アイスランドから見る風景:vol.4 コロナ最前線
世界では、この一瞬にも、何事かが起こっている。それらはニュースとして見る限り、自分たちには関わりのない向こう側での出来事のように思える。自然災害のために収穫量が減少した穀物の値段が上がる、地域的な抗争が原因でモノの供給に支障が生ずるーそんな形でこちら側の日常に影を落とすことはあっても、あちらの世界の出来事が、自分たちの生活そのものを直接脅かすと感じられたことは、今までそれほどあっただろうか。
しかし、今回のエピデミックは、わたしたちの世界観を大きく変えた。あちら側とこちら側を隔てていた膜壁は本当はとても薄いもので、自分たちには無関係だと思っていた事象が日常を浸食するようになった。わたしたち一人一人の行動が、家庭に、住んでいる地域に、そればかりか国境を越えて世界に影響することを、今回まざまざと見せつけられることになった。それらが連鎖し、変容していく様子を、わたしたちはウイルスの拡がりと変異に見ることができるのだ。
このウイルスの蔓延がもたらした問題は、世界各国共通のものだ。医療体制の崩壊、経済活動の低迷、教育現場の混乱など、その項目はほぼ同じである。しかしながら、興味深いのはそれらの問題の深刻度だ。同じように医療機関に負担がかかっても、トリアージまで追い込まれた国もあれば、通常の医療行為を減らすことで何とか切り抜けた国もある。休校に追い込まれてもオンラインで授業を続けることができた地域があれば、クラスを午前と午後の2つに分けて生徒数とカリキュラムを減らしながらも、対面授業を貫いた自治体もある。
同じ問題に取り組みながらも、各国・各自治体の対処の違いが、異なるリアリティーを生む。統計上のカーブの形は同じでも、エピデミックから生まれる現実はあまりにも多様で、あたかもパラレルワールドに迷い込んだような、不可解な気持ちになってしまう。
その中の一つのバージョン、アイスランドでのコロナ禍の現状をここに紹介してみたい。
アイスランド政府の方針は、コロナウイルス感染が国内に拡がった2020年3月の第一波から、ぶれることなく今日まで同じである。国民の健康を守る、国立病院の医療崩壊を防ぐ、子供たちの教育を中断しない、そして国境を封鎖しない、の4点に凝縮することができよう。国境の封鎖に関しては、コロナ・ゼロ方針をこれまで貫こうとしたオーストラリアやニュージーランドの例、また日本政府の水際対策と対照的だと言える。もともとアイスランドの第一波は、イタリアとオーストリアのスキーリゾートで休暇を終えた自国民がコロナウイルスを持ち帰ったことから始まった。島国という同じ条件を考えると、上記3国のように国境を封鎖することで、守り型のウイルス締め出しに重点を置くこともできたはずだ。
アイスランドがその道を選ばなかったのには、理由がある。まずアイスランドは37万強の人口しかない小国であること、また国のGDPの約8%を観光に依存していること、同時に観光が国の外貨収入源のトップ産業であることだ。国内の産業が生み出す富を循環させる籠城戦に持ち込むことは、需要数が極端に限られるこの人口ではそもそも不可能だ。しかも、アイスランドの経済は、漁業、地熱発電を利用したアルミニウムの製錬、軟水、そして観光と、自然資源と切っても切り離せない。どの産業も、自国民だけを対象にしていたら、あまりに市場が小さすぎるのである。
そこで、アイスランドの政府が重点を置いたのは、国境の管理だった。基本的に、入国者に対して入国時にPCR検査を義務付け、5日後に再度検査を受けさせ、陰性であれば、その後普通の生活に戻る、または国内旅行を許可するという、きわめてシンプルな手続きだ。初めの頃は、”危険地域”からの入国者に限定していたルールを、その後の感染の波に応じて、入国者全員に課すことで、国境を開けたまま感染者数を抑え込むことに成功した。
国境の管理と同時に、政府はアプリでPCR検査へのアクセスを簡素化し、短時間で検査結果を知ることができるシステムを導入した。それによって、市や地方自治体は感染ルートの確定と追跡捜査が可能になり、その後の感染拡大を防ぐことができた。横浜の体験者から聞いた、発熱しても、まずは発熱外来に受け付けてもらえない限り、PCR検査でさえも受けられないという事情とは大分違う。システムのオンライン化も、感染拡大防止に大きく貢献した。不必要な業務や接触が減り、検査結果に基づいて、政府も感染者も次の手を即座に打つことができるようになったからだ。
さらに注目に値するのは、ワクチンが開発された早い時期に、政府がすべての外交手段を講じて、ワクチン確保に奔走したことだ。アイスランドはEU (欧州連合)には属していないが、EFTA(欧州自由貿易連合)に加盟しており、EU諸国とは政治的にも密な繋がりがある。しかも、スカンディナヴィア諸国とは、歴史的にも、理念的にも重なるところが多い。今回も、EUに加盟しているスウェーデン、デンマーク、ノルウェーを通して、自国のワクチンを手に入れた。また、副作用の恐れから、アストラゼネカとヤンセン(J&J)のワクチンは使用しないと表明したデンマークとノルウェーから、未使用のワクチンを譲ってもらった経緯もある。
その後のワクチン接種の効率の良さは、以前会社のHPのエッセイに記載したので、ここでは割愛し、国と地方自治体が足並みを揃え、地域の保健センターが住民を招待し、集団接種を行ったという記載にとどめたい。
さて、そのような過程を経て、今年の5月には感染者数を一桁に抑え込むことに成功、さらに6月に入っては新規感染ゼロの日も続いた。同時に国内のワクチン接種率は順調に上がり、6月23日には2005年生まれの子供たちの接種も開始される。そして6月25日、政府はこれまでの国内感染予防対策のすべてを撤廃し、過渡的な状況であるとしながらも、今年の夏は国民にある程度の自由を約束できるだろうと予測を立てた。ワクチン2回接種が、コロナウイルスに対するシルバーブレットであることを期待して。
残念ながら、夏休みを満喫しようとした国民の希望とは裏腹に、1カ月も経たないうちに感染は再拡大していった。7月30日には154人が新規感染し、昨年3月24日第一波の新規感染者の数を上回った。感染者の数が累積されていくにつれて、感染ルートを完全に追跡することが難しくなる。感染の恐れがある人たちがあまりにも多く、また自主隔離の必要をどこで線引きしたらいいのか、判断が難しくなったからだ。ワクチン接種をしていても、100%の効果ではないことは承知済みだったものの、ワクチン接種後の感染、つまりブレークスルーがここまで多いとは、政府のコロナウイルス・タスクフォースの面々も予想しなかったのだろう。7月26日には、感染拡大防止のルールが再導入された。
アイスランドの政府が打ち出した主な対策は次の通りだ。1メートル間隔をあけることができない場合のマスク着用義務、飲食店の営業時間の短縮と人数制限、ワクチン接種完了者でも入国者には全員国境での陰性証明の提出。さらにアイスランド在住者に関しては、到着48時間以内の再検査の奨励が追加された。これは、ワクチン接種証明を持つアイスランド人が、UEFA欧州選手権2020をイギリスで観戦した後に、デルタ変異種ウイルスを自国に持ち込んだ、その反省から出た教訓だ。感染者の多くが、一回で済むと言われていたヤンセン(J&J)のワクチン接種者だったことも分かり、まずはこのグループを対象に8月上旬に追加接種が行われた。また8月下旬から12歳~15歳の子供たちの接種も始まっている。
さて、そのような策を取りながら、アイスランド人たちは自国のコロナ禍の現実と向かい合っている。幸いなことに、感染者の数は日に日に減っており、政府の早急な対応が一定の効果を上げているようだ。ワクチン接種を急ぎ、国民の大半(2021年9月5日現在で全国民の72%、12歳以上の接種可能な人口の84%が2回の接種を終了)に接種させたことで、ブレークスルーこそあれ、医療逼迫は起こっていない。入院患者数、重症患者数も第一波よりも低く抑えられている。感染者の症状も、大抵が無症状、もしくは軽症だ。また、ワクチン接種済みの観光客には、入国時の陰性証明以外は追加規制を設けなかったことで、観光業界も活動を続けることができている。
一度はぱったりと見なくなったマスク姿も、至るところで再び見られるようになった。ワクチン完了者が感染はしなくても、感染させる可能性があることがデータを通して判明したからだ。集団接種を機に、コロナウイルスと決別できるかもしれないという期待に胸を膨らませていた国民だったが、今ではコロナと生きる覚悟を決め、共存という新しい道を模索している。そこに悲壮感や諦念はない。根幹がぶれない政策を国民に示すことによって、国民も検査や自主隔離、ワクチン接種に協力し、人智を超えた未知のウイルスに悪戦苦闘する、政府の試行錯誤にも理解を示す。
7月中旬から感染者が急速に増え続け、PCR検査を受ける人たちの長い列が何度もニュースに映し出されとき、コロナウイルス・タスクフォースの責任者は、国民に向かってこう語りかけた。「わたしたちは、ウイルスのことを何一つ知らなかった第一波から今日まで、難しい状況を何度も乗り越えることができた。今では、ワクチンという強い味方もある。これからだって、ウイルスに対して気を付けることは同じだ。今までやって来れたのだから、これからだってきっとやっていける。アイスランド人というのは、そういう人間たちなんだ。みなを守るために、みなが一緒にやるしかない」
わたしはそこに、国と国民がともに歩む姿を見る。どちらが欠けても、社会は機能しない。諍いや対立、不信や分断だけが、コロナ禍の現実ではないことに慰めを感じるのは、果たしてわたしだけだろうか。