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マーブル模様と抽象画

今年は自分にとってのエモーショナル・エピソードを発掘していくことにした。これは私にとってのエモーショナル・エピソードであり、誰かにとっては全く面白味のないお話です。今回はマーブル模様が好きな理由がわかったという話。

やたらとマーブル模様というか、色ががちゃがちゃしたものに惹かれるので、なんでだろう?と思っていたが、なんのことはない、子供の頃お世話になった油彩の先生の影響であることがこのたび姉との会話で判明した。

なお、お世話になったと言っても自分自身が真剣に絵を習っていたわけではない。父が師事していたため、写生会等について行って、一緒に絵を描いて、講評をもらっていたというだけの関係である。あるいは展覧会でちょこっとお話する程度の関係。

私が出会ったころ先生は抽象画(金箔の散った点描画が多かったように記憶)を描いていた。私は先生の作品を展覧会や家で頻繁に見ていたので(父は弟子として恩師の作品を買っていた)、抽象画をみると先生を思い出す。抽象表現主義、アクション・ペインティングの代表的な画家であるジャクソン・ポロックの作品を見ても先生を思い出す。つまり、私はマーブル模様もまた抽象画的なものとして認識していて、それは先生と先生の作品のイメージとつながっているということなんだろう。考えれば当たり前のようなつながりを、私はすっかり忘れていた。

そんなことを思い出し、考えていたら、先生からは物事の見方についてたいそう影響を受けたということもわかってきた。

私は全く絵心がない。横浜の外人墓地の近くにあるケーキ屋さんのケーキが目当てで父が参加する写生会について行くというほどに絵を描くことに興味がない。ケーキは一例で、ついていくとこの手のご褒美をもらえることが多く、多くの場合はそれを目的についていっていたという記憶がある。

しかし、そんな私のやる気のない絵にも先生はいつも講評をくれた。水面に広がる水の輪をこうやって表現するのは面白いね、とか、先生が面白いと思う点を見つけては褒めてくれた。これは姉の絵に対する講評だったかもしれないが、そこをそう見てそう褒めるんだという事実に衝撃を受けたことはいまも明確に覚えている。先生は姉の絵も私の絵もいいところを見つけては褒めてくれた。

もう一つ覚えているエピソードがある。先生とお弟子さんたちのグループ展が開催されるたびに家族で銀座へ行っていたのだが、両親が先生や友人らと歓談する間、姉と私は近所の伊東屋(巨大文具店)をうろうろするのが常だった。その年は買い物するためのお小遣いをもらっており、そこでリップクリームのようなかたちのカバー付きの爪切りを買った。展示室に戻って先生にそれを見せたら、やっぱり買い物に個性が出るねと面白がってくれたのだった。実用的なものを選んだことだったか、買ってきたものの造形の面白さだったのか、姉との選び方の違いだったのか、曖昧にしか覚えていないのだけど、やっぱり自分が想像しない見方をして面白がってくれたことが鮮明に記憶されている。

「先生」としての自慢や威圧感など感じたことはなく、子供のちょっとした行動から面白いところを見つけて褒めることができる先生が、改めて、好きだったなと思うし、自分自身が人を指導する立場になり、相手の良いところを見つけて伸ばしたいと思う気持ちは、この先生のものの見方やそれを面白がる姿勢に影響を受けてるのかもしれないと思った。

そんなことを思い出したら、なんとなく惹かれて買ったいまのiPhoneカバーが、とてつもなくエモーショナルなものに見えるのであった。

ぼろぼろだから変えどきだなと思っていたので、お別れの前にこのエモーショナルエピソードを思い出せてよかったなと思う。

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