ひとの一生

バイリンガル教育の現場から

【はじめに】

生まれも育ちも仕事もすべて日本だったわたしが、三十代半ば、アメリカに移住することになりました。単身ならまだしも、幼子を連れての大変貌。

もしもわたしが、十代で渡っていたら、二十代で渡っていたら、もちろん苦労もするでしょうが、今とは全く異なる苦労だったと思います。

日本ならば、どんな風に小学校が始まって、どんな風に大きくなっていくのか、自分の過去をたどればだいたいのことは分かります。時代は変わって、いろいろなことが変わっても、やっぱり根っこは同じだから。文科省は少しずつ変化しているだろうけど、たった数十年で大変革はしませんし。

が、しかし、ここはアメリカ。ここで教育を授かっていればわかることも、だいぶ頭が固くなってから来たために、「え?」「どうして?」の連続なのです。毎度毎度、とまります。それは何のためにあるのか、さっぱりわからないからです。

そしてここで子育てをする人の多くが、子どもをどのようにバイリンガルに育てるのか、ということに苦心しています。

それはまったくもって簡単じゃない。一年、二年、アメリカの学校に通えば英語を話せるようになるなど、幻想です。(もう一度)幻想です。

バイリンガルと書けば、エリート教育のように聞こえるかもしれませんが、なにもエリート教育をしたくてバイリンガルに興味があるわけではありません。それは外国で暮らしていこうと思えば、外国で暮らしていくことを選ぶなら、必然だからです。日本人が外国で暮らしていくということはつまり、家庭で話される会話と外(学校・病院・公園・店など)で必要となる言語が異なるということ。生活を安全に滞りなく送るということは、中でも外でも活動していくということですから、自然ふたつの言語が必要となる。

言語が異なる。それがここでの暮らしのスタートなのです。

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