【連載】内側からの女子力向上セラピーマニュアル 第2章 認め受け入れる
第1章では、ショート・ストーリーを用いて「すべて自分責任」という考え方について解釈してみました。第2章では、第1章で出てきた
「認め受け入れる」について解釈した上で、実践的セラピーを提案させていただきます。
スピリチュアル、セラピーの世界でも出て来る「認め受け入れる」という概念です。
解釈するだけでなく、実践的メソッドについても触れようと思います。すなわち、「認め受け入れる」モードになるにはどうすればいいか、についても触れたいと思います。
人は誰もが心のボトルネックを持っています。
人には、感情を大きく揺さぶられるときがあります。大きな喜怒哀楽を示すときがあります。
このような現象は、ある一定のパターンに従っていて、場面が異なっても、内側(精神世界)では同じ認識処理が行われています。この心のボトルネックは、その人の価値観を支えていており、各人の存在意義そのものでもあります。
かなり観念的なくだりになってしまったので、第1章に出て来た、エビグラタンのお話を使って解釈します。
エビグラタンのお話:
エビちゃんは、彼氏の大好きなエビグラタンを考えて抜いて、つくっ
たのに彼氏が昔の彼女との“過去”を思い出し、八つ当たりしてきた。
エビちゃんは潜在意識の中に、「愛情を受け取ってもらえない可哀想な女子」という個人的鋳型(*)を持っています。
(*)ユング心理学には意識の「鋳型」という概念がありますが、これ は人類とか民俗とか集合的なもので、それと区別すべく「個人的鋳型」としました。
そういう個人的鋳型が、エビちゃんに愛情を受け取ってくれなさそうな人を選ばせ、愛情を受け取ってくれないような出来事を導いていると解釈しました。
そして、エビちゃんにとって「愛情を受け取ってもらえない可哀想な女子」という個人的鋳型を認め受け入れることが、エビちゃんの意識の成長、すなわち、より幸せな人生につながるというお話でした。
じゃあ、この個人的鋳型を「認め受け入れる」ためには、どうしたらいいのでしょうか。
それでは、エビグラタンのお話に戻ります。
エビちゃんは潜在意識の中に「自分は愛情を受けとってもらえない可哀想な女子」という個人的鋳型を持っていました。
いわば、悲劇のヒロインです。そして、その個人的鋳型が彼氏との間にエビグラタン事件を引き起こしてしまいました。
いわば、この個人的鋳型が犯人です。だから、この犯人を逮捕すればいいのです。
個人的鋳型を再解釈(=セラピー)するのです。
でも、まず、この個人的鋳型の“生い立ち”を追ってみる必要があり ます。
エビちゃんは、幼少時代から小学校低学年時代にかけ、個人的鋳型を形成しました。
彼女は、老舗の商家に生まれ育ちました。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、お父さん、お母さん、弟という構成です。
お父さんとお母さんが結婚して1年、お母さんは待望の出産にたどりつきました。
商家ですから、お父さんだけでなく、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんも男の子を期待しました。健やかな世継ぎを期待しました。
でも・・・
生まれていきたのは女の子でした。エビちゃんです。
とくに、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、がっかりしました。無意識のうちに、お母さんを責めました。
そして、2年後、お母さんは、お家の待望であった男の子を授かります。健司くんと名付けられました。
「でかしたぞ、けい子さん(お母さん)!」とお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは大喜びです。
もちろん、健司くんのお姉ちゃんになったエビちゃんも大喜びです。
お祖父ちゃん、お祖母ちゃんは、嫡男で健司くんとエビちゃんの間に意識して、差をつけました。それが商家の美徳だったのです。
お父さん、お母さんも無意識のうちに健司くんとエビちゃんに差をつけていました。
衣服、玩具、鯉のぼり、鎧兜・・・
彼女のお雛様(雛人形)が小さなものだったのに対して、弟の鎧兜は豪華絢爛でした。
それでも、エビちゃんは健司くんを可愛がりました。この世でたった一人の可愛い弟なのですから。
やがて、エビちゃんの愛する健司くんは、可愛がられて、どんどん腕白に育っていきます。
エビちゃんは健司くんをたてることに必死です。いつしか、エビちゃんは自分自身の存在意義が「健司くんをたてる」ことだと思い込むようになりました。
そうしなければ、お父さん、お母さんが自分を見捨てるという錯覚も混ざっていきました。
エビちゃんは必死でした。ある時は幼稚園での図画・工作の時間では健司くんの似顔絵を描きました。また、ある時は給食で出て来る、大好きな揚げパンを残して、健司くんに持って帰って来ました。
健司くんは、お姉ちゃんであるエビちゃんのことが大好きです。
一方で、腕白なので、時々、お姉ちゃんの愛情を拒否することもありました。
お姉ちゃんの描いてくれた絵を破ったり、おんぶしてくれるお姉ちゃんの髪の毛を引っ張って泣かせたり・・・
お父さんは「健司は小さいんだから、許してやりなさい」といつものセリフ。いつしか、エビちゃんは、お父さんに対しても「受け取ってもらえない」感を見出します。
お父さんは、彼女のことを大切に思っていたのですが、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの目を気にして、健司くんを庇います。
こういう家族環境の中で、彼女は「自分は愛情を受け取ってもらえない可哀想な女子」という個人的鋳型をつくってしまったのです。
その後、中学校に入学して、エビちゃんには、とってもハンサムな彼氏ができました。
でも、その顛末は・・・
周囲も羨むような清閑なサッカー少年である彼氏のことを
「あの人は、冷たい男子、ひどい男子・・・」と友人との会話の中で、評します。
以後、高校、短大、社会人となり、つねに、彼氏はいるのですが、いつも、同じパターンです。
お気付きですね。
エビちゃんは、幼少の頃の家庭環境でつくった個人的鋳型を“活用” して、いつも同じ物語をつくっていたのです。
第2章の後半は、少々、堅い内容になりますが、気楽に何度も、お読みいただければと思います。
第2章の前半では、まずは、彼女の生い立ちを追ってみました。
「自分は愛情を受け入れてもらえない可哀想な女子」という彼女の個人的鋳型は、彼女の育った家庭環境によって形成されていたということでした。
後半では、実践的セラピーを紹介します。
セラピー1) 日常生活セラピー
です。
まず、彼女自身が「自分は愛情を受け取ってもらえない可哀想な女子」という個人的鋳型を持っていて、それは育った家庭環境に起因することを認め受け入れることです。
「認め受け入れる」とは、どういうことでしょうか。
「はい、そうですね」ということでしょうか。
間違ってないのですが・・・
ここで言う、「認め受け入れる」とは彼女が家族環境によって、「悲劇のヒロイン」の鋳型を形成し、その後も同じパターンの物語をつくり出してきたことを認め、
「そんな、私、可愛かったのかも」と過去を否定しないことです。
家族を恨んだり、自分を責めたりしないで「あれで良かったんだわ!」というマインドを持つことです。
でも・・・
潜在意識の中にある個人的鋳型はそう簡単には変わりません。どうしましょうか。
「愛情を受け取ってもらえない女子」という鋳型を持っているなら、日常生活で「愛情を受け取ってもらえる天使のような女子」になれば良いのです。
「具体的にどうするんだ?」って? 静かに瞑想します。
小学校の図画・工作の時間に可愛い可愛い弟のために似顔絵を描いて持って帰ったけど、不機嫌な弟は、その似顔絵を破ってしまったこと。
大好きな彼氏のためにじっくり考えて彼氏の笑顔をイメージしてエビグラタンをつくったけど彼氏は昔の彼女を思いだし、八つ当たりしてきたこと。
・・・
そんなかんなを思い出し、鮮明にイメージし、本当はどうして欲しかったのだろうかって・・・
そして、自分がして欲しかったことを自分が他者にすれば良いのです。
周囲を見渡して、愛情を受け取って欲しそうな相手 を探し出しましょう。
“愛情”っていうと、仰々しく聞こえるかもしれませんが、ここでい う“愛情”はとっても簡単なものです。
例えば、職場の新人山田くん。
理系出身で、人と喋るのが苦手・・・
とくに女子の先輩と喋るときは、いつも緊張ぎみ。
そんな山田くんが、朝、エレベータの前でエビちゃんに勇気を振り絞って「おはようございます、エビさん、今日も太陽のようですね」と、ちょっと顔を赤らめながら、挨拶してきたとします。
いつもは「は~あっ?」と引き気味の彼女なのですが、ちょっと、キャラ変えちゃいましょう。
「ありがとう、山田くん」もちろん、笑顔で。
「きっと、良い営業マンになるわよ!」とフィードバックできたらベターです。
山田くんは開発部署への配属を希望していたのに、なぜだか、営業部署に配属されて、学生時代の研究室とは異なる、営業部署の風土に戸惑っていました。
それが、エビちゃんの一言がきっかけで先輩たちから「突撃隊」と呼ばれるような営業マンに変身していくかもしれません。こんなこともイメージしちゃいましょう。
エビちゃんは、とにかく、「受け取る」女子になればいいのです。ときどき、愛情を受け取ってもらえなかったシーンを鮮明にイメージしつつ・・・
必ず、変われます、変わります。彼女が、
「愛情を受け取ってもらえなかった状況は自分自身がつくり出して
いたんだって、私、受け入れてるもん」と思える心境になったとき。
さらに、彼女は「私は他者の愛情を受け取れる女子」と思い込めるようになれます。
人生で起こることに当人が激しく感情を揺さぶれるとき、その出来事の裏側には、重要な課題が隠されています。
「自分のせいじゃない」って内側(精神世界)を見つめることを怠れば、永遠に同じパターンの出来事が繰り返されます。
でも、
「これって、アタシがつくり出してる、きっと、重要な課題なんだわ」
って、その出来事を内側(精神世界)の産物と解釈し、認め受け入れ、行動を起こすとき、人は課題をクリアして、一つ上のテージに移行していけるのです。
要約します。
人が「自分自身を認め受け入れる」モードになるには自分の個人的鋳型を見つめ、他者に与える存在になるしかないのです。
これを覚悟したとき、与える対象は現れます。
第2章はここまでにさせていただきたいのですが、なんだか、道徳の教科書になってしまいました。
第2章了
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?