スーツを着る人間になった

毎朝スーツを着て満員電車で乗り込む人間になった。
改札を抜けて、セキュリティゲートを抜けて、デスクに座ってパソコンをいじってる。データドリブンなど、カタカナ語を使ってそれっぽく振る舞ってる。
お客様先へ向かい、そこでもセキュリティゲートを抜けて、様々な作業や会議に出る。
たまに上司に業務改善を提案して、自分は何て意欲的なんだ、と満足する。
今日は上司が他部署の偉い人を連れてきて、その人にも業務改善案を説明した。
るんるんと帰路に着く。

しかし何て色褪せた景色なんだろう。
多分安泰な企業で、人間関係も良好だが、以前のようにちょっとしたことに目を向けられなくなった。
きっと人間にはキャパシティがあるのだろう。向けられる視線は有限であり、何かを得れば何かを手放さなければならないのだろう。
それが僕には意味なんだろう。様々な業務の目的を見出し、組織内でどのような価値を発揮できるだろう。そんなことに注力するから、日常行為の意味など問えなくなってるのだろう。
小説を読むことも小難しい哲学書も、漁るようには読まなくなった。満足しているが、味足りない。
しかし、コーヒーに砂糖を入れなくなったように、餃子のタレにラー油をかけるように、「大人」になるとはこういうことなんだろう。しかし、寂しい。

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