アイスランドから見る風景:vol.7 碧(みどり)の湯・露天風呂へようこそ
早朝に水面が凍る季節になった。紅葉の彩りを添えてくれた落葉樹も葉を完全に落とし、庭の佇まいは途端に淋しくなった。霜と雨に濡れた落ち葉の鬱陶しさに、もの哀しさはさらに積もる。針葉樹と苔類のわずかな緑が、庭に残された唯一の色合いだ。そのうちに雪が降り、そんな苔の色など寸時に地表から掻き消されてしまうことだろう。
木々の緑を想う以上に、わたしには庭を訪れる野鳥たちが恋しい。彼らの存在は、アイスランドの短い夏にさらなる楽しみを与えてくれる。アイスランドに来るまでは、わたしの中での身近な鳥類は、インコ、文鳥、カラスにスズメの類だった。仕事上、アイスランドで夏を過ごす渡り鳥について一通り覚える必要が生じたものの、野鳥観察の奥深さを知ったのは、バードウオッチングに詳しい人と国内旅行をしたときのことだ。彼は、わたしには聞こえず見えない鳥たちを、通り過ぎる風景の中に見ることができた。小さなさえずりを耳にするだけで、その鳥がどこにいて、何の鳥か即座に指摘することができたのだ。
その後、再びアイスランドの野鳥と向かい合うようになったのは、写真を撮るようになってからだ。その相手は、北部や内陸部、湿地帯やフィヨルドなど、特殊な場所に行かないと見られないような、スター級の鳥ではなく、人間の居住区にやって来る普通の鳥たちである。渡り鳥もいれば、アイスランドで越冬する鳥もいる。正直なところ、野鳥撮影をしようなどと大それたことを考えたのではない。鳥たちがよく集まってくる場所が庭にあるので、この機会に生き物を撮る写真の練習をしてみようか、というのがそもそもの始まりだった。
その場所が、庭にある小さな池の端だ。岩を敷き詰めた浅い部分が、鳥たちの足場に良いのだろう。いろいろな種類の野鳥たちが水浴びにやって来る。天気が良かろうが、悪かろうが、彼らは好きなときに舞い降りて、水を浴びては去っていく。鳴き声ではなく、行水するときのぱたぱたという羽の音で、彼らが来ているのが分かるのだ。その往来の多さからも、鳥の風呂屋としては、繁盛していることは間違えない。
この露天風呂に訪れる野鳥たちには、幾つか種類がある。例えば、上二枚の写真はベニヒワ(Acanthis Flammea)と呼ばれるスズメ目アトリ科の野鳥だ。写真を撮ったときは、その外見から単なる普通の町スズメだと思い込んでいた。ところが彼らは歴とした渡り鳥で、オスの成鳥は額と胸が赤いそうだ。そうだとすると、このお客さんたちはメスか、幼鳥である可能性が高いのだが、行水をしているベニヒワの、なんとも無邪気で屈託がない様子は、ママ友同士というよりは、ママと子供のように見える。
上記の写真のお客さんたちはウタツグミ(Turdus iliacus)・スズメ目ツグミ科の野鳥で、アイスランドではよく目にする種類の鳥だ。群れで生活することが多く、オスは美しい声で、春の訪れを来訪とともに高らかに歌い上げてくれるそうだが、碧湯では、美声を聞かせるというよりは、多くの連れと大声で騒いでいるイメージが拭えない。アイスランドで越冬をすることも多いらしい。確かに、冬でも見かける鳥だ。アイスランドの野鳥ウェブによると、ベリー類が好きらしく、冬はリンゴや洋ナシを置いておくと、喜んで食べるそうである。雪で食べ物がなくなってしまったら、こんなサービスもいいかもしれない。
そして、わたしのお気に入りのスズメ目セキレイ科のタイリク・ハクセキレイ(Moticilla alba)。この鳥は、大抵一羽でやって来る。頭と尾を上下に揺らしながら速足で歩く。入浴客のうちベニヒワに次いで小さな鳥で、成鳥で尾羽まで入れて長さは約18センチ、重さは22gほどである。とても敏捷に動くため、カメラを合わせるのはなかなか難しい。恐らく一番の恥ずかしがり屋だろうと思う。水に入る前に周りをよく見まわし、池の縁を何度も行き来をして、警戒を怠らない。番頭のわたしと一番よく目が合うのが彼らだ。会うたびに、頭をかしげて顔を覗き込まれるような印象を受ける。通常、一定の距離を決して縮めない。
上の写真のハクセキレイは例外で、かなり近いところから撮影できた。色の淡さからどうも幼鳥のように見える。幼鳥だから警戒心が強くなかったのか、それとも、風呂上りでほっと一息ついていたのか。彼らは来年の5月くらいにならないと、その可愛らしい姿を見せてはくれないだろう。今頃は、今年の夏に孵った若鳥たちは初めての夏を、親鳥たちは子育てから解放された自由な時間を、西アフリカの太陽の下に楽しんでいるはずだ。
他に季節に縛られない常連客がいる。それはスズメ目ムクドリ科のホシムクドリ(Sturnus vulgaris)とスズメ目ツグミ科のクロウタドリ(Turdus merula)だ。両種の鳥は、1960年代にアイスランドに住みつくようになった野鳥だ。ホシムクドリは害鳥として知られているそうだが、アイスランドでは特にそんなふうに言及されてはいないようだ。アイスランドにはおよそ1万羽のつがいが生息しているらしい。
クロウタドリはイギリスでがブラック・バードという名前で呼ばれている。面白いことに、クロウタドリは一羽でよく庭に姿を見せるものの、風呂好きではないのか、水を飲んでいる姿を見かけても、水浴びをしているのにお目にかかったことはない。あの漆黒の羽にころりとした水滴が宿ったら、きっと真珠のように輝いてさぞかし美しいだろうと思うのだが。
庭に訪れる鳥たちに、それぞれ名前と異なった生態があることを知ってから、彼らを”野鳥”と頭の中で一括りするのは止めた。彼らはすでにわたしの世界の一部になった。来訪を心待ちにし、ひとときを共有し、彼らの存在を記録するのは、今ではわたしの楽しみのひとつだ。彼らは巡る季節に意味と彩りを与えてくれる。野鳥たちは、社会生活を営み、その社会の枠組みの中で、互いに関連付けられながら生きているという点で、わたしたち人間と何も変わるところはない。
例のバードウォッチングの達人が見たら、きっと入浴客の年齢や性別も言い当てることができるだろう。しかし、彼は一羽一羽の個体の区別もできるのだろうか。来年やってきたハクセキレイを見て、昨年来た鳥と同じだね、なんて言ったりできるのだろうか。いつか機会があったら、写真を見せてぜひ訊いてみたいと思う。