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9年

震災当時私は東京都北区赤羽のちいさなアパートに住んでいました。朝方まで仕事をしていたので、大きな揺れで目が覚めました。テレビですぐに東北が危ないと知りずっと電話をかけ続けて弟と繋がり、「みんな大丈夫、実家にいる」と。しかしその直後大津波警報。実家は海から直線1キロくらいのところ。もちろんその後は連絡がつかず。心配を通り越した気持ちのままとりあえず仕事場へ。東京も大変な状態、当時の親方に断りを入れてずっと電話をかけ続けながら仕事。しかし、電話はもちろん繋がらず。波にのまれ火災が発生した石巻の映像をテレビで見てるしかなかった。

たまたまその日来ていた常連のIさんが「石巻帰るなら私の車使っていいよ!壊れていいから!」

涙が出るほど嬉しかった。親方にも休みをもらい、他の常連さん、同業者さん達からも餞別や物資をいただき、石巻の友達4人と物資でギチギチになった車で石巻へ。ガソリン問題を解決するためにガソリン携行缶を購入するため茨城経由で北上し、栃木や福島のスタンドで手動でガソリンを給油したり。道が塞がれ古川経由で真っ暗な石巻に入り結局24時間以上かかった。

蛇田にある祖母の家が浸水していなそうだったので真夜中に行って仮眠をとらせてもらった。「みんな無事だよ」ホッとした。

一緒に行った友達の家族の安否も朝方からの情報集めで全員無事であることがわかった。

あの日見た故郷の景色は一生忘れない。いくら時間が経とうともあの日石巻にいて支えられなかった悔しさは忘れない。

石巻に戻り起業しようと思ったきっかけは確かに震災にあるのだと思う。

9年

すごく短く感じる。

毎年この日は考える事が多い。

当時から私はいろんな方に支えられて生きているんだと思います。



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