dirty old man`s notes 4
4-6 なぞるよに -3
キンドル出版の出版準備に掛かり切りになっていて、
noteへの投稿もご無沙汰。
今は表紙を出かすのに、習字の先生とパソコンの先生とを、
行ったり来たりだった。
パソコン教室は二月もやはり週一で火曜日だけ、
但し二十二日を終えて、スピードアップを図るべく加えて土曜日も、
週二回の授業にした。
二月の二十六日と三月の一日の教室を終えて表紙は書道の先生の了解も得られ、
出来上がり。
今日は日の経つのは早いもので三月も三日か、ひな祭りだね。
ひと山超えたようでいつもの様に疲れが重たかったけれど、
左程でも無く、一安心だ。
残すところは本文をキンドルの書式に合わせて入れ込むことと、
イーチラシを作りFacebookとTwitterに上げること。
そんなに時間は取らないつもりですが、如何なることになりますやら。
そうそう、なぞるよに、のお話しです。
つらつら考えまするに、
今年が二十二年で昨二十一年の三月の一日より、
入力を始めた創めての書きもの、原稿用紙で二百五十枚程のものがたり。
色んなことが有り過ぎての今日の今日。感慨深い。
四十の手習いならぬ、七十の手習い、いよいよ想いが深く。
今回のことの始まりは、
十九年の十月の末よりマクタンに長く滞在したのを、
年が明け二十年の三月の中頃からセブ・シティーに三ヶ月程居を移した後、
サント・ニーニョ・カシードラル近くのレジデンスで、耳に残る、
四月に、畏いなるものの呟きよりのこと。
七月にはやっとの思いで日本に帰り、年末頃よりのプロット作成へと続く。
年が明けて昨二十一年の三月一日よりのパソコンのメモ帳への入力を始め、
結実、fruit へ。
そして、色んな悔やみごとに見舞われたにしても、
再びの結実までは至っておりませんが、
一年程の時を得て、今少しの fruit、までひと山超えて、ふた山超え、
今少しのとこまでこぎつけた。
なぞるよに思い返せばあんなこととか、こんなことがありましたっけ。
もう一つの、そうそうが口の端に。
二千十年から十二年に掛けての或るSNSでの投稿のことですが、
多分二冊分くらいには使えると思い決め、教室の先生にコピペですか、
やり方を聞いて一つ二つと試したのですが、
一ページに三投稿が有り、七十ページ程有りまして都合二百十投稿程になる。
面倒だなとの思いと、今まで見れたことに感謝もしつつ、
でも無くなるのではとこの期に及んで考えたりすれば、頭の中は忙しい。
そんなこんなの内に、先日SNSの会社よりのメールが来、
五月には無くなると。
どちらにしても設楽の無い男、先生からおさったコピペのやり方、
思い出せず、また五日の土曜にはちゃんとやり方を身に着けると、
自分に言いつけました。
見られなくなった時の喪失感はいかばかりと思うより、
速やかに私のパソコンに残すが先決。
それにしても、問い質して了解を貰って自分のものにし、
キンドル出版で使うと決めての軌を一にする、
五月には無くなるのメール、
畏いなるものの掌の上に遊ぶ私を考えて仕舞いました。
畏いなるものお気持ちのままにこの後は生き行くばかり、
と今更のように思い決める私でした。
そう、サント・ニーニョ・カシードラル近くのレジデンス、
あの時に畏いなるものの呟きより創まりしこと成れば也。