抜き打ちテストのパラドックス
抜き打ちテストのパラドックスとは、予測に関するパラドックスである。「予測できない時に起こる」と伝えられた未来の出来事について、いつ起こるか予測しようとした場合に生じる。「予期しない絞首刑のパラドックス(unexpected hanging paradox)」とも呼ばれる。同様のパラドックスとして「予期せぬトラ」「予期せぬ卵」「赤い帽子」などがある。
1943年か1944年にスウェーデン放送会社が、来週民間防衛練習が行なわれて民間防衛隊の能力がテストされると放送したが、当日の朝になっても誰もそれを予言することができなかったという話が知られているようである。
内容は以下のようなものである。
ある教師が、学生たちの前で次のように予告した。
「来週抜き打ちテストを(1度だけ)行う。抜き打ちなので、その日を予測することはできない。」
これを聞いたある学生は、以下の推論の結果「抜き打ちテストは不可能である」という結論に達した。
まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。これでは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
以下同様に推論していくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。したがって、「いずれの日にも抜き打ちテストを行うことができない」という結論になる。
しかし翌週月曜にテストは行われた。学生は全くテストの日を予測できなかったのである。すべては教師の予告通りになった・・・
まず翌週の授業日が月曜1日しかない場合を考えてみよう。
教師の発言は以下のようにまとめられる。
(Ⅰ)「来週試験を(月曜日に)実施する」
(Ⅱ)「試験日(月曜日)を予測することはできない」
教師の発言に矛盾があるのは明らかである。(Ⅰ)が正しいのなら(Ⅱ)は不合理である。また(Ⅱ)が正しいのなら、(Ⅰ)を主張することはできない。全ての学生はこの矛盾に当然気づくはずである。ある学生は「試験はない」と判断し、また別の学生は「試験は行われるが、“抜き打ち”とは呼べない」と判断する。そして教師は試験を実施する。1日しかない授業日に。そして前者の学生に対しては、試験を予測できなかったことを指摘するであろう。また後者の学生に対しては以下のように指摘する。
「あなたは私の発言に矛盾を見出したはずである。その結果、あなたは推論が不可能になるはずである。つまり、私の発言は全く信用できないので推論のための材料がなくなり、試験があるかないかの判断ができなくなるはずである。あなたが“試験はある”と判断した根拠は、私の“抜き打ちテストを行う”という発言を半分信用したからである。私の発言には矛盾があり、信用してはならない。だから試験があるかどうかも分からないはずである。あなたの推論は正しくないので、今日のこの試験を予測できたことにはならない。つまり試験を予測する材料はなく、さらに試験は実施された。抜き打ちテストは成功した。」と。
ただし、教師も自分で認めているように、教師の発言には矛盾がある。矛盾を認めたうえでの“抜き打ちテスト”なので不条理であることは間違いない。以下、論理記号を用いて表してみる。
P:「来週試験を実施する」
と表すことにする。否定の記号は正式には「¬」を使う。
すると教師の発言は以下のように形式的に表すことができる。
T:(I)P (Ⅱ)¬(T⇒P)
(Ⅱ)のTに(Ⅰ)が含まれるので、¬(P⇒P)より矛盾が生じてしまう。そこで以下のように書き換えればどうであろうか。
T’:(I)P (Ⅱ)¬(Ⅱ⇒P)
推論の際に、「来週試験を実施する」ことを仮定として用いなければ、「月曜に試験をする」ことは推論できないであろう。
このことを考慮すれば、後者の学生に対しても次のような矛盾のない指摘が可能である。
「試験が実施されるまで、試験がいつ行われるか断定できない。私は“来週試験を実施する”と言ったが、試験が行われる前の発言であり、確実なことではない。したがってそのことを推論の仮定として用いてはならない。すると“来週試験を実施する”ことを結論づけるのに十分な仮定がない。そのような意味で私の(Ⅰ)および(Ⅱ)の発言に矛盾はない。そして実際に試験は実施され、(Ⅰ)の正しさが示された。発言(Ⅱ)に関しては試験の前後で変化はなく、そこで矛盾なく、“抜き打ちテスト”が実施されたことになる。」
続いて、翌週の授業日が2日ある場合を考えてみる。
教師の発言は以下のようにまとめられる。
(Ⅰ)「来週試験を実施する」
(Ⅱ)「試験日を予測することはできない」
1日目に試験を実施しなかった場合、次のように変化する。
(Ⅰ’)「次回試験を実施する」
(Ⅱ)「試験日を予測することはできない」
論理記号を使って表すと以下のようになる。
P1:「1日目に試験を実施する」
P2:「2日目に試験を実施する」
T1:(Ⅰ)P1 or P2 (Ⅱ)¬(T1⇒Pi) (i=1,2)
1日目に試験を実施しなかった場合は、
T2:(Ⅰ’)P2 (Ⅱ)¬(T2⇒P2)
となる。
T2は、授業日が1日の場合の発言と同じになるので、このままだと矛盾が生じる。そこで学生は「1日目に試験をしないと矛盾が生じる」と推論する。矛盾を回避するには「1日目に試験をするしかない」と推論する。すると(Ⅱ)から再び矛盾が生じる、という仕組みになっている。
しかしここでよく考えなければならないことがある。「1日目に試験をしないと矛盾が生じる」からといって「1日目に試験をするしかない」と結論づける必要はない。そのように考えれば、T2 からは矛盾が生じるが、T1 からは矛盾は生じない。したがって1日目に試験を実施すれば、それは“抜き打ちテスト”と呼ぶことができる。また、この推論によって「1日目に試験をするしかない」と学生が結論づけることもできない。なぜなら、矛盾が生じることを覚悟の上で、1日目には試験を実施しない、という選択をすることが常に可能だからである。
私が最初にこの種のパラドックスを知ったのは大学生の頃であったと記憶している。論理学系の本の中に「予期せぬトラ」という謎かけがあった。5つの部屋のうち1つだけにトラが入っていて、1番から順番に開けなければならない。予期せぬ部屋にトラがいるだろう、という論理パズルである。
抜き打ちテストとよく似ているが、トラが部屋に入れられる現場を見ている、という点が異なる。もちろんどの部屋に入ったかをはっきり見ている訳ではないので、実はいない可能性もあるし、全ての部屋にいるかもしれない。そこで「予期せぬ卵」についてであるが、箱の中に入れるところをはっきり見せた上で箱を入れ替え、番号順に開けさせる。
どの箱かは分からないが、必ず箱の中に卵が入っていることが情報として与えられているので、その点が抜き打ちテストと異なる。
箱が残り1個になったとき、その箱の中にあることが断定できるので、この場合は予測可能となる。
次のようなゲーム「Eカード」を考えてみよう。
プレイヤーは2人で、それぞれ5枚のカードを持っている。
お互いにカードを提示して勝敗を決める。
1人はEカード1枚とCカード4枚、もう一方はSカード1枚とCカード4枚をそれぞれ持っている。Cカードどうしは引き分けとする。
EカードはCカードよりも強く、Sカードより弱い。SカードはCカードより弱く、Eカードより強い。
明らかに、Eカード側が有利である。Sカード側が勝利するには、相手のEカードを見抜いてSカードを出さなければならない。
もしEカード側が次のように発言したらどうであろうか。
「私が何回目にEカードを出すか予測することはできない。」
4回目まで勝敗が決定しなかった場合、5回目でSカード側の勝利が決まる、と考えるのが正常である。そこで、双方に予備のCカードを1枚ずつ与え、これを使ってよいとしたらどうであろうか。
お互いに負ける心配はなくなるだろう。ただしドローゲームが続くことになる。このとき、4回目まで勝敗が決定しなかったからといって、5回目にどのカードを相手が出すか予測することはできない。その意味で、Eカード側の発言は正しいと言える。
もし、さらに次の発言をつけ加えるとどうであろうか。
「私は必ずEカードを出す。しかし何回目にEカードを出すか予測することはできない。」
もし、4回目までに勝負がつかなかったとする。Sカード側は勝利を確信して5回目にSカードを出すと、Eカード側は予備のCカードを出すかも知れない。発言は嘘の可能性がある。だからといって、5回目にSカード側が予備のCカードを出すと、E側は本当にEカードを出してくるかも知れない。この場合、発言は成就することになる。
5回目にEカードとSカードが提出され、S側が勝利したとする。
この場合も発言は矛盾なく成就される。なぜなら、Eカード側には嘘をついて予備のCカードを出す可能性が残されているので、5回目に必ずEカードを出す、と予測することはできない。たまたま読みが当たっただけである。勝負はS側の勝ちだが、E側の発言も正しい。