わって飯食った後、カップ酒とカップワイン飲みながら泣きながら過去問を一晩で解き切りました。


いや、過去問解いたら本番は楽勝だったわw


というわけで防災士としては、さっきも書いたけど何度か講義しています。知人に頼まれた形ですが。

専門的な話になると地震・河川水害・雪崩辺りは得意分野かと思います。土砂災害も行けなくはない。


被災者の心理、発災直後に発生すること、土嚢の積み方、雪崩の兆候等々、この辺りは実体験でやってきたので、そのあたりをメインに話していけるのかなあと。

後は、自分がつまらない講義だと寝てしまうので、一人も寝かせない講義というのを目標として掲げています。

具体的には冗談ばかり言っています。

会場の用意や交通費くらいは出していただきたいですが、基本半分ボランティアなので、特に報酬は頂いておりません。

まあ、ご興味がありましたらどうぞご連絡を頂ければ。

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