放任主義で自然な成長を支えよう
記事を見てくださり、ありがとうございます。
今回は、適切な放任主義こそ人の成長を支えるのではないかという
話をします。これはもちろん私の持論であり、絶対的なものでは
ありませんので、あくまで一意見として参考にして下されば幸いです。
私は博士課程に在籍する大学院生です。
博士課程まで進学すると当然ですが、先輩同輩よりも後輩の方が
多くなります。後輩が多くなると必然的に何か教える機会も
多くなってくるわけです。ですから、私の周りの博士課程進学者には
張り切って後輩の指導をしている人も少なくありません。
しかし、私は後輩に最低限のことしかしません。
理由は2つあります。
1つ目は、教えられる側の人の行動を制限するからです。
私的にはこれが一番の理由となっています。
人が何か教えるときは、立場が上であることがほとんどです。
つまり友達同士の頼みや誘いと違って、教えてくれようと
しているのを断るのは心理的に難しい場合が多いです(※1)。
一方で、人間は選択の自由がないと幸せになれない生き物です。
これは多くの心理学者が支持している「自己決定理論」(※2)
で理解できる他、私は自身の経験によっても理解できます。
私は昔からそうなのですが、束縛されることが大の苦手です。
やらされることが無意味でないと分かっていても、
何だか時間を無駄にしているような気がしてしまうんですよね。
教えるということは、教えられる人の選択の自由を奪う
ということを覚えておきましょう。
2つ目は、干渉することは信頼していないことの裏返しだからです。
皆さんは小さい頃、お母さんに部屋を片付けるように言われ続けて、
余計にやる気がなくなったことってありませんか?私はあります。
どうしてやる気がなくなってしまうのでしょうか。
私は「信頼されてない」と感じるからじゃないかと考えています。
お母さんが何度も声掛けをするのは、
「何も言わないといつまで経ってもこの子は部屋を片付けない」、
そう思うからでしょう。そこには「この子は信頼できない」という
メッセージが含まれています。信頼されなければやる気が出ないのは
当然です。逆に何も言わず、「あなたを信頼しているよ」という
無言のメッセージを伝えることが出来れば、子供のやる気は自然と
出てくるでしょう。放任は人の自然な成長を促すのです。
以上の理由から、私は後輩に対して放任主義のスタンスでいます。
但し、完全な放任をするかというとそうではありません。
研究を始めたばかりの後輩だと、あまりにも知識が足りないため、
何から手を付けていいのか分からないでしょう。
ですから、研究環境の構築や研究の進め方に対する
おおまかな説明など、初めの一歩だけは私から教えます。
あくまで自然な成長をさせるためのキッカケだけは与えなくては
なりません。それ以外のときは、私から何かすることはありません。
種だけ蒔いて、あとは自然な成長を見守るのがいいのでは
ないでしょうか。
ということで、適切な放任主義こそ人の成長を支えるのではないかと
思った話でした。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
脚注
(※1)せっかく教えてくれようとしていて申し訳なく思うと
いうのもありますね…。
(※2)エドワード・デシとリチャード・ライアンによる、
人間の基本的欲求は「関係性」「有能感」「自律性」の3つである
とする理論です。「関係性」とは他者と深く結びつき、互いに
尊重しあう関係を築きたいという欲求で、「有能感」とは周囲への
影響力を持つことや、それによって何かを得ることに関係する欲求、
「自律性」とは人間の選択の自由に関する欲求です。