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その喪服は最適か

長らくTwitterで冠婚葬祭の葬のアイテム、喪服、あるいは法要装備について呟きを繰り返していたのだが、この課題がひとまず片付いたのでここにまとめる。

これは、「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクション」というアインシュタインの名言を愛する自問自答ガールが法要装備を選択した記録であり、百貨店のフォーマルウェアコーナーで素敵な喪服を買う方法などは一切書いておらず、喪服以外の選択肢などあり得ないと思う方にとっては不快な内容である可能性が高いことをここに記しておく。

ことの発端

昨春、どなたかが「久々に喪服を着たら着られなくなっていた」といった趣旨の呟きをされていた。

たしかに着られなくなっていることがありそうだな、と思い、実際に着てみたところ、10年以上前に買ったと思われるその喪服は、気持ち的に着られないものになっていた。

この服に合う黒い靴もとうに処分しており、合わせる靴もない。私は喪服を市の衣類回収に出した。

自問自答ファッションを追求する者として、適当な喪服を買いたくはない。そこから私の法要装備の自問自答がはじまった。

急展開

私の場合、最近は仕事関連の葬儀に出ることもなく(職場の同僚はほとんどの人が家族葬、それ以外で仕事関係の法要に出る可能性はゼロに近い)、親戚の周年回忌に声もかからない(子供がいるとかお金がかかるからとかで親が遠慮して声をかけてこない)。

そうなると、いま健在な二親等以内程度の身内の有事に備えればいいということになる。

自分も含め、いつなにかが起きてもおかしくないと思いつつ、しかし、喫緊で何事かあるという感じでもなかったので、決断を先延ばしにしつつ、ゆるゆる考えていた。

ところが、家族の体調の都合で正月の義実家への帰省を延期し、3月の帰省を決めたところ、タイミングも良いし、帰省時に義父の十三回忌をやろうと思うと義母から言われた。

私はこの日から約1.5ヶ月で、この先送りしていた法要装備に関する自問自答の結論を出さなければならなくなった。

喪服案

この時点では以下の3つの案を考えていた:

  1. 黒いトップスを買い、手持ちの黒靴・黒パンツ or スカートと合わせて使う

  2. 買わないでレンタルする

  3. 喪服を買う

しかし、十三回忌だから「黒いシャツとかでいい」と義母が言ったため無理に3を選択する必要はなくなった。

2のレンタルは調べるのが煩わしく(黒い服は画像から詳細を捉えるのが難しく、忙しいタイミングで画像を精査する気力がなかった)、あわせる靴もないため(靴レンタルもあるが、ふだんからヒール靴はカパカパとかかとが抜けてあるきにくいが故にレンタルしてまで履きたくないと思った)、早々に調べるのをやめてしまった。

そして、私は1の黒いトップスを探す方向に舵を切った。

アイテム入手

多忙になることが読めなかった1ヶ月以上前に早々に約束をしていた自問自答ガールズとのお出かけイベントがあったので、そのタイミングで黒トップスを探す試着ができ、トップスをお迎えすることができた。

途中で手持ちの靴ではだめだということになり、靴も探した結果、納得のいく靴が見つかったため、靴もお迎えした。

手持ちのアイテムと組み合わせて自分的に納得の行く法要装備が完成した、と思った。

動揺

「真っ黒な服ならいいんじゃない」と言っていた連れ合いに、帰宅してこの装備どう?と念のため着用して聞いてみたところ、私の服に滅多に動揺しない連れ合いが、一瞬怯んだのが見てとれた。

話し合いの結果、それでいい、他のものを買わなくていいと言われたが、「覚悟を決めた」と言わせてしまったので、そこはかとなく申し訳ない気持ちになり、しまむらで探して納得のいくものがあったら買う、なかったらThis is meな法要装備で参加することにした。

喧嘩などは一切なく、円満に話し合いが進みまとまったので、面白おかしいネタとしてツイートしたつもりだったのだけど、それが家族の目に止まり、実家の喪服を見に行ってはどうか、との提案連絡がきた。

批判

動揺を緩和できるもので私が納得いくものがあるならば採用してもいいかな、なければしまむら見にいけばいいや、という気持ちで、組み合わせを確認するために、揃った装備を身につけて翌日実家にいった。

そこで、出会った瞬間に、母から「無難な喪服で行った方がいいわよ」とやんわりと装備について注文が入った。

私はカッとして、「私は考えなしでこの服を選んだんじゃない、覚悟してこの服を選んだんだから!」と声を荒らげた。

あまりの大人気なさに深く反省しているが、こちらの事情や考えを聞くことなく、常識的に振る舞うことを求められたため苛立ちを隠せなかった。

ここは、相手の意見を受け止め、採否はあとで決める、という戦略が正解だったといまは思っている。

試着をしながら途中でもう借りなくていいやと思った。しかし、それはそれで批判されるなと思ったので、結局、靴箱に眠っていた古い黒ヒールを回収し、喪服を借りて帰宅した。

確信

この実家でのイベントは、私の自問自答魂に火を付けた。

批判に対してディフェンスすればするほど、「(「これでいい」ではなく)これ(私が選んだ服)がいい」という気持ちが強くなっていった。

もらった批判は要約すると、「田舎だから無難な服装がよい」「田舎で波風を立てないほうがよい」だった。

でも、苦言を繰り返し聞き、ディフェンスを繰り返すうちに、その波風ってほんとうに立てないほうがいいものなのか、むしろ「常識(≒偏見)」に対して「波風」が立つものなら立て、こちらの意図をきっちり伝えたほうが自分の主義、自分のコンセプトに合っているのではないか、そして、それは、決して利己的な理由でやろうとしてるのではないということも確信できた。

私はただ自分の気持ちが一番落ち着く服をきて、服を気にせず弔意に集中したい、そして、「常識的」な服を着ないことを批判する者がいるならば、そういう人に対してきちんと反論し、これを選ぶ意味を伝えたいのだ。

自分の意思を確認するために実家に行ったような感じだったなと思っていたら、帰宅後、連れ合いに全く同じことを言われた。さすが我が良き理解者様である。

持ち帰った服を着て見せつつ話し合った結果、結局、折衷案である私物のトップスに持ち帰ったスカートと靴を合わせて当日に臨むことになった。

当日

当日、私の服装を気にする人など全くおらず、つつがなく法要を終えることができた。

なんなら、手持ちのスカートと自分で用意した靴で臨んでも全く問題なかったと思った。むしろ、手持ちのスカートのほうが丈が長く、動きやすいので子連れ法要に向いていたと思った。

靴は脱ぎ履きがあったので、すっぽ抜けるぐらいの黒ヒールでちょうど良かったかなと思ったが(買った靴は脱ぎ履きがやや面倒だった)、同時に、この足がとても小さく見える感じが好きではなかったということを思い出した。

私が弔意と法話(と娘の世話)に集中しているのと同様に、他の参加者も弔意と法話と(リアルで初めて会った)我が娘、そして久々に会う血縁者との会話に集中していた。私が何を着ていようと、全くどうでもいいことだった。

「田舎だから無難なほうがよい」というのは偏見で、そんな意見を鵜呑みにして妥協した自分を反省した。しかし、折衷案が奏功した可能性もあるため、なんともいえないのでは、というのが連れ合いの見解だった。

所感

私がTwitterで本件についてたくさんつぶやいていたこともあり、私のツイートラインでも多くの関連ご意見を拝見し、また、皆さんのご事情を聞くことができた。

普段から仕事で法要に出る機会が多い方はいわゆる喪服を用意している場合が多いようだった。たしかに、仕事で顧客の葬儀に出ることが多いのであれば、喪服を用意するのは自然だろうし、私もきっとその立場になったらそうするだろう、と思った。

また、気持ち的に喪服ではない服では心が乱れるから喪服を用意するという方もいらっしゃると思うのだが、それもその人の1番しっくりする服として喪服を選ぶのがごく自然なことだと思う。

私は、今回、この装備をして、自分の気持ちが乱れない装備というのはとても良いものだなと思った(手持ちのスカートを履いたらもっと落ち着いた気持ちで臨めたと思った)。似合わない・気持ちに合わない・着慣れない服を着て法要に臨む方が私は心が乱れるのだ。

そして、中途半端な気持ちで法要装備を選ばないということもまた、良いものだなと思った。生半可な気持ちで中途半端な法要装備を選んだら、批判を受けても反論できなかったことであろう。

改めて、この文章を書きながら、私は私の法要装備を選ぶのが正解だと思った。私は私の装備で法要に臨み、最大の弔意を示していきたい。そして、服について指摘する人がいたならば、私が最大の弔意を示すためにこの服をえらびました、私の服装になど時間を割かず、ご自身の弔意に集中してください、とお返ししたい。

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