映画館の「立地」について
映画好きの人に映画館の魅力を尋ねると、様々な回答が返ってくるだろう。
自宅では味わえない大きなスクリーン。大迫力の音響。映画の魅力をより惹き出すこうした設備について言及する人が一番多いだろうか。深々と腰掛けられる、あの席が好きな人がいるかもしれない。ポップコーンやコーラなんかの、映画館ならではの飲食物が好きで通っている人なんかもいたりして。
自分も、映画館は大好きだ。自分にとって好きな理由は、「映画を見るだけ」というシンプルな目的のみの施設だから。このシンプルさが自分は大好きなのだ。
大きなスクリーンとか、音響とか、そういったものに魅力を感じていないわけではない。だけども、それは副産物。別に、小さなスクリーンでも、しょぼいスピーカーの映画館でもいい。とにかく、映画館という場所で「映画を見ること」がだいじ。
なぜかというと、映画館で映画を見ている時間は、映画と向き合うしかないからだ。まさに「映画を見るだけ」、それだけの時間。
スマホの通知も来ない。つまらないなと、思ってしまっても、PCやスマホで暇をつぶすこともできない。友人と来ていたとしても、喋りかけることもできない。2時間近く、その映画に対して、どこまでも向き合わないといけない。
ある意味、非効率で、馬鹿げた空間だ。だけども、だからこそ、映画館で見る映画は特別で、思いっきり映画の世界に没入できる。趣味まで効率性を求める「タイパ」とかいう文化だとか、ひっきりなしに色んな情報を通知してくるスマホだとか、そうした小うるさい俗世間と、真逆の存在だからこそ、映画館は愛おしい。
大好きなのが帰りの時間
映画館の魅力は、映画を見ているときだけではない。むしろ、帰り道にこそあると思っている。
エンドロールが終わり、場内が明るくなる。明確に、映画の世界が終わる。でも、余韻はまだ自分の中に大きくあって。この映画をどう評価しようか、どういう映画だったんだろうかと、そんなことを考えながら劇場を出る。
その途中も、キレイな絨毯といくつものシアターが並び、まだ日常感はない。そこも、映画館の魅力だ。映画を見る時にしか来ない、特別な場所だからこそ存在する、非現実感。これのおかげで、映画の世界からいきなり現実に引き戻されることはない。
さらに、レイトショーだったりすると、最高だ。ガランとした館内は、上映前の騒々しい様子と大きく異なる。映画の世界にいた間にも、進んでいた現実の時間を実感させる。そして、誰もいない売店や待合席の、その寂しさが、映画の世界が終わってしまって感じている寂しさとシンクロする。
この帰りの時間が、自分は映画館ならではの大きな魅力だと思っている。見終わった後から家に帰るまでの時間。あるいは、友達と感想をどのように語ろうかと悩む時間。あの時間が大好きなのだ。
映画館の立地は大事
だからこそ、自分は映画館の「立地」を重視する。ここでいう、立地というのは、便利さとかの、世間一般で言われている立地ではない。じゃあ映画館としての「立地」のいい、わるいってのはどういうことか。具体的に言おう。都内のTOHOシネマズでいえば、日比谷は大好きで、新宿は大嫌いだ。
なぜ新宿がダメかというと、映画館を出た瞬間に、歌舞伎町の喧騒の中に放り込まれるから。映画の余韻もクソもあったもんじゃない。職場の最寄りの映画館が新宿になり、よく行っていたのだが、どうにもあの「後味の悪さ」が好きになれなくて、最近はいってない。
一方で、日比谷(有楽町)にある映画館は最高だ。駅に近くもあるが、少し歩くため、騒がしくない。映画館を出た後、駅に向かうまでの間、少しの時間、静けさがある。
そして、少しずつ駅に向かっていくたびに、増えていく人だかり。あぁ、日常に戻らなきゃな、と徐々に思えてくる。そんな日比谷の映画館が大好きだ。街並みもきれいだしね。
単に駅から近いとか、便利な商業施設の中にあるとか、そういったことよりも、映画の世界から脱した後の「後味」がよい映画館が好きだ。映画館にとっての「立地のよさ」っていうのは、自分にとってはそういう定義になる。
あぁ、『PERFECT DAYS』を見た後に、日比谷の映画館を出た後の雪景色。あれは最高だったなぁ。