期待するということ

子供のころのある誕生日の日、
両親が私の誕生日を忘れていたことがあった。
いつもはちゃんと覚えてて、誕生日ケーキを買ってきてくれるのだが、
その日は何となくおばあちゃんが気付いて
「忘れてそうだから、ケーキ買ってきてくれるように電話してみたら?」
って言われた。

自分でも何となくそんな気がして電話したら案の定忘れてた。
電話口で母は、ごめん忘れてた、ケーキ買っていくねって言ってくれた。
自分はなるべく平静を装って「うん、わかった」といったが
内心とてもショックだった。

子供心に、親も仕事で忙しそうだったし仕方ない
両親はいつもはちゃんと覚えていてくれている
そういうことだってあるさ
と言い聞かせていたのだが、やはり悲しかった。

そのとき、どうしてこんなに悲しいんだろう、と思ったのだ。
頭では理解しているのにこんなに悲しいことがあるのかって。

そのとき、ああ、自分は期待をしていたんだな、って思ってしまった。
期待してたから、それが裏切られてこんなに悲しいんだって。

それが原体験になって、いまだに人に対して、
ある一定以上何かを期待しなくなってしまった。
いや正確には、期待しているのに期待していないそぶりをするのである。
我ながら果てしなくめんどくさい人間である。

最近になって、正しい人付き合いとは何だろうと思う。
私はこの性格のため、ビジネスライクな関係性はとても得意だ。
期待すべき相手の行動はここまでである、ときっぱり線を引けるから。

じゃあ友達に対してはどこまで求めたらいいんだろう。
恋人には、家族には、何を求めたらいいんだろう。

正直に言うと、
すべての関係性にはある一定上の依存関係があると思っている。
いわゆる共依存というやつだ。

赤ん坊は転んでもすぐには泣かないそうだ。
転んだあとあたりを見回し、母親と目が合って、それから泣き始める。
親はこれを見て、甘えてくれているのだ、と認識でき、
より愛情を注げるようになる。

私が人間関係に共依存を見てしまうのは、
私が立派な大人ではないからかもしれない。

ひねくれた考え方が心に茨のように巻き付いて
私を守りながら、痛めつけているように感じる

いつかこの茨を破るだけの強さを得たら、
ケーキを買ってきてほしい、と
自分から素直にお願いできるようになれるだろうか。

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