鶏塩つけ麺
その日は役所で転出届を発行する必要があった。大倉山駅で降り、以前働いていた塾の前を通り、健康診断の入口には惑わされず、役所に通ずる自動ドアをくぐった。
どの窓口が適しているのか、キョロキョロと探していると中年の女性が近づいてきた。要件を聞くと1枚の紙を渡してきた。どうやら転出届発行に必要な書類らしい。名前やその時とその時以降の住所を記入し、指示通り21番窓口へ。
幾つかの身分証明書を見せると、職員が勝手に転出届に必要な処理をしてくれる。その様は商品が出来るまでのベルトコンベアーの流れ。
そうそうと年金手帳が必要なことに気づき、転出届を待っている間、年金関連の25番窓口へ。おじさんが相手をしてくれた。どうやら20歳の誕生日付近で必ず年金手帳は送られている模様。再発行をしなければならなくなった。おじさんに年金事務所の場所を聞き、転出届を受け取ると、徒歩15分の旅が始まった。スナフキンのような旅のための旅ではなく、年金手帳再発行という具体的な目的のための旅だ。
交通量が多い車道を横目に、僕はとぼとぼ歩く。年金事務所の行き先が書かれている看板を見つけ、その矢印通りに曲がろうとすると、あのラーメン屋が。親が離婚したのをきっかけに引越した家。その近くにある、あのラーメン屋。物が溢れかえり、足の踏み場もないあの家の近くのあのラーメン屋。鶏塩つけ麺をよく食べていたな。紅茶に貝殻を模したお菓子を浸した時の様に、思い出が魂の底から僕を包み込んだ。行かなければ。年金事務所より先に、行かなければ。
思い出通り、その扉は引き戸であった。愕然とした。食券機を見つけ、あの鶏塩つけ麺を探すも無かったのだ。何度も見た。あるはずのない丼のページも見た。しかし無かった。これが時の流れか。不可逆な時間、僕はそれに逆らおうと無駄に足掻いていたのか。過去は過ぎ去っているのだ。
僕は肉つけ麺を食べた。外にある灰皿の横で、ここらには一生来ないだろうな、とタバコの灰を落とした。