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政党と議員

会社と社員
学校と生徒
同じく組織と人員という関係にある政党と議員
それぞれに、組織の存在意義は異なりますが、社会の公器、という意味では同じなんだろうと思います。
とある大学の先生が、「議員を人で選ぶなら、政党は議員を育てなくなるでしょう」と指摘されたそうです。確かに、会社でも顧客が人で発注先を選ぶので、その仕事が属人的になり、社内教育が思うように進まなくなったり、高校でも、会社が人で採用を決めるので、高校では勤勉さに相当する教育が行われなくなったりする。そのようなことは容易に想像がつく事実です。

この度、とある議員が、これまたとある議員の過去の素行を追求する場面がありました。日本の社会全体としては「報道の自由は十分に担保されており、どちらかといえば、それぞれの議員に対する人格攻撃の方が目に余る」という気がしています。

各議員の素行については、時折々の社会の判断にゆだねることができますが、政党の評価は、それほど評価の対象になることはありません。これは「報道機関と記者」と同じく、報道機関が評価の対象になりにくいのと同じで、組織と人員という関係にある課題と共通するものなのでしょう。

「社会が、人のみを評価するなら、組織は人を育てなくなるでしょう」

組織が社会の公器であるにもかかわらず、そんなことが起こり得るなら、そんな「個の時代」といえる社会現象自体が、社会の成長を妨げているのかもしれませんね。

この度、生まれて初めて、地方議会議員選挙に参加しました。
残念ながら、わたしは組織を評価する選択肢がなく、意義ある選択をすることができませんでした。
みなさんは諦めることなく、社会を成長させる選択をお願いします。

くまさん政策研究所 diob

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