ミリシタ『ソナー』追加によせて——「白鳥」の暗示するもの
『アイドルマスター ミリオンライブ!シアターデイズ』に、水瀬伊織の『ソナー』がやって来たのは昨日、2023年5月27日のことだ。
このメインコミュのタイトル「空の青にも、海の蒼にも」。すでにリプライにも指摘があるように、流浪を好んだ詩人・若山牧水(1885-1928)の代表歌『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ』がそのモチーフであることに疑いようはない。牧水は決して芭蕉や啄木、あるいは俵万智のそれほど世間一般の知名度は高くないが、なおほとんどの日本人はこの詩を一度や二度、国語の教科書などで目にしたことがあるだろう。
「なぜ若山牧水なのか?」この問いに答えることは、ある意味で容易くもあるし、またある意味で困難でもある。それは、若山牧水と水瀬伊織との心情を推し量ることだけでなく、さらに他の背景も考慮に入れることがより深い没入感を享受することにつながるためであるからだ。ここで、自分の考える「牧水と水瀬伊織との交わり」についてある程度纏めておこうと思う。駄文で自己満足も甚だしいnoteになることは必定ではあるが、興味のある方はよければ目を通してほしい。
水瀬伊織としての「白鳥」
水瀬伊織は765プロダクションのアイドルで、そこに関して疑う余地は発生しないだろう。特異な位置を占めると指摘する者は、彼女が大企業の水瀬財閥の令嬢であることを知り、それを重視する者。そしてその人数は無視することはできないほどなのである。
今回のコミュでもそのような人間は現れた。とある会社の会長は、どうやら水瀬財閥の人物——伊織から見ると父親や兄にあたる——と親交があるようだ。彼は伊織を「水瀬財閥のムスメさん」として高く評価する——彼女を目の前にして。
水瀬伊織は苦しむ。これまで父や兄の力を借りてアイドルをしてきたつもりなど全くない。自分に自信があるのは、自分ができる限りの努力を膨大な数積み上げてきたからだ。そう思っていたことが、「私」を見ていないどれほどの人によって崩されそうになってきたのだろう?いつまで経っても「私」は「伊織」ではなく「水瀬」として阿りをされてしまう。どれだけ努力をしても、どれだけ何をしても駄目なら、私はいったいどうすればいいの......?
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」という故事成語をご存じだろうか。「小さい人物には大きい人物の気持ちなどわからない」という意味である。「燕雀」は「つばめとすずめ」、「鴻鵠」は「おおとりとくぐい」。「くぐい」は現在の「白鳥」にあたるという。煩悶していた伊織を救ったのは、ともにステージに立つアイドルたちと、「有能な」プロデューサーの言葉。伊織が「鴻鵠」なら、プロデューサーは「燕雀」?違う。秋月律子は「アイドル同士はライバル。プロデューサーに相談するといい」と発破をかけた。だから「アイドル」は「鴻鵠」で「プロデューサー」は「燕雀」になる、と考えることも不自然ではない。しかしプロデューサーは伊織の悩みに気づき、少し回りくどい方法で解決しようとする。スーパーアイドル伊織ちゃんの、「水瀬」と「伊織」との間で揺蕩っていた感情は「鴻鵠」でも、そんなことにも気づいてしまう「あなた」は、"だって白鳥じゃ無いでしょう"。
そんな「あなた」には、やっぱり伊織は"染まりきる"ことができない。普段強がりを含んだ罵倒をよく浴びせるのもそういうことなのであろう。周りに頼りきることはしないのが私!と心に響かせた伊織は、笑顔を見せてステージへの意志を固める。
ライブの後、プロデューサーが「燕雀」たる会長に「伊織」を伝えるところを見て、伊織は駆けつけて宣言する。「私のライバルは水瀬財閥!」
蓋し「水瀬伊織」は「水瀬」の色には染まらない。しかし「伊織」だけにも染まらない。彼女の宣言はそういうことなのである。「水瀬」の力に頼ったアイドルなんてしない。私は「水瀬」を打ち負かす「水瀬伊織」。そのアイドルとしての生き様を見せてやる——このコミュ「空の青にも、海の蒼にも」で決意したのはこのようなことだったのではないか、と筆者は信じる。
おわりに
若山牧水は医者の家生まれであった。兄弟のうち長男であった牧水は、高等学校卒業後に宿命と言うべき家族の嘱望に晒される。しかし彼は、かねてより興味の大きかった文学の道を歩むことを決意し、何度も周囲を説得してついにその夢に邁進し、早稲田大学文学部へと進学することとなる。
その後歌人として活動を行っていく中、文学の道を応援してくれた父親の死などもあり、家族との関係は険悪になっていく。それでも自分の思いを貫いた牧水の詩人としての名声は、年を経るごとにどんどん高まっていった。
彼が1923年ごろに製作し、死後1938年刊行の『黒松』に収録された歌にはこのようにある。
水瀬伊織はこれからも、毎日の努力を怠らずに最高のアイドルとして輝き続けていくだろう。まるで竹のように、ぐんぐんと目まぐるしい速さで成長していく彼女のステージを、これからも見届けていこうと思う。