サヨナラ僕の第二章。
エンドロールというのは突然流れ出すのです。
コレは27歳の自分が知った現実。
夢と現実の違いもわからないまま、不幸とは突然足音をかなでるのです。
フォローワーが1人増えた記念。
スターウォーズ並みに物語をもっともっと巻き戻そう(スターウォーズちゃんと見たことないけど…笑)
生まれたときは両親に見守られて、祝福されて生まれてきたんだろうなと
この日は自分にとって、一生忘れられない日となった
この日を境に、自分の人生がこんなに大きく変わるとは思いもしなかったし
自分の今いる世界が、リアルなのだという事に気付くのにはあまりにも遅すぎた
大バカヤロウ
父親が死んだ
享年58歳
世間一般的に見ると早い方ではあるのかなと
わざわざこんなコトをここに綴るのは、同情して欲しいからとか
なぐさめて欲しいからとか、そういうのじゃなくて
単純に自分がこの気持ちを忘れてしまうのがコワイからで
自分への戒め
死なんて誰にでも起こるうる事象の一つで
どうせみんないつかは死ぬ
ただ、自分が言いたかったのは、そういうのじゃなくて、
ただひたすら
めちゃくちゃ後悔してるんやっていうこと
無くなってから気付くオロカモノ
その日はいつも通りの朝だった
朝一、弟からの着信があって、いつも通り面倒くさいから無視したら
何か引っかかったところがあって
珍しく
すぐに折り返し電話をした
電話は直ぐに繋がった
簡単なことだった
今から父親が手術に入ります、と
手術したら下半身不随になります、と
マジですか、と
覚悟はしていたはずだった
もともと心臓が悪くて
10年程前にも一度倒れた事があった
その時は自分も小さくて
父親が血を吐いて、救急車で運ばれて行く姿を
泣きながら見てるしか無かった
あるていどの覚悟はできていた
もう自立してるっていうのもあってか
意外に冷静に病院に向えた
でも内心、お金が無いから帰るかどうか迷っていた
最低な人間
病院に着くと、手術はもう始まっていた
その時の自分は
母親が色々な選択を迫られてたことすらも知らなかった
長い手術になるから、5~6時間はかかると言われ
家族控え室みたいな所で、ひたすら待機させられた
母親と、ばあちゃんと、弟、それに父親の妹と妹の旦那さんが来ていて、
当然のことながら全員静まりかえっていた
でも自分だけがその雰囲気に馴染めず、部屋を出たり入ったりを繰り返した
何度か部屋の出入りを繰り返していると
トイレに向かう母親と廊下ですれ違った
その時ふと
アレ?
おかんってあんなに小さかったかなっと思った
それから部屋に戻って、ばあちゃんの顔をちゃんと見たら
自分が思ってた以上に、シワくちゃで、弱々しかった
父親の妹も旦那さんも、自分の記憶の中の姿とは全然違って、
白髪もシワも増えて、昔より小さくなっていた
そこで初めて、自分が東京でご機嫌に過ごしている間にも
時間は確実に経過しているのだということに気が付いた
6時間経っても、7時間、8時間経っても看護士さんから呼ばれることは無かった
9時間後、やっと看護士さんが一人部屋に現れた
そこで、全員の顔つきが変わったことにも気付いたし、
看護士さんの表情から、
事態は自分が思っている以上に、悪いのだというコトに気が付いた
それでも多分
自分の中で楽観視してるところがあったのだろう
自分だけが冷静な気がした
まるでドラマみたいに、身内の人間が別室に呼ばれて、
僕と母親と父親の妹が話を聞くことになった。
ばあちゃんと弟は旦那さんに任せた
手術を行ってくれていた先生が現れるまで
自分以外の二人がそわそわしているのがすぐにわかったが
先生が現れると、一気にその雰囲気も変わった
疲れきった表情で
先生が今の父親の状況を
ホワイトボードに絵を描きながらご丁寧に説明してくれた
でも、難しいことばっか言われて、ほとんどよくわからなかった
こうしたけど無理で、次にこうしたけど無理でした
もしこうするには、こうするしか無いけど、
これが邪魔をしてできません
みたいなことを長々と説明されて、
もうさっさと結論を言ってくれ、と思っていたら
母親が、それはつまりどういうことですかと、代わりに聞きだした
そしたら先生が
もう2時間以上心臓が止まっています
もうこれ以上行える手段がありません、と深々く頭を落として言った
その瞬間
自分以外の二人が
崩れ落ちながら泣き出す姿がスローモーションで見えた
でも自分だけが泣くに泣なかった
なんか意外に冷静で、
え?それで終わりですか?
つまり父親は亡くなったってことですか?
みたいなことを先生に聞いた
その後は僕がばあちゃんたちを呼びに行き、
先生の口から現実を伝えてもらった
当然のことながら全員声を出して泣いていた
ばあちゃんは自分の息子が自分より先に亡くなった悲しみから
立ち上がることすらできなくて
車椅子で部屋から出された
でも自分だけは本当に実感が無くて泣けなかった
それから数時間経って、
亡くなった父親と会えることになった
みんなすぐに会いに行ったけど、自分だけは病院のロビーで待っていた
あまり受け入れたくない現実ではあったし
タイミングをずらして父親に会いに行くと
みんなさっきよりも泣いていて、疲れきっていた
父親の妹に、声をかけてあげてと言われたけど
亡くなった父親を目の前にして
全く何を言ったらいいのかもわからずに
ずっと死んだ父親の顔を見ていると
手も顔もシワだらけで、頭には白髪も増えていたけど
めちゃくちゃ穏やかな表情で
いつも通り寝ているようにしか見なかった
でも触ると冷たくて、何もしゃべってくれなくて
これが死なんだって
人間は死ぬんやってことに初めて気が付いた
そこからは色んなことが自分の中でリアルになっていった
父親を家までつれて来るのにも、めちゃくちゃお金がかかった
葬儀の準備も長男である自分が主体になって動き出すことになり、
リアルな金額を葬儀屋から言われ、
あぁ結局生まれてくるときも死ぬときも、莫大なお金が必要なのだと
気付いた時、自分の中でお金の重要性がわかった
やっぱ結局、世の中お金なんやと
母親は数百万円の見積もり書を見ても、仕方ないかみたいな感じやったけど
自分は内心これからの生活を考えると
こんな簡単にこんな大金を支払って大丈夫かなのかなと心配した
お通夜の日の朝、
僕の苦手な、めちゃくちゃコワイ父親のいとこのおっちゃんが、
亡くなった父親に会いに来た
正直、会いたくなかった
小さい頃から、このおっちゃんが来る時だけは家に帰らないようにしていた
予想通り、おっちゃんが家に来てすぐに
僕を一人呼び出した
亡くなった父親の横に呼び出されて、二人で話をすることになった
嫌やなと思いつつも、なんとなく話をしていたら、
おっちゃんが父親の昔話を始めた
よくよく考えると、
父親から自分の昔話をそんなに詳しく聞いたことが無かったから
色々と興味深くて気付けばおっちゃんの話に聞き入っていた
おっちゃんは、僕のじいちゃん、つまり父親の父親が亡くなる瞬間に立ち会ったらしい
じいちゃんは、僕の父親が21歳の時に亡くなっていて、僕自身会ったことはない
死ぬ間際におっちゃんは病院でじいちゃんに
うちの父親のこと、ばあちゃんのこと、父親の妹のことを
頼むって言われたらしい
だから、時々お前の家にも様子を伺いに来てたんやって言われた
逃げてんのは知ってたけどな、と言われた
話を聞いてるうちに、おっちゃんが僕が全く知らない事実を話しだして、
そんなことも知らなかった自分に嫌気がさした
父親から昔よく引っ越しをしていたことは聞いていたけど、
その理由までは聞いたことが無かった
その理由が借金だったことも今まで一度も聞いたことが無かった
おっちゃんいわく、じいちゃんはめちゃくちゃ交友関係も多くて、
面倒見がいいが為に、保証人になってその結果、借金を背負わされたらしい
それで、残った借金を父親が一人で返済してたらしい
ホンマに自分が情けなくなって
何も知らなかった自分が恥ずかしくて
そこで初めて涙が止まらなかった
別に金持ちじゃなかったけど、正直何の不自由もなく今まで育ててもらった
大学にも行かせてもらったし、専門学校にも行かせてもらった
それでも自分の中で、親に対する尊敬とか、感謝とかを周りの人たちほどしてない
自分を知っていて、
自分が親に守られてたこと
どれだけ自分がボンボンやったかに気が付いて
悔しくて、父親に申し訳なくて仕方が無かった
だってアイツは自分が借金してたことなんて
今まで一度も自分に漏らしたこと
なんて無かったから
苦労してた雰囲気とか本当に一度も出さなかった
ただ保証人にだけは絶対になるなと
昔からの言い続けられて来た
理由を初めて理解した
一人で朝も夜も働いて、妹とばあちゃん養って生きながら、
借金返してたって何やねん
マジでそういうこと言えよ、エエカッコすんなよって死なれてから思った
自分の知ってるアイツは、夕方5時には家にいて、帰って来てはリビングで
ゴロゴロしてる何もしない奴
祝日は確実に家でゴロゴロしてて、美術以外には別に趣味も何も無い人間
だと思っていた
なんやねん、それ
しんどいんやった言えよ。
じいちゃんが死んでから、ばあちゃんが寂しいっていうから
いつもリビングでばあちゃんの側にいたってなんやねん
ゴロゴロしてる理由も言えよクソ親父
申し訳なくて仕方がないやろ
こんだけ自由にさせてもらって、勝手に東京に出て行って、
お世話になっておきながら、
最後の最後に父親に会うことすらもできなかった
それが本当に申し訳なくて、悔しくて仕方が無い
生まれきた時は両親に見守られて、生まれてきた
なのに自分の父親の死ぬ直前に会えへんかった
最後に会った9月
もっともっと色々と話とけば良かった
後悔してるんや
何で最後の別れ際
ケンカなんかしてしまったんやろ
最後に交わしたコトバが皮肉やった
ことが
自分の中に一生付きまとうのだろう
こんなコトする為に自分は生きて来たんじゃない
お葬式の夜
父親の前で手を合わせて謝りまくったけどなにも変わらなかった
死んでからじゃ遅いんや
これはゲームじゃないから
ずっと働いて働いて
自分のことなんかそんなにしてる感じにも見えへんかったし
そんな人生でホンマに良かったんかなって
何が楽しかったんやろうって
なおかつ息子がこんなバカじゃ父親も報われない
火葬のとき、父親が燃やされるのが嫌やった
出てきた白い骨を見たときこれがリアルなんやって
人間は死ぬんやって思った
正直父親の骨は全部拾ってやりたかった
でも骨壺には全部は入らなかった
父親が亡くなってからはあっけないもので、
何事も無かったかのように決まり事だけ行われていった
父親は想像以上に偉大だった
本当にそう思う
これからは自分が母親も、ばあちゃんも弟も父親が昔やってた様にしないといけないのだと思う
だから実家に帰ることを決めた
東京での生活は楽しかった
ここで帰らないと父親に申し訳ない
そう思った
母親は自分からは何も言わない人間だから
どうせなにをやっても後悔するんや
自分の最低さを再認識する一週間だった
この罪の感情を表現するには
コトバはあまりにも少な過ぎた
これが僕の罪と罰です
2012年2月
三年間過ごした東京を後にして
実家へと帰った
映像も辞めて
何か給料のいい仕事でもしょうと考えていた自分に
数週間後
ヤギから連絡が入る
「タカキ、ビジネスの話でもしようか?」
そしてあの曲へと物語を繋ぐのです
ステキな負け犬のラヴソング
stunning under dog
オロカモノ
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