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生活に左右される趣向 2020年6月19日の日記

起きたら雨が降っていた。この音が私を憂鬱にさせる。元来インドアな私は雨が好きだった。外界と隔絶された室内から見る雨は、雨音・湿度・薄暗さのすべてが私にとって心地よく、妙な優越と風情さえ感じさせる。コーヒーを淹れて窓際へ行き、ベランダにおいてある植物の葉が雨粒で揺れるのを眺める。これが雨天決行な休日の最高の過ごし方だ。

しかし、外出の予定があると一気にそんな余裕はなくなる。自転車移動が主な私にとって、天気の要素は大きく、カッパを着るか否かが大きな問題として立ちふさがる。カッパは嫌いだ。風が心地いいから自転車に乗っているのに、そのメリットを根こそぎ奪い去る。その上蒸れるし、靴下はなぜか濡れているしで最悪だ。雨は予定のない休日に限る。

ところで、ずっとインドアだった私にも変化が訪れ、ここ何か月かは都合がつく限り毎日散歩に行くようになった。私は一回の散歩で5~10キロメートル歩くため、やる・やらないがその日の寝つきに大きく関わってくる。散歩は今や私にとって重要なルーティーンと化していた。

雨が降ってしまうと散歩に行けなくなる。だから私は憂鬱になる。あんなに好きだった雨なのに、以前では考えられない変化だった。

人間の好みなど、生活のリズムや内容によって簡単に書き換えられてしまい、簡単に憂鬱な気分にさせられる。今日私はそれを味わった。ある意味、貴重な体験ができたのかもしれない。
とはいえ、コーヒーはきっちり楽しんだ。

おわり

金額に応じて私の生活の質が上がります