同居のギャップ~QOLの考え方③~
さて、長くなりましたが、同居でのQOLについてその③。
ここで原点に戻って『何のためのQOLか?』と立ち戻ってみましょう。
1.そもそも『変化』は必要なのか?
2.相手が求めていない事を強制してないか?
この2つが引っかかる方もいるかもしれないので持論を述べさせていただくと
1.変化は必要か?
世帯の生活スタイルによって変わりざるを得ないです。
これはまず『同居』という環境変化が始まるからというのもありますが、世の中がどんどん変わっているのは事実ですし
結局新しい事を出来るようになっておいた方がいい。
というのが結論なのかなと思います。
是非はあるかもしれませんがPCが使えないとしても、スマホが最低限使えるだけでも家族としては助かるのと同じぐらいの話なんですよね。
あとは『昔からやってても適切でない事はありふれている』という事実もこびりついてしまってる家庭は多いと思います。
2.相手が求めていない事を強制してないか?
このシリーズの始めの方でも書きましたが、そもそも「相手が興味を持った」事が前提にはなります。
(持たせる方法も書きましたが、あくまでモデルケース)
そして始めたとしても『出来、不出来』ではなくてやろうとする姿勢と出来る側のフォローが特に大切だと思います。
相手が高齢だと視力や聴力の衰えだけでなく『客観』より『自分』が勝ってしまう場面が増えてきます。
皆が使うものを戻さずその辺に置いたり、目的を達成したら片付けもしなかったり。
誰かの不自由な部分が増えると、周りの手間が増えてしまうのが現実です。
一昔前だと全てお嫁さんがやってましたが今の令和の時代、これだけ家庭の収支状況や働き方が変わっているんですから1人に任せるのは負担が大きすぎます。
『出来ない事をフォローする』というタスクが日常に入ってくる時点で既に環境の変化なのですから、そこからは芋づる式に変わっていくことは増えてしまうのです。
もちろん新しい事を始めるのは年齢関係なく難しいですが、『一緒に生活してる=お互いに最低限の責任を求める』というのも正直なところ現実なので、お互いのために建設的になっていく過程そのものが『変化』なのではないでしょうか。