見出し画像

sacaiのパンツを買った

先日sacaiのパンツを買った。これまでの人生において、毎日のように履くパンツにこのような金額を支払ったことはない。私にとっては完全に清水の舞台を飛び降りたようなお買い物。このお買い物の経緯と買う前から買った後の気持ちの変化をここに記録しておく。

プロローグ

私にとって、sacaiと言えばこちらのnoteである。

このnoteを読んでsacai素敵だな!となって、sacaiはいつかは着たい憧れのブランドとなった。欲しいアイテムのスクラップブック「妄想クローゼット」を作り始めた当初、sacaiのページを見てやっぱり素敵!とたくさん妄想クローゼットに投入した。

そんな憧れのsacai、銀座や新宿で見かけるたびにお店に入って触ってみるものの、試着に至らなかった。何点か手にとるものの琴線に触れず、試着するほどでもないな、となって店員さんに声もかけずに店を出る、そんなことが数回続いた。

試着だけでもすれば憧れ成仏するのにね?などと考えながら過ごしていた3月某日、もう一つの憧れ、コムデギャルソンの 2022SS 見たさに百貨店へ。一通り気になったものの試着を終え、満足してデパート内を歩いていたところ、通りかかったsacai。いまでしょ!と心の声が聞こえる。心の声の言うままに店舗に近づくとテンション高く買い物をしているご家族。あの波が去ってからにしようと遠巻きに気になるエリアを眺めていたところ、店員さんがお声がけしてくれた。

特に決めたものはなかったものの、この日買いたかったのは黒パンツ。黒いパンツありますか、とゆるい感じで聞いたらいくつか出してくれた。

出会い

出してもらった品物を見せてもらいながら、丈が長そうだな、これは裾上げ必死か?でもこのデザインで裾上げは厳しいよね?でも憧れ成仏!ともあれ試着!と思って試着した。その結果、(靴を履けば)丈がギリギリ擦らない長さ。しかし、1本目はちょっとタイトで動きにくかったので、2本目のワイドタイプを履いた。そこで憧れ成仏どころか「買わない理由は値段だけ」モードに入ってしまった。

色、素材感、丈の長さ、股上の深さ、ウエスト~腰回りが緩すぎずきつすぎず(ウエストは緩いが腰でしっかり支えてくれるで落ちてこない)、膝の曲げ伸ばしに苦がない。サイドのライン状のサテンのパネルがスポーティかと思ったが、そんなこともなくむしろドレッシー。

そして、なによりも足首のところについているパーツがおしゃれなだけでなくとても機能的。前側にして止めたらモード感アップなうえに長さ調節になるし、後ろにしたらドレッシーになる。自分が大好きな着心地の良さ・機能性・汎用性とモード感が絶妙に混ざり合っていて、プロの仕事は素人(=自分)の想像の遥かに超えている、と感嘆した。

しかしsacai。お安いパンツではない。店員さんにちょっと考えてきますと伝え、名刺に品番を記載してもらって店を離れた。館内の別の店を回りながらその間ずっと購入するか否か考えている。頭から離れないのだし、やはり買おう、と決めて店に向かったところ、閉店の音楽がなり始めた。店に突っ込んでいく気力もない程度には疲れていたので、そこで購入を断念し、帰宅した。

発注

しかし、帰路も帰宅してからも頭から離れない。買わない理由は値段だけ。なら「買う」だよね、と翌日電話注文することにした。もう一度着てから買いたかったが、そんなに頻繁にお店に行くこともできない状況。売り切れれたら憧れ成仏どころかいつまでも夢に見そうという焦りもあったと思う。

気になりながらも、午後になりようやく時間ができて、昨日書き留めてもらった名刺の電話番号に電話。代表番号だと思ったら、「さかいです」と言われ、ネットオーダーしたいんですけど、と言ったらどちらのお店ですか?と問われ、まさかの代表担当さかいさん。sacaiをお願いします、と改めて伝え、お店につないでもらい、書き留めてもらった番号を伝え発注完了!と思いきや完了ではなかった。

数時間後に折り返し電話がきて、昨日夕方私が試着を担当した方ですよね?型番メモ通りに発注されました?どうやら私がメモを間違えたようです、とのこと。危うく違うパンツを注文するところだったのを、担当してくださった方の機転で回避。こうしてようやく発注は完了したのであった。

自問自答

高い買い物をしたので、届くまであれこれ自分に対する言い訳を考えていたのだが、結局のところ、私は自分の想像できる範囲を超えたアートピースを買ったのだ、という結論に達し、言い訳など必要ない、堂々たる自問自答の結果、このパンツをお迎えするのだという心境に至ることができた。

私は比較的現代アートを見るのが好きで、自問自答ファッション講座のレポートに「愛と科学と芸術のバランスが素晴らしい」とコメントをもらった人である。

「比較的」というのは、長いこと、現代アート、なんかいいな?と思ってもそれ以上の理解にならないのであまりはまらないでいたところ、真の現代アート好きの連れ合いと美術館に行くようになり、作品の背景とか意図がわかるようになって、楽しめるようになってきた、素人に毛が生えた程度のにわか現代アートファンだからだ。

私が現代アートが好きな理由は「自分の想像の外にある表現に触れられるから」である。想像もしなかった表現に触れたときに感動し、自分も想像の外を仕事で示していきたいと志を新たにさせてくれる。つまり現代アートは、私にとって、人間の可能性を体感させてくれ、勇気をくれるものなのだ。

先に書いたように、sacaiのパンツは私の想像の遥かに超えるものだった。つまり、現代アートと同じく、人間の可能性、ファッションの可能性を感じさせてくれる、勇気をくれる作品だったのだ。それでいて高価な現代アートの作品買うよりずっと安い。自分が芸術的であると思えるものを身にまとえる。最高だし、コンセプトにぴったりではなかろうか。

ということで、自問自答によって理論武装を完了したことにご満悦し(ほぼ屁理屈だと思ったが自分が納得するのはとても重要)、嬉々としてお迎えの日を待つことになったのであった。

お迎えとその後

まさかのブランドの外箱でやってきたsacai(茶色いダンボールで来ると思ってた)。嬉しくて開封の儀。

やはりちょっと長めだったので、1.5cmだけ裾上げしてもらって履いている。

履いてみた感想はボンタン履いてるヤンキーお姉さん風味。自分の中で、「ヤンキーお姉さん」は社会に対する憤りを服装と行動の表現している反骨精神が旺盛な人のことである(下妻物語の影響を受けているのかもしれない)。試着の時には気がつかなかったが、自分が表現したいと思っていた反骨精神がばちばち感じられてたいそうよい。

アートを愛する気持ちと反骨精神が表現できるパンツ、買ってよかった。普段の職場は汚れたりすることもあるので控えめに履いていこうかな、となっているが、このお買い物に悔いなし。街歩きとかレストランとか、セレモニーとか、お出かけ用に愛用していく所存。

エピローグ

なお、購入にあたって試着100回チャレンジを実施していたのだが、これも満足度の高さにつながっていると思われる。パンツ100本の試着を目指して、購入までに27本履いており、今回のパンツは28回目の試着の末、購入している。

試着100本には至ってはいないものの、サイズ感、重視するポイントなどがだいたいわかっていて、今回の十分の一くらいの価格で購入した23本目のパンツも素材がお粗末な点以外は気に入って履いている。

基本的な仕様について極めて解像度が高い、つまり、想像できる範囲内の仕様については自分なりに精緻化していたこともまた、今回の買い物を後押ししたのではないだろうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?