夜街ノ誘惑、其ノ色ピンク
多摩モノレールのモニターを見る。
ふと思う。
一定間隔で表示される、日本語、英語、韓国語….
ハングルを見ると、連想で浮かぶのは『食』だ。
チュクミ、サムギョプサル、セセリ鉄板焼き。
食べたい…
じゅるじゅると脳汁が出てくるのは僕だけだろうか。
そしてその度に、よみがえる記憶がある。
かつて韓国を旅した時の、忘れられないトラウマである。
※注意 ここから先の回想は20年前の韓国であり、2024年の韓国とは大きく異なる可能性があることをご注意いただきたい。
今からおよそ約20年前。
先輩に連れられ韓国旅行に発った。
夕方の便で韓国へ飛び、到着直後から居酒屋で酒盛りした。
同行した男の先輩2人と、男だけの気楽な旅である。
しかも、なんと先輩のうち1人は『韓国語がペラペラ』なのだ。
以下、『ハングル先輩』と呼称する。
ちなみにもう一人の先輩は、基本酔っていて、まるで役に立たないので、これ以降は空気とする。
「いつかは、韓国語の翻訳の仕事がしたい」と語る、ハングル先輩。
これ以上頼れる旅のパートナーがいるだろうか。
いや、いない!
「チャミスル、セイ、ジュセヨ」しか予習していなかった自分と比べたらチート級である。
ハングル先輩の通訳のおかげで、探索エリアがぐっと広がる。
路地裏の小さな飲食店に入れた。
地元スーパーでもおすすめ品を知ることができた。
まぁ、韓国語が話せると周囲に知られると、居酒屋で「竹島は韓国の領土だ!」と罵声を浴びせられたのはさておき、とても楽しい旅だった。
しかし、ここだけの話。
20代の自分は欲にまみれていた。
もちろん今の自分の比べたら可愛いものだが。
ハングル先輩がいるのだから、どんな店の門も強気でまたげる。
そう、例えばセクシーなお姉さんのいる店もだ。
海外の事情はよく分からないので、事前にシステムを確認できるのは心強い。
ちなみにハングル先輩は夜のお店に躊躇していた。
ありよりのなし、ありよりのありの間だ。
ちなみに僕自身はもう舞い上がっていて、ありよりのあり。
というか、もう在原業平レベルだ。(百人一首)
気後れする先輩達を引っ張って、夜の街に繰り出したのである。
街の名前は忘れたが、夜のネオンライトが煌々と灯っている。
しかも、そのほとんどの看板がピンクである。
これはもうどこに入っても間違いないのではなかろうか。
逆にここまでピンクの看板だらけは日本でもお目にかかれないだろう。
しばらく歩いてから、僕はハングル先輩に聞いた。
「ハングル先輩、あのピンクの看板のシステムとかって分かりますか?」
心臓がドクドク鳴っている。
頭の中にはKARAのみなさんがダンスをしながらこっちに手を…..
『あのお店は歯科医院ですね』
ハングル先輩が口を開いた。
「え?歯科医院?じゃあ、あっちのピンクのお店はどうですか?」
『あっちも、歯科医院です』
「じゃあ、あの右から、ピンクさん・ピンクさん。ひとつ飛ばしてピンクさんのお店は??」
『歯科医院、歯科医院、ひとつ飛ばして歯科医院です』
『ちなみに飛ばしたひとつも歯科医院です』
信じられないことに、ピンクの看板はほぼ全てが歯科医院だったのだ。
実を言うと、韓国ではピンクというのは『お色気』の色ではない。
日本はピンクというと、夜の街を想像されがちだ。
しかし、お色気の色は国によって違う。
日本でいうピンクなビデオは、
アメリカではブルーフィルム(青)で、
中国では黄色信号なんて言われたりする。
じゃあ、韓国では何色なんだよ!?
と、それはハングル先輩も知らなかったらしい。
ガッカリしながら繁華街を後にしたのだった。
夜に煌々とピンクの看板を掲げる医療機関。
あのショックは20年経った今でも、しっかりと脳裏に刻まれている。
「次は玉川上水〜」のアナウンスで我に返る。
モノレールで韓国語を見るたびに、また舌鼓を打った韓国料理が食べたくなる。チャミスルをボトルで飲み干したくなる。
『色』の「ショック」はともかく、『食』に魅了される国、大韓民国。
いつかまた、のんびりと遊びにいきたいものである。
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