溺れる人を助ける。
あれはまるで、時限爆弾を渡されたような、そんな状態だったのか。いまだに自分のとった行動が良かったのか、答えが出ていない。たまたま結果が良かった、それだけに尽きる。二次被害を引き起こしそうな状況だったので、自戒を込めて恥ずかしながらこの記事を作成した。2分もあれば読めるので、特に中高年の方に読んでほしい。
海水浴場
ボクは珍しく休みをとって息子を連れ、近くの海水浴場に自転車で来ていた。海水浴ではなく貝掘りに。いや、貝殻掘りに。それが当時の息子のマイブーム。天気も良く、都市型の海水浴場はコロナ禍もあってか、海開き前なのにかなりの賑わいだった。
少年は静かに溺れていた。
若干冷たく感じる水温。ちょっと早いと思ったが、波打ち際の波は心地よい。そんなとき、5~6mほど沖のところで、溺れてるふりをおどけてやっているように見える少年が目に留まった。数秒眺めてハッとした。まさか溺れてるのか。連れと思われる少年が近くにいたので声を掛けた。「あれは溺れてるの?」『はい!』「本気で?」『本気です!』少年は、静かに溺れていた。
思考が停止した
早く助けないと。ボクは一気に切羽詰まった。しかし、泳ぎにはそれなりに自信のあったボクは、バッグの中に財布、携帯電話を入れ浜辺へ置き、待っておくように5歳児に告げ、暗示をかけられたかのように海に入っていった。しかし、現実は甘くはなかった。急激に深くなるこの砂浜は、すぐに胸の深さまで達した。「手を掴んで!」少年にそう叫び1歩先に進んだボクは、一気に海の中へ飲み込まれた。足が着かない。手をつなぎ片手で泳ぐも進まない。無理だと悟ったそのとき、少年は後ろからボクに抱きついてきた。少年はボクより大きくそして重かった。まったく泳げない。ボクは、なすすべも無く沈んでいった。
人間の鎖
ここからのボクは、本能で動いた。とにかく無我夢中だった。抱きつく少年の腕を渾身の力で引きはがした。なんとか海面に浮上し、足の着くところまで戻り、叫ぶ。その声を聞いて、別の少年が飛び込んできてくれた。冷静になったボクは、助けに来た少年のTシャツを掴んだ。近くにいた少年たちに「手をつないでくれ!」と叫ぶと命の鎖がつながった。すると拍子抜けするほど簡単に、溺れていた少年を助けることができた。みんな助かった。砂浜は、すぐに元の平穏を取り戻した。
間違い
ボクはたくさんの間違いを犯した。親であるのに、実の子供を置き去りにしてしまった。ボクが溺れてしまっていたら、この子はどうなっただろうか。考えただけでも震えが止まらない。そして、ボクは五十肩を持っていた。さらに、足の攣りクセも持っている。履いていたハーフパンツはコットン100でタイト。足の動きが制限されていた。極めつけは、根拠のない自信。たとえプールでも、誰かを抱えて泳いだことがあるのか?いや、無い。さらに、他の方法も考えずひとりで助けに行ったこと。緊急時の判断能力の低さが、露呈してしまった。
二次被害
助けに入った方が被害に遭うニュースは知っている。実に悲しい。だからといって、目の前で命が脅かされているのを見過ごすのは嫌だ。しかし、自分の命も同じもの。どちらも脅かされることなく最善を尽くすことを真っ先に考えるべきだった。一緒に沈んだ少年は、自力で浮かび上がっていた。もはや、ボクがとった行動そのものが、意味が無いものだったと思われる。ボクが溺れていたら……二次被害が起こると、さらに救助の負担も増える。
調べてみると、こんな記事もあった。
溺れる人を助ける方法:飛び込む勇気を冷静さに変える・溺れる人は静かに溺れる:水難事故を防ごうhttps://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20140504-00035043
さいごに
次の週にはサーフレスキューが常時監視していた。安心した。ところで、ボクは溺れた人を助けに向かうなと言っているわけじゃない。緊急時だが、まず冷静になることを伝えたい。今回は周りに人がたくさんいて事なきを得たが、居ない場合もある。その時の状況を冷静に判断し最善を尽くす。我々素人は、訓練されたスペシャリストではないのだから。
追記
あれから3年が経過した。
息子は異常なほど用心深くなり、未だに海に入りたがらない。
子供の心に付けてしまった傷は、あまりにも深い。
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