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かわいい戦略を捨てた日
自問自答ファッション講座受講時に、かなり頭を使って回答を捻り出した記憶のある、自分にとっての「かわいい・きれい・かっこいい」。
湖森さんのこの質問に対する回答を拝見したとき、したたかなかわいさの話がいいなあ、と思ったのだが、それと同時に自分が「かわいい」を目指さない理由、かわいい戦略を取らない理由を思い出した。
ダラダラと前振りが書いてありますので、理由が気になる方は「転機」からどうぞ。
私はゆるめの女子校育ちです
私は小学生の頃バブル期を体験したロスジェネ世代なのだが、当時、周りの盛り上がりに流されて中学受験をして私立中学に入った。
入学したのは進学校ではない女子校だった。親は自主性を尊重するという方針(というかほぼ放任)だったので、なんとなく家からの距離優先で学校を選んだ結果、良妻賢母を目指すべし、勉強出来なくてよろしい、成績は人と比べるものではないという校風・雰囲気の附属大学のある中高一貫校に通うことになった。
入学した瞬間に、ここは私の居場所じゃない、もっと切磋琢磨できる環境の方が好きだと気がついたものの、高校受験する気力もなく、ただ、大学は附属に進学せず、外部に出ようとその時に決めた。
女子校生活の詳細は割愛するが、競争のないゆるい雰囲気はそれなりに居心地よく、多様な女子がいる中で、極端に存在ややり方を否定されることもなく過ぎて行った。あれはあれでよかったと思っている。
しかし、競争も比較も強い主張もしない方がよいという雰囲気のなかで、私は、基本的に特になにかに反発することもほとんどなく、嫌なことは笑ってごまかすスタイルを身につけて高校を卒業した。
転機
さて、中学入学時の決意に従い、外部の大学を受験し、浪人しつつ資格の取れる学部に進学した。そして、就活が始まる頃、あれ?私、人生でなにをやりたいか真剣に考えていないな?とはたと気がついた。そこで真剣に考えて、真剣にやりたいと思った研究をやってみようと決めて、他大学の大学院に進学した。
そして、進学した大学院で、最初の文献紹介か研究発表のとき。どんな質問に対してだったのか、いまはもう詳細は覚えていないのだけど、てへぺろ的な笑ってごまかす対応をしたら、「馬鹿にされているように感じる」と怒った先輩がいたのである。そんなことを言われたのはこれが初めてだったので、こんなふうにてへぺろに対して怒る人がいるんだな、とたいそうショックを受けた。
その件に限らず、その先輩は先輩が「常識」と思うことを振りかざして私を批判してくることが多々あり、今思うと「常識という名の偏見ですね」と一蹴できることばかりなのだが、その時は素直な若者だったので、今後ここでやっていくための戦略としててへぺろ戦略は有効ではないな、と思って、そのとき、私はてへぺろ戦略(自分にとっての「かわいい」戦略)を捨てたのでした。
思うこと
自分が自分にとってのかわいい戦略を捨てたからといって、それをやってる人が羨ましいとかにくいとか、そういう感情は一切ないのです。どういう戦略も尊いと思っているのです。
そして、かわいい戦略は、私が取らなかったひとつの戦略なのだけど、それはとてもしたたかで強い戦略だと思っていて、その戦略を捨てずにうまく使っている人をみると、尊敬の眼差しで見てしまうのでした。