昔話:ニコニコ超会議にブース出したら尻が壊れるフラグが立った話

どうもです。
またニコ生カジノ関係の昔話をしようかと思います。前回の昔話と繋がっている部分もあるので、まだ読んだことない方は是非こちらを先にご覧下さい。


・ニコニコ動画の全盛期

2012年春頃から、ニコ生カジノに該当するコミュニティが一気に増加しました。その中で、私が立ち上げた「ディオーサ」、おれいえ氏が立ち上げた「アルジーネ」を中心に、合同でイベントをできるようにするためチーム「アミューズメントリンクス(以下リンクス)」を立ち上げました。あくまで運営は各コミュニティごとに行い、大型のイベントだけ共有する形としていました。このあたりは、「ニコニコ★カジノ」のような大きな組織作りとは異なっていた部分です。

同時期、ニコニコ動画は全盛期を迎えており、毎年開催されるようになった大型イベント「ニコニコ超会議」も同時期に第1回が開催されました。


そして2012年の8月頃、超会議2の「ユーザー企画」ブースの話がでてきました。当時のユーザー企画は運営にプレゼンした上で、決定したら機材貸出や敷地料金等ほとんどが運営負担でブースを運営できるという、運営サイド全面バックアップの企画でした。ちなみに、超会議3以降は「まるなげ広場」という形に変わり、色々と費用を取られるようになってしまいました。


ニコニコ超会議は、初回に入場費無料にしたことで億単位の赤字を叩き出した超規模のイベントですが、公式が呼ぶレベルの動画投稿者、あるいは企業等のブースがほとんどであり、一般のユーザーがブースを出せるのはこのユーザー企画だけでした。そして、そこにカジノブースを出そうという話になったのです。


・趣味と仕事が交わる場

カジノブースは運営メンバー5人ほどで構成することになりましたが、基本的に運営サイド、つまりドワンゴの担当者とやり取りをするのは私でした。慣れない敬語でのやり取りで、特にメールやSkypeでのプレゼンは「こちらにとっては趣味であるが、相手にとってはビジネス」というの点でミスできないという緊張感がありました。

結果として、我々のカジノブースはユーザー規格として採用となり、そのまま本格的な打ち合わせへと入りました。今回はゲームをブラックジャックに絞り、時間入れ替え制の体験型ブースを作っていくことになりました。


そこからが大変でした。

毎日メールとSkypeのチェック、希望する有償設備のリストアップ、ブースレイアウトの作成、必要資料の提出、とにかくたった1日の本番のために、やることが山積みでした。

正直なところ、もう少しサクッとできるものだもおもっていました。当時大学生だった私は、「お金をかけたイベントの開催」にこれだけ手間がかかるということを分かっていなかったのです。

最終的にブースの方針やタイムテーブル、実際のルールなど含めてほぼ固まったのは、2013年4月になった頃でした。

・襲来する黒船

一通り打ち合わせも終わり、後は当日に向けて整理券やルールの印刷、Twitter告知くらいだなと思っていたのですが、平穏は突然終わりを迎えました。

本番から2週間位前のこと、大学で授業を受けていた私の携帯に1本の電話が入りました。ドワンゴの担当者からです。ところが、普段のユーザー企画ブースの担当者ではありませんでした。

「突然申し訳ありません、そちらのブースをビリー・ヘリントン氏が訪問したいのと事なのですが大丈夫でしょうか。」


????????


ビリー・ヘリントンとは、アメリカ出身のものすごいマッチョな男性であり、ニコニコ動画上でとある動画の影響により「ビリー兄貴」と呼ばれていた人物です。詳細はここに書くと色々とアレなので各自で調べてください。

そのビリー兄貴が、ユーザーを引き連れいくつかのブースを回るイベントである「ビリークルーズ」の行き先の1つとして、我々のカジノブースを希望したとの事です。このビリークルーズ、超会議当日まで我々は知らなかったのですが、引き連れている多くのユーザー(隊員)もブースを訪れるイベントであり、本来なら小規模ユーザー企画ブースを訪れるようなものではありません。ただ、「カジノ」というテーマが一本釣りしてしまったようなのです。

私はビリー兄貴関係の動画は見たことがありませんでしたが、少なくともマッチョな人という認識はありました。その上でドワンゴのビリークルーズ担当者は「ゲームでそちらが負けたらスパンキングされるかも」と爆弾を放り込んできたのです。

大前提として、ユーザー企画ブースは運営サイドがカジノ用品以外は全面的に出資している形になります。もちろんその状況でビリークルーズを断ることなんてありえません。

これが、尻・デッド・オア・アライブが開幕してしまった瞬間でした。

まずタイムテーブルにビリークルーズを考慮しなければならなくなったため、スケジュール修正が始まりました。お昼すぎに来るとの事だったので、その時間をブース休憩時間兼ビリークルーズの時間にしました。

さらに、ビリークルーズは通常よりも時間が限られているため、ブラックジャック3ゲーム勝負の特別ルールを設けました。

今思えば、このルールにしておいて良かったと心から思います。


・決戦、ニコニコ超会議2

2013年4月27日、いよいよ当日になりました。前日深夜まで整理券を印刷し続け、半分寝ぼけた状態で会場へと向かいました。ニコ生での中継放送用機材はこちらで準備しなければならなかったので、PCやヘッドセットも持参していました。

会場は幕張メッセ、国内でもトップクラスの広さを誇るイベント会場です。会場には既に行列ができており、その横を車で抜けて裏口から会場入りしました。

と言いつつ、私だけは途中で降りて、これまた別の入口で各種手続きをしなければならなかったので、走って会場入りになりました。目が覚めました。

ユーザー企画ブースの位置はかなり独特な場所にあり、ニコニコ超神社と超歌ってみたブースの間にありました。特に超歌ってみたブースが常にカラオケ大会で爆音だったため、普通に声を発してもほとんど通らないような状態でした。しかし我々は抜かりなくマイクとスピーカーを借りていたため、この問題については何とか切り抜けました。このマイクは、後々さらに重要になります。

いよいよ開場時間となり、会場を全速力で駆け抜けていくユーザーが何名もいました。たぶん企業の物販ブース目当てかと思います。

我々のブースは所詮はユーザーブースでしたが、それでも午前中の整理券が全て捌けるレベルには集客できていました。コスプレイヤーが来たり、Minecraftのスティーブ被り物をした人が来たりと、超会議ならではの中々カオスな状況でした。


昼休憩をしつつ、いよいよ来るビリークルーズに向けた準備が始まりました。カジノチップは普段使用しているものより少しリッチなものに変え、マイクセッティングも各テーブル向けにしていたものをギャラリーにも聞こえる状態にしました。結局のところ、テーブルの様子はギャラリーから見えないため、ギャラリーに対しては状況をマイクで説明するしかなかったのです。


ついに、ビリー・ヘリントンがブースに現れました。後ろには大量のギャラリーが構え、ブースは完全に包囲されました。

当時のビリー・へリントン氏
(ユーザー記事より画像引用)

動画を見た事がなかった私は、目の前のマッチョに対して完全にビビっていました。後々見た情報では、全盛期よりは老けているとのことでしたが、それでも当日白ガリ君だった私からすれば、腕一振りで数mは吹っ飛んでいくような気がしました。

テーブルにはビリー兄貴と通訳の2名が着席し、それぞれにチップを用意、ディーラー席に私が座り、ゲーム開始となりました。

<ブラックジャックのざっくりルール>
・21に近い方が勝ち
・相手はディーラー
・ディーラーは1枚オープン、1枚クローズの状態でプレイヤーの手番
・22を超えたらバーストで負け確定(ディーラーバーストでもプレイヤーバーストなら負け)
・Aは1か11、10/J/Q/Kは全て10として扱う
・ディーラーは16以下なら必ずヒット、17以上は必ずスタンド

第1ゲーム、ディーラーオープンカードは10(10~K)、クローズカードも10で20確定でした。21以外勝てない状況で、何と通訳の方(ビリー兄貴の右隣)がプレミアム役を成立させて勝利というミラクルを起こしました。それをビリー兄貴に配れよディーラー。
一方のビリー兄貴は負けとなり、持ちチップの1/3を失いました。

第2ゲーム、何とビリー兄貴がオールイン宣言、会場のボルテージが上がります。こちらサイドとしては、「勝てばノーダメージだがビリークルーズ企画としてはつまらないものになってしまう」という究極に厄介な局面です。とはいえディーラーにできる事はカードを配ることだけ、後は運の問題です。
ディーラーオープンは6、プレイヤーに最も有利なカードです。この時の私は「ここは負けどころ」と思っていました。仮に勝っても次がラストゲームである以上、連続でオールインしてくれることは見込まれていたからです。そんな私の想いはカードに伝わっていたのでしょう。結果ディーラーバーストにより、ビリー兄貴はダブルアップ成功、ギャラリーもヒートアップします。

第3ゲーム、予想通りお二人共オールインになりました。MAXボルテージの中ディーラーオープンはは何と10、この段階でディーラーブラックジャックだけは(ビリークルーズ的に)許されない展開です。一方、ビリー兄貴は現状17、通訳の方は現状10です。はっきり言えばクローズ10でもシラケてしまうような状態です。私は震える手でクローズカードを確認しました。



6



エンタメが過ぎるだろうが。

ディーラー16はバースト率6割なので、プレイヤー側にとって最も有利な状態です。尻が死にそうです。

通訳の方は1枚ヒットで17まで上げ、ビリー兄貴もスタンドしたことで2人も17になりました。後はディーラーハンドの確定だけです。

めくるディーラーのクローズ6、ディーラーが未確定というだけで一気に場の空気が盛り上がる、シューターから最後の1枚を引き抜き、めくる。






2




だからエンタメが過ぎるのよ。

合計は18となり、たった1の差でオールイン2人のチップを全部回収しました。尻は守られた。

正直、ディーラーがバーストして隊長勝利!となった方が会場は盛り上がっただろうと思います。ただ、あの一瞬だけは自分が主役だと思ってしまった。それがカードに伝わった結果、17相手にオープン10からの16→18という絶妙な流れを生んでしまったのかと思います。オカルトはそこまで信じない方ですが、場の流れというのは多少存在すると思います。


その後、握手やらサインやら色々していただき、ビリー隊長は去っていきました。

その後の午後の部も全席埋まりとはいきませんでしたが、多くの方に来場していただきました。正直、その日のユーザー企画ブースの中でも特に盛り上がっていたブースになっっていたかと思います。


・閉幕

こうして、ニコニコ超会議2の1日目が終了し、我々のブースは無事営業を終えました。トータルで8ヶ月近くかかった全行程が終わり、涙腺が緩んでいましたが誤魔化していました。

この超会議2以降も、ニコ生カジノチームでのユーザーブース出店や、ニコニコ本社イベントでの出店が何度がありました。ただ、公式イベントがカジノブースを出すケースもあり、費用もかかるようになってしまったので、頻繁にというほどではありませんでした。やはりリアルイベントというのはそれ相応の準備が必要で、趣味であっても全力でなければ難しいものだと思います。その分、やり遂げた際の達成感は突き抜けたものがあります。

「ごっこ遊びに全力なんてバカらしい」と思う人もいるとは思いますが、好きなことに全力を向けた時間というのは周りから咎められるものではないと思います。それは、今回のようなことに限らず、趣味全般がそうあるべきかなと思うのです。



今回の昔話はこれで終わりです。
実の所、私の尻が死ぬ件についてはチームメンバーが身代わりになるという話が出ていたのですが、たぶん実際にその時が来たら私がやられてたと思います。場の空気ってあると思いますし。

多分次はポーカーチェイスの話でもします。ではでは。



オマケ
当時の運営チームの集合写真がネット上には残っています。気が向いたら文中のワードを組み合わせて検索してみたら引っかかるかもね。

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