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根室半島チャシ跡群(北海道根室市)の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド #DJ095
根室半島チャシ跡群を起点とした旅行を満足度の高いものにするために、事前に知っておきたい歴史、地理、文化についてまとめました。
根室半島チャシ跡群の歴史
根室半島の地理、地勢や気候
文化や伝統
周辺の観光スポット
根室半島チャシ跡群を訪れる際にご活用ください。
1. チャシ跡群の成り立ちと機能
「チャシ(チャシコツ)」とはアイヌ語で「柵」や「柵囲い」を意味する言葉で、もともとアイヌの人々が築いた砦・祭祀の場・見張り台など多用途の防御施設でした。北海道内ではおよそ500箇所以上のチャシ跡が確認されていますが、その中でも根室半島は特に密集地帯で、約30箇所もの遺跡が残存し、そのうち24遺跡が「根室半島チャシ跡群」として国の史跡に指定されています。
これら根室のチャシ跡は16~18世紀頃(和人社会の戦国時代~江戸時代に相当)に築造されたもので、海に面した崖上に半円形または方形の壕(空堀)を巡らせた「面崖式」の大規模な構造が多いことが特徴です。現在でも各チャシの深い壕が地表からはっきり確認できるほど保存状態は良好ですが、チャシ内部に当時どんな建物があったかは不明で、土を掘り下げた壕などの遺構のみが残されています。
チャシの役割と当時のアイヌの生活
チャシは長らく「アイヌの砦」と考えられてきましたが、近年の研究では本質的には神々と交信するための祭祀の場であり、時代ごとの社会状況の変化に伴って、祭祀の場、談判の場(アイヌ語でチャランケの場)、資源管理のための見張り台、戦闘時の砦など多様な役割を担うようになったと考えられています。
つまり平時には聖なる儀式や共同体の集会の場、緊急時には防衛拠点として機能したのがチャシでした。当時のアイヌの人々は、河川や海での漁労、山野での狩猟採集による自給自足の生活を基本としており、クマ・シカ・サケ・アザラシなどを狩猟・漁猟し、山菜を採取して暮らしていました。
そうして得た獣皮・魚・海藻・木材や草の繊維などを加工し、和人(日本人)との交易も行っていました。例えばクマやラッコの毛皮、昆布や干し魚、それに美しい刺繍や木彫りが施された工芸品など、アイヌの生産品は多数が和人社会に取引され、本州方面にももたらされました。
文化面では文字を持たない口承文化で、アイヌ語という独自の言語を使い、叙事詩ユーカラなどを語り伝えていました。アイヌの信仰では、火や動物を含むあらゆる自然現象にカムイ(kamuy、神)が宿ると考え、獲った獣の霊を神の国に送り返すイヨマンテ(熊送りの儀式)を行うなど、自然と神々に対する独自の祈りの文化を育んできました。
こうした世界観のもとでチャシもまた聖なる空間として位置付けられ、アイヌの生活と深く結びついた施設だったと考えられます。
江戸時代から近代への歴史的変遷
やがて17~19世紀の江戸時代になると、和人(日本人)勢力が蝦夷地の東端にも及び始め、根室半島周辺も歴史の舞台に登場します。18世紀中頃、根室海峡沿岸にも和人商人の飛騨屋久兵衛らが進出し、アイヌを労働力とした鮭の漁場を各地に開設しました。
しかし和人による過酷な収奪はアイヌの不満を高め、1789年(寛政元年)には根室でも「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれるアイヌの蜂起(戦争)が発生しています。アイヌ側は根室場所の和人71名を殺害しましたが、幕府はこれを鎮圧し、蜂起に加わったアイヌ37名を根室市牧の内のノッカマップ運上所跡前で処刑しました。
現在、納沙布岬にはこの事件で犠牲となった和人・アイヌ計108名を弔う「殉難碑(横死七十一人之墓)」が建っており、毎年和人・アイヌ双方の魂を慰めるノッカマップ・イチャルパという慰霊祭が行われています。
一方、18世紀後半からロシア帝国が南下政策を強め、日本に接近してきました。1778年(安永7年)にはロシア人商人シャバロフ(シャバリン)が根室半島先端のノッカマップ湾に来航して通商を求め、1792年(寛政4年)にはロシアの遣日使節アダム・ラクスマンが根室に入港し通商を要求する事態となりました。
これらに危機感を抱いた江戸幕府は、1799年(寛政11年)に東蝦夷地(根室を含む北海道東部一帯)を松前藩から没収して直轄領(公議御料)とし、翌1800年には伊能忠敬を派遣して根室を含む沿岸部の測量を行わせました。
さらに幕末の1855年(安政2年)には、ペリー来航などを機に蝦夷地を再度幕府直轄とし、根室半島の警固を担当するため仙台藩に命じて根室に陣屋(詰め所)を設置させています。このように江戸後期には、根室はロシアとの外交交渉・対立の最前線となり、日本側による測量や警備が強化された地域となりました。
明治維新後の1869年、蝦夷地は「北海道」と改称され本格的な開拓行政が始まります。根室には明治2年に開拓使の出張所が設置され、明治4年には一時「根室県」という県も置かれました(※1881年に廃止され北海道庁の管轄に編入)。その後、根室周辺は北海道庁の根室支庁(現・根室振興局)の管轄となり、漁業基地・交易港としての発展が加速します。
近代の根室は北方(千島列島や樺太方面)への玄関口としての役割も果たし、ニシン・サケ・タラ・カニなど北方系水産資源の集散地として栄えました。昭和に入り、1957年(昭和32年)に根室町と和田村が合併して現在の根室市が誕生しています。戦後は特に北方領土返還運動の拠点となり、市内の至る所に北方領土関連の碑や看板が見受けられます。
このように根室半島は、古代からアイヌ文化圏であり、江戸期には和人とアイヌの接点・国防の前線となり、明治以降は北海道開拓と北方漁業で発展するなど、多彩な歴史的変遷を経た土地なのです。
2. 地理
根室半島の地勢と気候
根室半島は北海道本土の東端から太平洋とオホーツク海との間に細長く突き出た半島です。その先端部は北緯43度23分・東経145度49分付近に位置し、日本本土で最も東にあたります。
付け根側には風蓮湖などの潟湖や湿地が広がり、先端に納沙布岬があります。地形はなだらかな丘陵と草原が多く、一部に原生林も残ります。海岸線は険しい岩礁や砂浜が点在し、太平洋側とオホーツク海側の両方の景観を望めます。
気候は全体に冷涼で夏は涼しく、冬も北海道内では比較的穏やか(寒さが厳しすぎない)なのが特徴です。夏でも気温があまり上がらず、7月の平均気温は約16~17℃、8月でも18℃前後と、本州に比べて非常に過ごしやすい涼しさです。ただし晩春から夏にかけては親潮(千島海流)の影響で濃い海霧(ガス)が発生しやすく、初夏(特に6月頃)は晴れていても突然白い霧に包まれる日が多くなります。
一方、冬は氷点下の厳しい寒さになりますが、北海道内では降雪量が少なめで晴天の日が多い土地柄です。根室の冬は「道東晴れ」と呼ばれる澄み切った快晴の日が多く、湿度も低いため体感的には冷え込みが厳しいものの、札幌など道央に比べると積雪は少なく比較的乾燥しています。
平均気温は1月で-5~-6℃程度(札幌とほぼ同等)ですが、一日の寒暖差が小さいため真冬日が続きやすい傾向です。11月以降は北西の季節風が強まり、真冬の2月頃には根室海峡沿岸に流氷が押し寄せる年もあり、厳寒の気候となります。冬季は道路が凍結しやすく、吹雪もあり得るため、防寒・防滑対策は万全にする必要があります。
チャシ跡群周辺の交通アクセス
鉄道: JR根室本線(花咲線)が根室市と道内主要都市を結んでいます。終着の根室駅へは、釧路駅から各駅停車で約2時間30分、札幌方面からは釧路で乗り換えて合計7~8時間ほどかかります。夜行列車(快速「はまなす」など)を利用する方法もあります。根室駅の一つ手前にある東根室駅は日本最東端のJR駅として知られています。
バス: 根室市内および近郊には根室交通の路線バスが運行しています。市街地から主要観光地への便もあり、例えば納沙布岬へは根室駅前から路線バスで約30~40分で行くことができます(1日数便運行)。また、中標津空港からは根室駅前行きの直通バス(空港連絡バス)が出ており、所要約95分で到着します。空港連絡バスは1日4往復ほど運行されており、予約不要で利用可能です。
車: 観光スポットを巡るにはレンタカーや自家用車があると便利です。釧路市から根室市までは国道44号経由で約160km、所要2時間半~3時間ほどです。道中、厚床(あっとこ)付近で野付半島方面への分岐があります。根室半島内の主要道路は整備されていますが、チャシ跡群のある岬や丘陵へ向かう道は細く曲がりくねったものもあります。冬季は一部区間で通行止めやチェーン規制になることもありますので注意してください。特にチャシ跡群のある場所は冬期の除雪が行われないため、積雪期の訪問は困難です。主要な観光地(納沙布岬、風蓮湖ネイチャーセンター、花咲港など)には駐車場が整備されています。
旅行しやすい季節や気候のポイント
根室を訪れるなら、一般的には夏から初秋(7月~9月)が最も旅行しやすいシーズンです。夏の根室は涼しく湿度も比較的低いため、真夏日が少なく快適に過ごせます。特に8月下旬~9月中旬は海霧も収まり天気の安定した日が増え、花咲ガニやサンマなど旬の味覚も楽しめる絶好の時期です。
実際、9月の根室は晴天率が高く、爽やかな秋空の下で観光を満喫できます。5~6月の春季はまだ肌寒く霧の日も多いですが、エゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)やハマナスなど原生花園の花が咲き始め、早夏ならではの景観が見られます。10~11月の晩秋も晴れる日が多く、湿原の草紅葉が美しい穴場シーズンですが、日増しに気温が下がり初雪の可能性も出てきます。
冬季(12月~2月)は観光オフシーズンとなりますが、真冬ならではの体験もあります。毎年元旦には納沙布岬で日本一早い初日の出を見るイベントがあり、厳寒の中でご来光を拝むことができます。また2月頃には風蓮湖に数百羽規模のオオハクチョウ(白鳥)が飛来し、湖面に羽を休める光景は幻想的です。
ただし冬の根室は道路状況や公共交通の本数が限られるため、訪問には十分な準備が必要です。厚手の防寒着や滑りにくい靴を用意し、時間に余裕を持った行程を心がけてください。チャシ跡など屋外遺跡は積雪で埋もれてしまうため冬季は見学が困難です。総合すると、根室半島を観光で満喫するには自然が躍動し気候も安定する7月下旬から9月上旬頃がベストと言えるでしょう。
3. 文化
アイヌ文化や伝統
根室半島を含む北海道東部は、近代以前はアイヌ民族の生活圏であり、根室という地名自体もアイヌ語の「ニムオロ」(樹木の茂る場所)に由来します。アイヌの人々は独自の言語(アイヌ語)を持ち、文字を持たない代わりに口承で物語や伝承を語り継ぐ豊かな文化を育んできました。
伝統的な生活は上述の通り狩猟・漁労・採集が中心で、自然の恵みに感謝し共生する暮らしでした。アイヌは人間の周囲に存在するあらゆる生き物や自然現象に神(カムイ)が宿ると信じ、独自の信仰と精神文化を築いてきました。
例えばヒグマは山の神の化身として特に敬われ、村に捕獲した子熊を一定期間育てた後、その霊を神の国に送り返すイオマンテ(熊送り祭)が行われました。日常的にも、食事や狩猟の前後にはカムイに祈る「カムイノミ」という儀礼を欠かしませんでした。
工芸や芸能の分野でも、アイヌは独特の伝統を持ちます。男性は木や角を用いて美しい紋様の彫刻品や生活道具を作り、女性はアットゥシ(オヒョウの樹皮繊維で織った布)や毛皮で仕立てた衣服に幾何学模様の刺繍を施しました。こうしたアイヌの工芸品は実用性と芸術性を兼ね備え、交易品としても重宝されました。実際、熊の毛皮や鮭の干物と並び、アイヌの刺繍衣服や木彫り細工は松前藩などを通じて和人社会へ渡り、高く評価されていました。
現在、根室市内ではアイヌ文化の資料を展示する根室市歴史と自然の資料館があり、伝統的な狩猟具や衣服などを見ることができます。また根室半島チャシ跡群そのものが、アイヌの歴史を今に伝える野外博物館と言えます。半島を歩けば、当時のアイヌの営みや和人との交流の足跡を感じることができるでしょう。
根室半島の特産品や郷土料理
海産物の宝庫・根室では、新鮮な魚介類が四季を通じて楽しめます。中でも代表格はサンマ(秋刀魚)で、根室は平成10年以降サンマの水揚げ量が日本一を継続する全国有数の漁港です。脂が乗った秋のサンマは刺身でとろけるような美味しさで、炭火の塩焼きにすれば香ばしい風味が食欲をそそります。
毎年秋には「根室さんま祭り」も開催され、炭火焼サンマの無料提供が行われるなど盛り上がります。もう一つの名物が花咲ガニです。トゲのある赤い甲羅が特徴のカニで、国内では根室近海でしかまとまった漁獲がなく非常に貴重です(漁期は夏~9月頃に限定)。
花咲ガニは身が柔らかく独特の甘みとコクがあります。豪快に茹で上げたものにかぶりつくのはもちろん、ブツ切りにした脚を味噌仕立ての汁にした花咲ガニのてっぽう汁はカニの出汁がよく出て絶品です。さらに根室周辺は良質な昆布の産地としても知られ、長昆布やガゴメ昆布などミネラル豊富な海藻がとれます。
ホタテやホッキ貝、アサリといった貝類も豊富で、大粒の北寄貝の刺身や、プリプリのホタテ焼きなども味わえます。イクラ丼やウニ丼など北海道らしい海鮮丼も、獲れたてのイクラやウニを贅沢に盛り付けた逸品が堪能できます。根室に来たらまず海の幸を味わってみてください。その新鮮さと美味しさにきっと驚くはずです。
一方、根室発祥のユニークなご当地グルメ(郷土料理)も見逃せません。中でも有名なのがエスカロップと呼ばれる洋風メニューで、タケノコ入りのバターライスの上にトンカツを乗せ、濃厚な特製デミグラスソースをかけた料理です。昭和30年代に根室の喫茶店で考案され、市民に親しまれてきた味で、現在も市内のレストランや食堂で提供されています。ボリュームたっぷりですが、不思議とペロリと平らげてしまう根室自慢の一品です。
類似したメニューにオリエンタルライスやスタミナライスがあります。オリエンタルライスはドライカレー風味のライスに脂身の少ない牛サガリ肉の焼き物を乗せ、上から専用のデミグラスソースをかけたもの。
スタミナライスは白米にトンカツを乗せ、その上にニンジン・タマネギ・竹の子・キクラゲなど野菜たっぷりの中華風餡をかけ、好みに応じて目玉焼きを添えたスタミナ満点の一皿です。
いずれも根室で生まれた創作料理で、市内の食堂で味わうことができます。また、近年開発された根室さんまロール寿司もユニークです。地元産のサンマとお米を使い、根室産の昆布でくるりと巻いたお寿司で、2008年に「食べる昆布」の新商品として登場しました。
このように、根室では伝統的な海産物から洋風アレンジ料理まで、多彩な食文化が根付いています。旅ではぜひ地元ならではの味にチャレンジしてみてください。
周辺の観光スポット
根室半島を起点に足を延ばせる周辺の観光スポットも数多くあります。代表的な見どころをいくつか紹介します。
納沙布岬(のさっぷみさき): 根室半島の先端に位置する、日本本土最東端の岬です。ここでは日本で一番早く朝日が昇る地点として有名で、6月頃には午前3時台に日の出を迎えます。毎年元旦には日本一早い初日の出を拝もうと、多くの観光客が納沙布岬に訪れます。
岬の突端には北海道最古の洋式灯台である納沙布岬灯台(明治5年点灯)が立ち、その目前の海上には北方領土の貝殻島灯台が見えます。さらに天気が良ければ、その先に水晶島や国後島など歯舞群島・色丹島・国後島といった北方四島を望むことができます。
周辺一帯は望郷の岬公園として整備され、北方領土の歴史や当時の島民の暮らしを伝える資料館「北方館・望郷の家」や、北方領土返還と平和への祈りを込めたモニュメント「四島のかけ橋」など見どころが満載です。
園内には食事処や土産店もあり、雄大な景色を眺めながらゆっくり散策できます。運が良ければ岬周辺の海にラッコやクジラが現れることもあり、自然観察のポイントとしても注目されています。
花咲灯台と車石(はなさきとうだい・くるまいし): 根室市街から東に進んだ花咲岬に立つ白赤の灯台が花咲灯台です。岬の下には根室を代表する奇岩**「車石」**があります。
これは放射状の節理構造を持つ玄武岩で、輪切りにした車輪のような模様をした巨大な岩石です。直径は6mにも達し、その規則的な模様の見事さと大きさは世界的にも珍しく、国の天然記念物に指定されています。灯台横から海岸へ降りる遊歩道が整備されており、間近で車石を見ることができます(満潮時は注意)。
車石はまるで人が加工したかのような同心円の溝が特徴で、大地の芸術を感じられるスポットです。花咲港は花咲ガニの水揚げ港として有名で、夏の漁期には活気づく港の様子も楽しめます。灯台周辺の草原は初夏にエゾカンゾウやハマナスの花が咲き、美しい景観を作り出します。晴れた日には灯台から国後島を遠望することもできます。
風蓮湖・春国岱(ふうれんこ・しゅんくにたい): 根室市街の西側に広がる風蓮湖は、面積57.5平方km・周囲約96kmに及ぶ大きな汽水湖です。砂州の春国岱が外海(根室湾)と隔てており、淡水と海水が混ざる独特の生態系を育んでいます。ここはラムサール条約登録湿地にも指定されており、湿原・森林・砂丘など変化に富んだ自然環境に約330種もの野鳥が生息する日本有数の野鳥の楽園です。
歴史・文化スポット: 根室半島周辺には自然以外にも歴史や文化を感じられる場所があります。市街地にある根室市歴史と自然の資料館では、約3000年前の土偶をはじめ市内遺跡から出土した土器・石器、アイヌ民族の生活用具、開拓時代の農具や北方領土関連の資料などが展示されており、訪問前に根室の歴史背景を学ぶのに最適です。
納沙布岬の望郷の岬公園内には北方領土資料館(北方館)もあり、戦前の北方四島の暮らしぶりや歴史を知ることができます。また明治公園には日露和親条約調印(1855年)を記念した石碑が建ち、花咲港には日露交渉の舞台となった地を示す案内板が立っています。
少し足を伸ばせば、半島基部の野付半島(トドワラの枯れ木群で有名)や、南西方向の落石岬(断崖に立つ落石灯台と夏の高山植物が見どころ)、根室湾に浮かぶ無人島のユルリ島(馬が放牧されており、夏季に渡船ツアーがある)など、知る人ぞ知るスポットも点在します。
根室半島とその周辺を巡れば、北の大地ならではの壮大な自然景観と、アイヌから近代までの重層的な歴史文化の両方を堪能できることでしょう。
旅の前にこれらの知識を頭に入れておくことで、実際に訪れた際の満足度は一層高まるはずです。
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