
郡山城(広島県安芸高田市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド #DJ089
郡山城(広島県安芸高田市)を起点にした旅行を満足のいくものにするため、事前に知っておきたい歴史、地理、文化の情報をまとめました。
郡山城の歴史的背景や見どころ
周辺地域の地理的特徴と観光スポット
文化(郷土料理、伝統行事など)
郡山城を訪れる際にご活用ください。
1. 郡山城の歴史
築城の経緯と毛利氏の本拠地としての役割
郡山城(吉田郡山城)は中世南北朝時代に安芸国吉田荘を治めた毛利氏が築いた山城です。正確な築城年代は不明ですが、城内に1325年創建の祇園社(現在の清神社)があることから、それ以降に築かれたと考えられます。毛利時親が吉田荘地頭として下向した1336年頃から毛利氏は代々この地に居住し、以後一貫して吉田郡山城を本拠としました。
戦国大名・毛利元就(1497~1571)が大永3年(1523年)に当主となると、郡山城を従来の一角から標高約400mの郡山全体へと大規模に拡張しました。天文9年(1540年)には出雲の尼子氏3万の大軍に攻められますが、農民を含む約8,000人で籠城し、元就は大内氏の援軍を得て撃退に成功します。この吉田郡山城の戦いで尼子氏に大打撃を与えたことが、毛利氏躍進の転機となりました。その後も元就は中国地方各地で合戦を重ね勢力を拡大し、郡山城は毛利氏による中国地方統一の足掛かりとなった拠点です。
元就の孫・毛利輝元の時代には郡山城はさらに近代的な城へ整備されました。石垣や瓦葺きの建物も取り入れられ、城下町の整備も進められます。ただ山間部に位置し交通の便が悪かったため、輝元は天正19年(1591年)広島城を築いて本拠を移しました。以後、郡山城は関ヶ原後の慶長5年(1600年)頃まで維持されましたが事実上廃城となり、江戸幕府の一国一城令(1615年)で完全に取り壊されています。現在、郡山城跡は国の史跡に指定され、日本100名城にも選定されています。
毛利元就と「三本の矢」の逸話
郡山城主・毛利元就にまつわる有名な逸話として「三本の矢の教え」があります。病床の元就が3人の息子(隆元・元春・隆景)を呼び、一人ひとりにまず1本の矢を折らせ、次に3本を束ねた矢を折ってみせたという話です。元就は「1本の矢では簡単に折れるが、3本まとめると容易に折れない。お前たち三人も固く結束せよ」と諭し、息子たちもそれに従うことを誓ったと伝えられます。この三本の矢の逸話は、毛利三兄弟の結束を象徴する教訓として広く知られています(※実際には長男・隆元は元就の死の8年前に死去しており、史実としては後世の創作とされています)。
元就の三人の息子たちは、それぞれ毛利家の繁栄に重要な役割を果たしました。長男の毛利隆元(たかもと)は郡山城にあって家中を総覧し、次男の吉川元春は中国山地(山陰方面)の防衛を、三男の小早川隆景は瀬戸内海沿岸(山陽方面)の経営を担います。このように三兄弟が力を合わせた体制が、まさに“三本の矢”の教えの体現であり、毛利氏が中国地方を制覇する原動力となりました。
郡山城の麓には、この教えにちなんで名付けられた「道の駅 三矢の里あきたかた」もあります。三矢の里では毛利元就にまつわる土産物や郷土料理が提供されており、旅の途中に立ち寄って逸話に思いを馳せるのも一興です。
城郭の構造と遺構
郡山城は標高約390mの郡山山頂から山全体に広がる巨大な山城です。その城域は東西約1.1km・南北約0.9kmにも及び、大小270もの曲輪(くるわ)が12本の尾根筋と谷間を利用して配置されています。山頂にある本丸を中心に6本の尾根が放射状に伸び、さらにそこから分かれる6本の支尾根も含め合計12本の尾根上に曲輪や通路が築かれており、西日本最大級の中世城郭と評価されています。 shirobito.jp
尾根と尾根の間の12の谷も堀切や道として利用され、複雑かつ有機的に組み合わされた要塞構造となっています。城内の主要部は山頂の本丸で、一辺約35mの方形の平地になっており北端に櫓台(長さ23m・幅10m)が残ります。本丸の西には釣井の壇と呼ばれる段があり、深さ約4m・直径1.5mの石組の井戸跡が今も見られ、当時の貴重な水源だったことがわかります。本丸北側には姫の丸と呼ばれる壇もあり、石垣の礎石には「一日一力一心」の文字を刻んだ石が埋め込まれていると伝わります。
本丸から順に南東方向へ下る尾根上には、かつての主要エリアである二の丸・三の丸が配置されています。三の丸は面積約1,400㎡にもなる城内最大の曲輪で、土塁や切岸によって四段に区画され、一部に高さ50cmほどの石垣も巡らされています。三の丸下には毛利氏の祈願所であった満願寺跡があり、境内跡に二つの蓮池が残っています。
山麓近くには家臣団の屋敷跡も配置されていました。三の丸下の「御蔵屋敷跡」は当主に近侍した重臣の館跡と考えられています。その更に下段には10段ほどの曲輪群「勢溜(せいだまり)の壇」があり、これも家臣の屋敷跡でした。また城の東南麓には、元就の入城以前に城の中心だった本城と呼ばれる曲輪群があり、標高293m・比高90mの位置に中世初期の山城の形態をよく残しています。
現在、郡山城跡には曲輪の地形や堀切などが良好に残存し、随所に石垣の遺構も見ることができます。三の丸下の通路沿いには当時の石垣の一部が露出しており、往時の城郭の規模を実感できます。城内には案内板や遊歩道が整備されており、登山道をトレッキングしながら本丸や曲輪群、**毛利元就一族の墓所(洞春寺跡)**などを巡ることができます。山頂の本丸跡からは吉田盆地の街並みを一望でき、戦国大名が築いた山城の臨場感を味わうことができるでしょう。
2. 郡山城周辺の地理と見どころ
城跡へのアクセスと周辺地理
郡山城跡がある安芸高田市吉田町は、広島県北部の山間部に位置し、吉田盆地を流れる江の川と太田川支流の出会う付近に発達した城下町です。現在は山全体が吉田郡山歴史公園(郡山城跡)として整備され、散策しながら歴史に触れられる観光スポットになっています。
アクセスは公共交通または車が便利です。広島市内からはバスが出ており、広島バスセンターから「吉田出張所」行き高速バスで約1時間25分、終点の安芸高田市役所前バス停で下車し徒歩5分ほどで城跡入口に到着します。JRの場合は芸備線向原駅から路線バス(平日・土曜のみ運行、便数少)またはタクシーで20分ほどです。自家用車なら中国自動車道・高田ICから約20分で麓の駐車場に着きます。城跡の麓には観光客用の無料駐車場も整備されています。
城跡への登城道は清神社横から伸びており、ゆるやかな山道を30~40分ほど登ると本丸まで到達します。途中には毛利元就の墓所をはじめ、多数の曲輪跡や石垣を観察できるため、ハイキング気分で歴史探訪が楽しめます。山麓から山頂までの比高差は約200mあるので、歩きやすい靴や飲み物を用意し、時間にゆとりを持って訪れるとよいでしょう。
周辺の観光スポット・自然スポット
郡山城跡と一体の見どころとして外せないのが、毛利元就ゆかりの史跡群です。城跡登り口近くには清神社(旧・祇園社)が鎮座しています。元就も崇敬したとされる神社で、境内には歴代毛利家当主の名前が記された棟札(むなふだ)など貴重な文化財が伝わっています。清神社は現在も地域の氏神として大切にされ、7月中旬の祇園祭など祭礼行事も行われています(※訪問時期によっては神輿や神楽の奉納が見られることもあります)。
山道の途中に位置する毛利元就と一族の墓所(洞春寺跡)はぜひ立ち寄りたいポイントです。元就は元亀2年(1571年)に75歳で亡くなりましたが、その3年後、孫の輝元が菩提寺として洞春寺を創建し、その境内に元就の墓を建立しました。以後、毛利一門の墓所として代々整備・維持され、石灯籠や玉垣などは広島藩主・浅野氏の寄進によって江戸時代にも補修されています。墓所は上下二段に分かれ、下段に明治期に建立された毛利家歴代の墓碑、上段奥に元就の墓があります。墓前には「百万一心碑」と呼ばれる石碑も建ち、毛利家の家訓である「百万一心」(家臣・領民が心を一つにすれば百万の民力となる)の精神が刻まれています。毎年命日にあたる7月16日には「毛利元就墓前祭」として法要が営まれ、地元関係者や歴史ファンが参列します。
郡山城周辺には自然を楽しめるスポットも点在しています。市内南部の土師ダム(八千代湖)は桜の名所として知られ、湖畔に約3,000本のソメイヨシノが植えられています。毎年春には「土師ダム桜まつり」が開催され、多くの花見客で賑わいます。城跡のある吉田地区から車で約20分とアクセスも良いので、訪問時期が合えば郡山城と合わせて立ち寄るのもおすすめです。
また、安芸高田市は中国山地の豊かな自然に囲まれており、キャンプや釣りなどアウトドアレジャーも楽しめます。吉田町からほど近い八千代町の土師ダム周辺にはサイクリングロードやグラウンドゴルフ場、キャンプ場が整備されており、四季折々の景色の中で体を動かせます。特に春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉シーズンは美しい風景が広がるため、郡山城と合わせて自然散策を満喫するのも良いでしょう。
3. 郡山城周辺の文化・伝統
地元の食文化と特産品
安芸高田市は山間地域ならではの素朴で滋味深い食文化があります。特に注目は、安芸高田ご当地グルメ「神楽五色麺」シリーズです。安芸高田市は古くから神楽が盛んな土地で、神楽の衣装に使われる基本の五色(赤・黄・青(緑)・白・黒)にちなんだ麺料理を地元飲食店が開発・提供しています。たとえば、唐辛子を練り込んだ真っ赤なスープが特徴の「夜叉うどん」(赤)はピリ辛で寒い日にも体が温まる人気メニューです。この他にも、黒米や茶そばを使ったもの、季節の野菜で彩りを出したものなど、店舗ごとに趣向を凝らした“五色麺”が市内各所で味わえます。郡山城を巡った後はぜひ市内の食事処に立ち寄り、五色麺を食べ比べてみてください。
山間部ならではのジビエ料理も安芸高田の名物です。イノシシ肉やシカ肉を使った鍋料理・焼き肉は臭みが少なく滋養豊かな逸品で、寒い季節には地元の人々にも親しまれています。郡山城から車で20~30分の「神楽門前湯治村」の食事処では、地元猟師が獲れた新鮮な猪肉や鹿肉を使った料理が人気です。また、山菜や川魚(アユなど)も特産で、春から初夏にかけてはワラビや筍の煮物、塩焼き鮎など季節限定の郷土料理が味わえます。
お土産には安芸高田産のお米や味噌、お酒などはいかがでしょうか。特に地元酒蔵の日本酒は、名水と良質な米に恵まれた土地柄だけあり隠れた銘酒として知られています。道の駅三矢の里あきたかたでは、地元産野菜や果物のほか、古代米を使ったスイーツや毛利家にちなんだ和菓子などユニークな特産品も販売されています。旅の思い出にぜひ立ち寄ってみてください。
伝統芸能と祭り
安芸高田市は神楽の里としても有名です。古くから秋の実りに感謝する神事芸能として神楽舞が受け継がれており、市内各地に神楽団が存在します。中でも高宮町の「神楽門前湯治村」は、日本最大級の神楽専用劇場「神楽ドーム」を有し、年間を通じて定期的に神楽の公演が行われています。週末になると色鮮やかな神楽衣装に身を包んだ舞手たちが勇壮な演目を披露し、地域内外から多くの観客が訪れます。神楽門前湯治村では露天風呂や宿泊施設も完備され、温泉で体を癒やし郷土芸能を鑑賞できるとあって観光客に人気のスポットです。タイミングが合えばぜひ本場の迫力ある神楽を鑑賞してみましょう(※公演日は事前に公式サイト等で要確認)。
毎年秋には神楽の競演大会や発表会も開催され、地域全体が神楽一色に染まります。地元の清神社でも秋季例大祭にて神楽や獅子舞の奉納が行われ、城下町吉田の伝統行事として賑わいます。その他、7月中旬の祇園祭(清神社夏祭)や10月の秋祭りなど、各地区の神社仏閣で様々な祭礼が執り行われています。運が良ければ旅先で笛太鼓の音色に導かれ、古式ゆかしい祭りの雰囲気を体験できるでしょう。
歴史に関連したイベントでは、毎年2月に毛利元就の命日追悼法要(墓前祭)が厳かに営まれます。地元有志により元就公に献花・献酒が捧げられ、郡山城の歴史的意義を偲ぶ機会となっています。また、郡山城跡では春や秋にガイド付きの現地ツアーやスタンプラリーなど観光客向けイベントが開催されることもあります。最新のイベント情報は安芸高田市観光ナビや市役所ホームページでチェックできます。
歴史・文化の体験スポット
郡山城を起点に歴史や伝統文化を体験できるスポットも充実しています。まずおすすめしたいのが、麓にある安芸高田市歴史民俗博物館です。ここでは毛利氏と郡山城に関する資料を中心に、安芸高田の歴史と文化財を幅広く展示しています。毛利元就コーナーでは郡山城の精巧な模型や発掘出土品、古文書などが公開されており、訪問前に見学すれば郡山城の構造や毛利氏の歩みを深く理解できます。清神社に伝わる棟札や当時の人々の暮らしを伝える民具も展示されていて、郷土の文化に触れる貴重な機会となるでしょう。郡山城跡とセットでの訪問が特におすすめで、博物館スタッフやボランティアガイドによる解説を聞けば、実際に城跡を歩く際の感動も一層高まります。
体験型のアクティビティでは、神楽門前湯治村での神楽鑑賞と温泉入浴が人気です。神楽ドームの定期公演では、公演後に出演者との写真撮影会が行われたり、運が良ければ衣装の一部を試着させてもらえるサービスがあることもあります。また、併設の神楽資料館「かむくら座」では、神楽面や衣装の展示だけでなく、実際に面を持ったり太鼓を叩いたりといった体験コーナーも用意されています。子どもから大人まで楽しみながら伝統芸能への理解を深められるでしょう。
郡山城跡そのものでも歴史体験プログラムが行われる場合があります。秋の観光シーズンには地元ガイドによる郡山城跡めぐりツアーや、毛利元就や城下町の衣装を着て写真撮影ができるイベントなどが企画されることがあります。例えば、過去には甲冑試着や弓矢体験といった催しが開催されたこともあり、戦国時代の雰囲気を肌で感じられると好評です(開催日は不定期)。最新の情報は安芸高田市観光協会に問い合わせてみると良いでしょう。
このように、郡山城周辺では見る・食べる・体験するの三拍子で地域の歴史文化に浸ることができます。次の章では、旅をより充実させる豆知識とモデルコースの例をご紹介します。
4. 豆知識 & おすすめ旅行プラン
郡山城トリビア:知っておくと楽しい豆知識
「百万一心」の石碑 – 毛利輝元が広島城築城の際に礎石に刻んだとされる言葉「百万一心」は、「百万の民が一つの心を持つ」つまり団結を意味します。郡山城跡の元就墓所には、この言葉を刻んだ百万一心碑が建てられており、毛利家が家中融和を重んじたことを今に伝えています。訪れた際は碑文にも注目してみましょう。
城下町の市(いち) – 戦国時代、郡山城の城下町・吉田では定期市が開かれていました。祇園縄手や家取縄手と呼ばれる通りに、三日市・六日市・十日市といった市が立った記録があり、物資流通の拠点として栄えたようです。現在の市街地でも、当時の名残をとどめる町名や碑が残っています。散策しながら探してみるのも面白いでしょう。
三矢の里 – 道の駅「三矢の里あきたかた」には、毛利元就の“三本の矢”にちなむ展示やグッズが揃っています。三矢のオブジェやモニュメントもあり、旅の記念写真スポットにもなっています。郡山城観光の行き帰りに立ち寄って、毛利家関連のお土産(三矢クッキーや元就公フィギュアなど)を探してみてください。
毛利輝元の幻の天守 – 郡山城には元就の時代に天守はありませんでしたが、孫の輝元の頃に三重三階の天守が建てられていたという説があります。定かではありませんが、もし実現していれば山城にそびえる天守として壮観だったことでしょう。現在、本丸跡には天守台と見られる高台が残っており、往時に思いを馳せることができます。
歴史小説・作品の舞台 – 郡山城は毛利元就を題材にした小説やNHK大河ドラマ「毛利元就」などでも度々取り上げられました。予習として関連作品に触れてから訪れると、元就が築いた策略の舞台や人間ドラマを実感でき、旅の臨場感が増すでしょう。
モデルコース(例):郡山城を満喫する旅
◆ 日帰りプラン(広島市発着)
8:00 広島バスセンター発 – 高速バスで安芸高田市・吉田へ(約1時間25分)
9:30 安芸高田市歴史民俗博物館 見学 – 開館と同時に訪問し、郡山城模型や毛利元就コーナーを見学
10:30 郡山城跡 登城開始 – 博物館から清神社横を通り登山道へ。ゆっくり山道を登りながら曲輪跡や石垣を観察(途中、毛利元就の墓所で休憩・参拝)。
11:30 本丸跡 到着 – 山頂の本丸跡で吉田盆地の眺望を満喫。写真撮影やベンチで一息つきつつ、270もの曲輪に思いを馳せます。
12:30 下山・昼食 – 来た道を戻り下山(往復2~3時間が目安)。吉田の町に降りたら、道の駅三矢の里や町中の食堂で昼食休憩。名物の「神楽五色麺(夜叉うどん等)」をぜひ味わってみてください。
14:00 吉田町散策 – 時間があれば清神社に参拝し、城下町の面影を探しながら徒歩で吉田エリアを散策。元就公園や歴史案内板などを巡りましょう。
15:30 安芸高田市役所前発 – バス停から広島行き高速バスに乗車(〜17:00広島着)。日帰りの場合はこの時間のバスが目安です。車利用なら、近くの土師ダムに立ち寄って桜並木や湖畔をドライブしつつ夕方までに広島市内へ戻ります。
◆ 1泊2日プラン
(上記日帰りプランの1~5までを実施後、そのまま市内に宿泊するコースです。)
6. 15:00 神楽門前湯治村へ移動 – 吉田から車で約30分、高宮町の神楽門前湯治村にチェックイン。レトロな温泉街風情を散策し、天然ラドン温泉「岩戸屋」で旅の疲れを癒します。
7. 18:00 郷土料理の夕食 – 湯治村の食事処で猪肉のぼたん鍋や夜叉うどんなど地元グルメを堪能。食後には神楽どら焼きなどご当地スイーツも。
8. 19:30 神楽上演鑑賞 – 神楽ドームで行われる定期公演を鑑賞(所要約2時間)。勇壮華麗な安芸高田神楽の舞台に圧倒されます。週末は満席になることもあるため早めに席取りを。
9. 22:00 就寝 – 宿でゆっくり休み、翌日に備えます。
2日目:
10. 9:00 チェックアウト・出発 – 湯治村を後にし、八千代町方面へドライブ。
11. 9:30 土師ダム(八千代湖)散策 – ダム湖周辺を散歩。春は約3000本の桜並木、秋は紅葉が美しいスポットで、朝の空気も爽やかです。レンタサイクルで湖畔を一巡りしても◎。
12. 11:00 道の駅 北の関宿安芸高田(※三矢の里とは別の道の駅)で休憩 – 特産品の買い足しや軽食を。安芸高田産コシヒカリのおにぎりや地酒の試飲が楽しめます。
13. 12:00 高田ICから高速へ – 中国自動車道で広島方面へ。途中、三次ワイナリー(隣接市ですが高速IC至近)などに立ち寄りつつ、午後半ばに広島市内帰着。
以上は一例ですが、郡山城を起点にした旅は日帰りでも宿泊でも充実した内容にできるでしょう。中世山城のスケールと毛利元就の足跡を体感しつつ、安芸高田ならではの自然と文化に触れる旅をぜひ満喫してください。
歴史好きな方はもちろん、そうでない方も四季折々の魅力あふれる安芸高田市で特別な時間を過ごせるはずです。安全に気をつけつつ、素敵な旅になりますように!
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