嫌いな考察の考察
昨今、考察が流行っている。
ワンピースでは「黒ひげの正体考察」や「ひとつなぎの財宝についての考察」などがあり、他作品に関しても考察が溢れている。
特にYouTubeを開けば考察チャンネルのようなものが乱立しており、流行っている、と言えるだろう。
私は現代に吹き荒れている考察流行が嫌いだ。
考察とはA→B→未知のCと論理的に次なる展開を予想すること、或いはC→B→Aと物語初期の行動の真なる意図を解き明かす行為である。
漫画作品をピタゴラスイッチのビー玉装置として取り扱うことを要請し、それを前提として行われる理性的行為である。
私はこの行為が蔓延する現状が嫌いだ。
私が望む物語は、現実の延長、或いは異なる現実の記述である。
即ち、論理性のみに支配されているのではなく、非論理性もエッセンスとして含まれていてほしいのだ。
キャラクターが嫌いな食べ物を食べる描写があったとする。
考察者はそこから別人説を考えつくかもしれない。
私はそこから現実的な非論理性を感じ取りたいのである。たまには嫌いなものに挑戦してみたくなる時もあるだろう。仲間が美味しそうに食べているのを見て、今日はいけるんじゃないか?と食べてしまうこともあるだろう。
現実には正解は無い。しかし考察は、作品に答えの存在を前提とする。
そしてこの見方が流行れば、流行り商売である大手漫画誌には答えのない作品が掲載されなくなってしまうのでは、と怖くなる。
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