「他人の不幸は蜜の味」と思わない
「他人の不幸は蜜の味」と思わない。
物心ついた頃からそうだった。
蜜の味…?🤔
僕にとって他人の不幸は、
全然味がしないか、うっすら苦いイメージ。
大切な人の不幸ならめっちゃ苦いし、
興味ない人の不幸は興味ないから無味無臭。
おいしい蜜の味なら感じてみたい気もしたけど
…そこにはたぶん、落とし穴がある。
そもそもの話。
他人の不幸が甘く感じるのは
「自分と比較してるから」ですか?🤔
お金を大損した他人を見て
「僕もお金持ちじゃないけどあいつよりマシ」
と思うとか…
不倫がバレて離婚した人を見て
「僕は独身でさみしいけどあいつよりマシ」
と思うとか…?
もしこれが「蜜の味」の正体ならば、
僕は感じたくない。無味無臭でいい。
だって、その味を知ってしまったら
他人と比較するクセがつきそうだから。
上を見ても下を見てもキリがない以上、
見下す者は、見下されることも
受け入れねばならない。
つまり言い換えれば、
優越感(蜜の味)を感じたければ、
劣等感も受け入れて生きろ。ということ。
そして、僕の実感では
同じ大きさで比べたとき、
優越感よりも劣等感の方が強いと思う。
デメリットの方が大きいのである。
今日も他人の不幸は無味無臭である。
ホッとしている☺️