デジタルノマドの真実
デジタルノマドは、もはや人類の進化と言っても過言ではないのではないでしょうか。
人間がこうありたいという姿をテクノロジーによって体現してきたのです。
最初は少数派でしたが、新型ウイルス騒動を経て、国家までもがテレワークを推奨し始めていますね。
この段階を経て新しい働き方が評価されれば、もはや人が好きな場所で好きなときに働くというのは当然の常識へと変化していくことが予想できます。
デジタルノマドのさらなる躍進は続くでしょう。
デジタルノマドワーカーのツールがスマートフォンからスマートシティへ変化を遂げれば、もはやコワーキングスペースに縛られない、端末を持つことすら必要なくなる世界が待っています。
必要な情報の入出力がいつでもどこでもできるドローンがそこらじゅうに飛び回っていて、それらすべてが超高速無線通信でネットワーキングされているのを想像してみてください。そこではもはや、端末を購入する必要はなく、公共のドローンを利用する権利だけあればよいのです。
そうなったとき、最大限に自分のコンセプトを発揮できる環境というのは、空間やモノに留まらず。
新しい発想を妨げる保守的な圧力や、法律、経済といった制約を攻略して到達し得る場所なのです。
この時点ではまだ人間は移動し続ける必要がありますから、デジタルノマドの自由さとは矛盾をかんじますね。
全員がデジタルノマドワーカーだとしたら、やがて今現在と同じような競争社会もやってくるでしょう。
必要とされる仕事は限られ、それを達成できるデジタルノマドワーカーも限定されていきます。
効率化の先には、また新たなテクノロジーによる作業代替が進んでいき、人はさらに働かなくなる世界が待っています。
つまりデジタルノマドというのは”人が移動するという仕事”をテクノロジーが代わりに行っているという進化の過渡期にすぎなかったのです。
究極的には、誰も働かない世界があり、それは実現不可能といわれた計画経済上のユートピアなのではないでしょうか。
大統領選を控えた米国で行われた若者の意識調査で、驚くべきことに彼らは「資本主義より社会主義を望む」傾向が強かったのです。
これは単に貧富の差からくる革命的欲求ではなく、来るべき未来を予見しているのではないでしょうか。
彼等はカネが無くてもスマホさえあればそこそこ幸せなんです。