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アイスランドから見る風景:vol.13 コロナ禍の中での男女平等

アイスランドはオミクロン変異種の感染拡大の真っ只中だ。南アフリカで特定された新変異種はイギリスに渡り、その後アイスランドに持ち込まれた。年末年始のホリディシーズンという人の移動が多い時期も、アイスランド政府の国境での感染予防対策に変更はなかった。旅行者にはワクチン接種証明と72時間前の陰性証明、アイスランド居住者にはワクチン接種証明と到着後48時間以内のPCR検査。島国であることから、日本のように厳しい水際対策を取る道も選べたが、アイスランドはそうする代わりに、16歳以上の追加接種と、小学校に通う低年齢の子供たちのワクチン接種の遂行を急いだ。

2021年11月の新規感染者は約200人で推移していた。それが12月中旬には倍になり、その1週間後にはさらにその倍、年末には1550人を越えた。その後感染者数は約1200~1400人前後で高止まり、さすがに政府も国内の対策の変更を余儀なくされ、飲食業や娯楽施設からの猛反対を受けながらも、2022年1月14日に店舗やイベンドでの人数制限を強化、バーやクラブなどの営業禁止、室内でのマスクの着用義務の継続などの感染予防規則を厳しくする方針を打ち出した。昨年末には63名の国会議員のうち8名が感染し、今年1月14日のコロナウイルス閣僚会議でも、閣僚の30%が感染して出席できなかった。

閣僚会議直後、建物の前で記者たちのインタビューを受けたカトリン・ヤコブスドッティル首相が、学校はどうするのだという質問を受けて、大変興味深いことを言った。幼稚園から大学を含めた教育施設やそれに準じる学校の課外活動はこれまでのように制限を設けないで続ける。なぜならこれは2020年3月のパンデミック当初から変わることのない、アイスランド政府の基本方針であり、今後も同じように子供たちの教育と日常生活を保障していく。「それに、これは同時に平等主義に基づいた政策です。学校が閉鎖されたら、みんな知っているように、子供の面倒をみるために家に残るのは往々にして女性たちでしょう」

カトリン・ヤコブスドッティル女史の言葉は、わたしにアイスランドでの男女平等の原則を再確認させた。オミクロン変異種の感染拡大という緊急下でも、常に男女平等であるべきという理念に基づいて、閣僚たちは政策を決定する。これまでの歴史と経験からも、家庭に何か不都合が生じた場合、その負担が大きくのしかかるのは女性であるのは明らかだ。女性の母性が育児と密接に関連付けられているのは、世界中どこでも同じである。非常時だからこそ、平等の理念が揺るがないように政策決定を行う慎重さをわたしは感じ取った。

男女平等を語るとき、どの視点から分析するかによって、問題との取り組み方が変わって来る。家庭、教育、職場という生活の場、家族、学生、就労人という社会での役割、そして政府機関や私企業の勤労者としてのポジションと享受する報酬という観点からだ。1つ目が思想やイデオロギー色が強いのに対し、3番目は数字に置き換え可能なため、法制化も容易で、他国との比較がしやすい。しかしそれは同時に、1番目と2番目の社会的なコンセンサスがないと実現には至らない、最終的なレベルであるとも言える。

「緊急時に、子供の面倒を見るために家にいるのは、往々にして女性である」という一文は大変奥が深い。例えばわたしたち、日本人。このセリフを耳にしたところで、大半の男女は既成事実として受け止め、それ以上は考えないだろうし、共働きで家計を支えている女性たちでさえも、仕方ないと諦めているように思う。女性と育児、女性と養育や介護が同義語になっている社会では、この言葉は皆の耳を素通りして、誰も気に留めることもなければ、異議を申し立てることもない。

しかし、アイスランドでの反応は違う。アイスランドの女性たちは、社会の根幹部分である”家庭”の場で”家族”の一員として、女性だけが子供の養育に縛られるのを良しとしない。そのために、これまでの50年間、男女格差を縮める闘いを続けてきた経緯がある。今回の首相のこの一言は、そんなアイスランドの女性解放運動の歴史のすべてを凝縮している。さらりと言いはしても、その言葉は重く、時代に逆行することは許さないという決意が垣間見られる。

日本とアイスランドを比較するときに、念頭に置かないといけないのは、アイスランドが人口約37万の大変小さな国であるということだ。愛知県の豊橋市、岡崎市、群馬県の高崎市の人口がアイスランドの総人口に値する。日本では小さめの地方都市が、アイスランドでは国のそのものである。この人口で国家としての体面を保つというのは、経済的にもなかなか大変なことだ。国内のインフラの整備、教育と医療の無償提供、海外のアイスランド領事館や大使館の維持、スポーツや文化の交流、政治や経済の国際協調など、規模はさておき、それでもかかる経費は膨大だ。だから国としては、労働に寄与できる年齢層には、性別に関係なく、働いて税金を納めてもらうことが何よりも必要だった。

女性に働いて税金を払ってもらい、しかも将来も引き続き税金を払ってくれる就労層を確保するのに、一番効果的な方法は何か。それは、出産を奨励しながらも、早いうちに女性を職場に戻らせて、仕事を続けてもらうことだ。よって、出産の無料化と産休手当の交付、託児所や幼稚園などの施設の充実、待機児童の削減など、女性の出産と職場復帰環境を整えるのは、国としては当たり前の政策だった。行政側の思惑と女性権利の利害が一致したと言えるだろう。アイスランドが小国であり、しかも福祉国家の最先端である北欧諸国の一員であることが、アイスランドの女性たちには幸いしたと言える。

さて、それではここで、日本とアイスランドの数字の比較をしてみよう。OECDの統計を紐解くと、15~64歳までの女性の何パーセントが働いているのか大方のイメージを掴むことができる。2020年の統計で、日本は71.51%の女性が、アイスランドでは78.53%の女性が就労している。これだけ見ると、日本もそれほど悪くないように見える。

しかし、ここで2点注意を喚起したい。まずは女性の就業率の中に、どれだけパートタイムが含まれているかである。アイスランドが24.1%であるのに比べて、日本は39.5%だ。もう1点は、そもそもの就業人口の中に専業主婦が含まれていない点だ。アイスランドが共働き社会であることを考えると、基本的に専業主婦は存在しないので、専業主婦が多い日本と比較する就業率の数字の前提自体が正しくなくなってしまう。その点を考慮すると、日本女性の就労71.51%の姿が全く違って見えてくる。

パートタイムに女性が多いのは、結局は”家庭”の中の”家族”の役割に女性が縛られているからだと、アイスランドの女性権利団体は見る。受け取る給与が少ないことは、同時に将来の年金が少ないことを意味する。経済的な保証が十分でなければ、女性たちは自分たちを無力に感じ、パートナーに経済的にも精神的にも依存して、自立を妨げられる。場合によっては、退職後の貧困さえ避けられない。家族の世話には、労働の対価としての直接の給与が支払われないため、家庭に残る女性は賃金も年金を得ることはできないのだ。

そこでアイスランドの女性が目指したのは、目に見える形での男女の賃金格差の是正だった。その先駆けが国連デイに合わせた1975年10月24日女性ストライキである。女性がどれほど労働力として社会に寄与しているかを世間に知らしめるために、90%のアイスランド女性がストライキに参加した。女性の労働権利の向上と男性との同賃金を目指して、アイスランド女性権利団体が組織したデモに25.000人の女性が参加して、国際的にも注目を集めた。

Kvennafrídagurと呼ばれる女性解放デモは、その後も引き続き行われているが、デモ行使の方法が変化している。10月24日のデモ日には、男女の賃金格差を計算して、賃金が支払われなくなる時間以降は、女性たちは仕事を放棄するというものだ。9時から17時を1日の労働時間を考えると、2005年には14時8分、2010年には14時25分、2016年には14時38分、2020年には15時10分以降は、男性と比較して女性は無料奉仕をしていることになると言う。

とてもユニークなデモ手段だと思う。日本で同じ趣旨でデモを行ったら、一体何時で女性たちは仕事を放棄するだろうか?時間の算出方法にもよるとは思うが、少なくとも午後には1分でも食い込むことを祈る。


女性と家庭の切り離しはなかなか難しい問題だ。養育・養護、または介護という行為を考えると、それがどうしても母性と結びつき、女性の方がきめ細やかに対応できると考えがちだ。実際アイスランドでも医療関係者は女性が多く、特に看護師や介護関係職は圧倒的に女性だ。同じ医療関係者でも医師とは違って、看護師や介護士の給与は高くない。幼稚園や小・中学校の先生も同じような状況であることを鑑みると、女性が子供の養育や人の世話に向いている言われは、給料の低いサービス業に女性を縛りつける、都合のいい神話である側面もあるかもしれない。それどころか、女性自身がそう信じ込んでいる可能性も否めない。伝統とか文化とか本質とか、響きのいい言葉に惑わされているのは、わたしたち自身かもしれない。

さて、2020年の対応とは違って、2021年のオミクロン禍では、小・中学校の1クラスを2つに分けたり、高校の授業をオンラインに移行させなかったために、感染は野火のごとく、子供たちの間に拡がった。1月の上旬に、幼稚園や学校の先生たちが、授業開始を1~2週間遅らせてはどうかと提案したものの、政府は各学校に任せると現場に丸投げしたので、教育関係者の足取りは乱れ、保育者や先生を含んだ職員の多くが子供たちと同様に感染、自主隔離する羽目に陥っている。国民の7%が隔離している始末だ。

下の息子の高校のクラスは、現在のアイスランドを象徴しているかのようだ。16歳が追加接種を受けるかどうかの境目ということも重なって、23人のクラスメイトのうち、なんと9人が感染していることが判明した。クラスでは生徒同士の机が1メートル離されており、着席時以外はマスク着用のルールはあるものの、相手はまだ子供だ、いちいち神経質に気を付けてはいられない。息子もしっかり感染してしまい、家族全員自宅で隔離になってしまった。

家族全員の陽性を覚悟していたものの、下の息子以外は全員3回目の追加接種を受けていたためか、家庭内感染はなかった。そして息子を子供部屋に監禁隔離するわけでもなく、吹雪と嵐の悪天候の中外に出ることもなく、1週間普段と変わらない生活を続けて、わたしたちは再び社会に復帰した。

今回のオミクロン変異種の感染者が主に子供たちであることを考えると、政府のとった政策が果たして十分迅速で、的を得ていたかは疑問が生ずるところだ。しかし、いずれにせよ、国は試行錯誤を繰り返しながら、エピデミックの時代を乗り切っていくだろう。その難しい舵取りの中で、女性たちが目指し、男性たちも支持をする、国の基本理念がぶれない強さに、わたしは敬意を表したい。






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