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自然災害の基本的性質 山は崩れ、川はあふれる

(2024年7月18日付静岡新聞「時評」欄への寄稿記事)

 「この辺りの山は頑丈な岩石で崩れない」といった話を聞くことがある。あくまでも相対的な話としては、比較的崩れやすい、という所がないわけではない。しかし、残念ながら「絶対に崩れない山」というものは存在しない。

 川についても同様だ。周囲より低い土地、川幅が狭くなった箇所の上流側など、相対的に川から水があふれやすい場所はある。しかし、「絶対にあふれない川」というものも存在しない。

 山を構成する岩石は空気や水に触れて「風化」し、割れ目ができたり、地表付近では細かい土砂などの粒子に変わったりしていく。火山付近では火山から噴出した砂などが地表に堆積していることもある。大雨が降ると地中に水が浸透し、割れ目から岩石が崩れ落ちたり、地表を流れる水で土砂などが流されたりする。これが「がけ崩れ」「土石流」などの現象である。

 崩れたり流されたりした土砂は山の麓にまず堆積する。日本中の至る所で見られる、山麓の緩やかな斜面はこうして形成されたものだ。土砂の一部は川の水によってさらに運ばれ、その途中で堆積したり、はるか遠くまで運ばれたりしていくものもある。これが「洪水」である。こうして運ばれた土砂により、川の周りには平らな土地が形成されていく。

 私たちが目にしている地形の多くはこのように形成されたものだ。山が崩れず、川があふれなければ、今私たちが暮らしている土地は形成されない。そしてその形成は今も続いている。

 さまざまな防災施設の構築により、高頻度で生じる中小規模の現象による被害の軽減は期待できる。しかし、山は崩れるもの、川はあふれるものという基本は変わらない。低頻度で大規模な現象も時にはあり、防災施設があれば全く被害は出ないというわけではない。そもそもあらゆる場所に防災施設を構築することも困難だ。

 洪水や土砂災害は、どこで何が起こるかわからないというものでもない。相対的にこれらの災害が起こりにくい場所もある。ハザードマップなどを参考に(あまり細かく読み過ぎてはならないが)、どこでどのような災害が起こり得るか理解しておきたい。その上で、どのようにそうした災害を受け入れて暮らしていくか、私たち一人一人が判断していくことが重要だろう。

note版追記

 ちょうど一年ほど前、「土砂災害が起きるとすぐ「地質や地盤を」とかいう話が出ますけど、そんなややこしいもんじゃなくて「地形」を見てくれよ!、と思います」という趣旨のnote記事を書きました。

 今回の「時評」原稿はこの記事と同趣旨の話を、更に端的に書いてみたものです。土砂災害が起こると、その「メカニズム」として「この崩壊が起きた場所は○○岩と呼ばれるもろい地質の・・・」といった趣旨の識者コメントを聞くことがあります。筆者は地質は専門でないのであまり厳密な議論はできないのですが、筆者自身も学生の頃から「花崗岩は風化してマサ土となり崩壊しやすい」といったことはよく聞かされてきました。複数の地質を比較すれば、崩壊の生じやすさに相対的には差があること自体を否定するつもりはありません。

 「この崩壊が起きた場所は○○岩と呼ばれるもろい地質」という情報自体は(専門家により見解の相違はあるかもしれませんが)、単にその場所の特徴を事実として伝えているだけのもので、別におかしな話だとは思いません。しかしこの情報を、土砂災害の「メカニズムについての説明」として聞くと、「○○岩と呼ばれるもろい地質だから崩壊が起きた」と因果関係のように捉えられるかも知れません。このようにとらえると、「自分の住んでいるところは○○岩と呼ばれるもろい地質ではない」→「したがって自分の住んでいるところでは崩壊などという現象は起こらない」という推論が生じることあるのでは、と心配します。「崩壊しない地質」というものが存在するならよいのですが、そのような「地質」があるとは思えませんので、このような推論があるとすれば、それは誤謬と言わざるを得ないように思います。

 同じようなことは気象情報でもあって、「今回豪雨による災害が起きた場所では1日で***mmの雨が降った」という情報はそれ自体は何も間違いではないですが、「***mmの雨が降ったので災害が起きた」→「***mmの雨が降らなければ災害にはならない」と推論されると、どの程度の雨が降れば災害になりやすいかは地域によって極端に異なりますので、この推論は誤謬ということになりそうです。「今回豪雨による災害が起きた場所では線状降水帯が発生した」「今回豪雨による災害が起きた場所では大雨特別警報が発表されていた」といった情報も同様かもしれません。

 「この崩壊が起きた場所は○○岩と呼ばれるもろい地質」という情報は、学術的・技術的文脈で使うときには何も問題はないと思います。しかし、災害に関わる情報として一般社会に向けて発するときは、慎重であった方がよいと思っています。このため、「山は崩れるもの、川は溢れるもの」という説明をし続けています。

 これまでの静岡新聞「時評」欄寄稿記事は以下から。


記事を読んでいただきありがとうございます。サポートいただけた際には、災害に関わる調査研究の費用に充てたいと思います。