グラスの水の中の氷
ファミレスで勉強や読書をしている時の机の上は、定式化されている。
本或いは参考書と、頼んだ食事に、水の入ったグラスが机の上にあり、それぞれを消費したい時にそれぞれを手に取る。
本を読んでいると、カランと音が聞こえる。グラスの水に入った氷が立てた音だ。
氷は歪なバランス感覚で水の中に入っているが、時間が経つごとに溶けて、これまでの接地面が溶けて、バランスを保てなくなり、終いには音を立て、新たなバランスを獲得する。
僕はいつも驚かされる。唐突なカランは落ち着きが支配するファミレスの席に緊迫感を走らせる。ドキリとするが、氷が立てた音だろうと分かっているので僕は原因を探らない。
緊迫性は予想外な出来事によって起こされる、と思う。地震は、地震なんて来ないだろうと安心している中で起こるからあれほど怖く、地震に対して身構えていてはただの答え合わせのように、一定の恐怖を機械的に抱き、消化できるだろう。
氷は溶けるものだ。だが氷の音は緊迫性を有する。水の中の氷は忘却を前提としているのか。即ち、水の中に氷があることは、忘れる、或いは意識外に追いやられる程度のことであり、それに対する反抗のカランなのか。
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