dirty old man`s notes 4
4-4 なぞるよに- 2
火曜日、八日に先生に教えて貰ったので早咲きの白梅を使えました。
咲き始めって何時のことでしょうか、
年明け頃には、もう咲いていたのかな。
定かではありませんが、今冬の寒さはかなりきつかったのに、
時を忘れずにいつものように咲いたのでしょう。
私はと言えば厳しい寒さで膝の具合も、腰も最悪です。
右膝に何回注射したかヒアルロン酸注射、良い加減も何処かへ消え失せた。
そうそう、見直し中の profile ものがたり、
何回見直したやら、ユーデミーでしたか、或る先生曰く、
三回程で終えて、何てどこ吹く風で、
改めて最初を見直したら、良い感じでやっと本調子と成りにけり。
note への投稿が間遠になれば、全ての感覚が少しずつづれるようで、
見直しさえも可笑しなものになり果てる。
時間を見付けて書いて書いてが何ぼの値かは知らないけれど、
書き通すしか仕方のない定めと思い決める。
what are you doing the rest of your life?
問われれば、
やるべくことは決まっているほんの少しの残りの人生でのこと。
好きなカラオケには入って無いようだから寂しい限り。
シナトラのをYouTubeで何度も何度も聞いている。
そうそう好きなカラオケで思い出した、なぞるよに、の出どころのお話し。
上田正樹の唄に間違いは無く、加藤和彦と安井かずみのもの。
古い話しですが彼女は早くに亡くなって、加藤和彦は寂しい人生だったやら。
お二人はご夫婦だったはず。
それこそ昭和のお話しです。爺さんの戯れ言だ。
彼女は学校はフェリスから文化学院だったかな、つまらないことを覚えてる。
フランス語が堪能だったよう。
私もそんなこんなで、
ほんの少しの間だけ近くのアテネフランセに、通ってたっけ。
勉強しない人なのにね。
学生運動が収まってからかな、前の話しか分からないけれど。
お茶の水って街の思い出だね。
思い出すのが供養と思ってる。
英語のお若い話し易い講師先生との思い出も持てた。
今も忘れない種々、
またなぞってみたくなる思い出だ。
中学も高校も中途にした上の学校でも、友達とも先生とも、
再会の機会を持たないひと。
この年齢になればお亡くなりになってる方々もお有りだろうし、
先生おや。
どちらにしても二十四五の頃には田舎に引っ込んだし、
創業時のこととて時間は取れず、
少し時間を経て偶さかに問屋さんとの折衝で上京することはあったにしても、
同窓会とのタイミングも合わず仕舞い。
私は友達に聞きたかったんだよ、あの頃ってどんなひとだったの私は、
ってね。
だからあの頃の思い出をなぞるよに、なぞるよに思い出す。
応えは無いと知ってるけれど、
人知れず恋、かな。そうカラオケで唄ってみたりする。
田舎のスナックで知り合った女性、
私が上田正樹のヒット曲ばかり唄ってるのを聞いてくれて、
私はこの曲が好きって唄って教えてくれた曲だった。
三十五歳の頃とすれば三十五年程前の思い出の唄。
ママさんが教えてくれた彼女の身の上話し、
いよいよ忘れられない一曲になりました。
加藤和彦もかずみさんも亡い。
私は生ある内は書いて書いてと、また心に誓う。
そう畏いなるものの呟きの導きのある限りはね。