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新年のご挨拶と、ご先祖様

担当:田村

明けましておめでとうございます。
謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中は格別のご愛顧を賜り、心より御礼申し上げます。
本年も変わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

企業理念
水からひろがる、人とのつながり

経営理念
水の価値を、創り伝える

この二つの理念を基に2025年も皆様のお役に立てるよう日々精進して参りたいと思います。

皆様のますますのご繁栄と皆様のご健勝をお祈り申しあげつつ、新年のご挨拶とさせて頂きます。
 
さて2025年に入り、あっという間に1週間が経っておりますが、年末年始は皆さま、どうのように過ごされたでしょうか?

私は少しだけ時間がありましたので、田村家のご祖先様について調べてみました。

私の父親は福島県郡山市田村町で生まれています。
この田村町ですが郡山市になる前は田村郡に属しており、平安時代から戦国時代末期までは田村氏が支配する阿武隈川の東を田村庄として安積郡から分立しました。

武士の支配によって荘園がなくなると、田村庄ではなく田村郡と称されたそうです。

田村氏は、小さな国人領主の一つでしたが、一族をまとめて田村郡内を統一し、さらに勢力を拡大して戦国大名に発展して行きました。

話は少し変わりますが、実は私が幼少のころから父親や叔父、叔母から聞かされていたのが「田村氏25代当主であり三春城主、田村清顕と正室である
於北の一人娘である愛姫がいる。この愛姫算術(和算)を教えていた先生が私の父親の田村家直系のご先祖様である!家系図も残っている!」と何度も聞かされて育ってきました。

なんだか、直系とか家系とかラーメン家みたいだなと思い聞いていた記憶があります。

そしてこの愛姫は、あの戦国武将、初代仙台藩主伊達政宗の正室になります。

当時、愛姫算術の先生を担当するぐらいですから、田村氏の中でも家柄はもちろん信頼と教養があったのだろうと推測されます。

因みに当時の算術とは、今の数学や算数とは違い平安時代末期から室町時代にかけて中国由来の算術が伝えられており、陰陽道や暦学と結びつき、占いや農業暦の作成などにも使用されていたようです。

実はここまでは、昔から聞かされていたのである程度分かっていた事なのですが、

さらに調べて行くと、田村氏は平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂の末裔であるとも言われています。

坂上田村麻呂は、4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて征夷に功績を残したとあります。

これは有名な話ですが、当時、東北地方には大和朝廷の支配が及んでいませんでした。

田村麻呂は征夷大将軍に任命され、蝦夷の長である阿弖流為(アテルイ)との闘いを繰り広げました。

阿弖流為は優れた戦略家であり、田村麻呂もまた彼の人間性を高く評価しておりました。

蝦夷は古代から中世にかけて日本列島(東北地方・北海道)に住んでいた先住民族であり、独自の素晴らしい文化を築き農耕よりも狩猟、漁労、採集を主とした生活を送り、非常に温厚で中央の律令制とは異なる部族社会を形成してましたが、古代の日本中央政権(大和朝廷)は、その文化を恐れ「野蛮な民族」と見なし、征服の対象としました。

田村麻呂は蝦夷の素晴らしい文化を目の当たりにし、日本中央政権(大和朝廷)に蝦夷は討伐すべきではないと嘆願しましたが、その想いは通じず、
阿弖流為と阿弖流為の盟友である母礼(モレ)は田村麻呂率いる征夷軍に降伏します。

そして朝廷に送られた彼らは、助命を求める田村麻呂の進言にも関わらず日本中央政権によって処刑されてしまいます。

さらに坂上氏を調べると、坂上氏の祖は渡来系氏族である東漢氏阿知使主(あちのおみ)を始祖としてるという資料が出てきます。

坂上苅田麻呂(田村麻呂の父)の祖先の阿知使主応神天皇の時代に17県の人夫を率いて百済から日本へと帰従し、大和国高市郡檜前村(現在の奈良県高市郡明日香村)を賜って居住したとあります。

田村氏のご先祖様はやはり大陸からの渡来民族であったのか・・・と。

また一説によると坂上田村麻呂は瞳の色がブルーだったとの話も多く出てきます。

坂上氏の系譜の中に田村麻呂流という流派が出てきます。

坂上田村麻呂の子には大野広野浄野・正野・広雄・高道・春子、などがおり、家督は大野が継いだものの早世したことから、広野が継ぐも広野も早世し、浄野が跡を継いでいるとあります。

田村麻呂流の中でも大野系、広野系、浄野系の三系統を「坂上本家」というそうです。

ちなみに娘の春子は桓武天皇の妃になっていますので、もしかして春子は大和朝廷に人質とされたか・・・などと勝手な考察をしてしまいます。


話を戻しましょう。

田村氏の系統は、この坂上浄野(きよの)から派生してる家系らしいのです。

坂上内野 - 浄野の子
坂上顕麻呂 - 内野の子
田村古哲 - 顕麻呂の子 田村氏祖

どうやら田村氏はこの田村古哲から始まっているようです。

西暦2世紀~3世紀ごろ阿知使主が百済から渡来人として古代日本に来て、坂上苅田麻呂が阿知使主を祖先とし息子の坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、

その息子、坂上浄野が家督を継ぎ、ひ孫の田村古哲が田村氏の祖となり、

その子孫である田村清顕へと続き、その娘の愛姫は伊達政宗の正室になり、

愛姫に算術を教えていた先生が我が田村家の直系のご先祖様である、と。


何千年もの時を経て、今の自分がここに居ると考えると何かロマンを感じてしまいます。

これからの未来、7世代先の未来の子供たちのために出来ることを!

悠久の時の流れを想うと、この文章がとても響いてくるのです。


最後まで読んで頂き誠にありがとうございます。
2025年が皆様に幸多き年でありますようお祈りしております。


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