Notes of a Dirty Old Man in Philippines-continue
昨日は朝から咳がでて居の具合が悪くてお休みした。
一日ゆっくりして、風邪気味の時にはいつも飲む風邪薬を、
常備薬みたいだけれど、いつもの一個を二個にしたら効果上々、
すっきり目が覚めて、またパソコンの前です。
上手いことに今日頑張れば、先より決めていた明日は、
またお休みをいただいて京都行。楽しみだけれど~
日時ははっきりしないけれど、
私がミャンマーに出掛けた二千十二年の前のことと思うけれど、
一回りほど以前のことに成りにけりか。
桜が散りかけた頃に出掛けた時のお話しで年末に掛けて定年とか。
そして私は寒くなる前にフィリピンへ出掛けるなんて話せば、
その前に逢いたいねって言ってくれて、心のどっかに引っ掛かり、
今回の話しになった次第です。
京都駅からほど近い、
八条口の鴨川寄りに在る或るカトリックに関係しての組織の一つの、
お得に飲食が出来る小さな食堂のようなとこで料理のお仕事をなさってた。
最初覚えたのは多文化交流ネットワークサロン。
イベントでのバザーの催し場所。
十条油小路近くのアパートに住んでいて、お得にコーヒーが飲めて覚えた。
度々通う内に顔を憶えていただいて、男同士故一言二言のやり取りで、
そんなことをしている内に、
私は十二年には書きものもホカすようにして渡緬。
十四年春には帰ったけれど、大トラブルよ。
右京区太秦に居場所を移し、本の数度逢っただけかも知れない。
心変わりの無い方は羨ましい。
一所懸命に頑張っての今日が在るのでしょう。
心座らぬ私はと言えば、十五年末には心身の体調不良も顧みず、
またまたの渡緬を企てて十六年年明けにはすごすごと帰国。
京都へは辿り着けず、手元不如意大阪西成のドヤに落ち着いた。
ドヤに落ち着ける所が凄いとこだ。
ほんとのたまのことだけれど京都に出掛けたりしてたんだ。
十八年からの度々の渡比をはさんでも。
本心帰りたい場所だ。誰も分かってはくれないだろうが。
私を大きな学校の先生のようと言ってくれて、
彼にはもちろんだけれど、
彼が居ない小さな食堂にもご縁は無くなるだろうに、
明日さようならを言いに行く。
だから頑張れたのかも、三冊はイーブックだけれどキンドルストアーに。
伝えてあるはずだし、
九月末には二作目のものがたりをデカし、コンテストに応募してるし、
二作目の続編を書き継いでいるよと伝えたい。
その後のことは分からないよ。
続きます~
次は土曜日だ!