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異業種からフロントエンドエンジニアに転身! キャリアチェンジで人生を切り拓くコツを西村さんから学ぶ

どうも、デジタルキューブグループ 広報のタカバシです。

僕は Web ディレクターから広報へとキャリアチェンジをしましたが、デジタルキューブには、業界未経験で転職してきたスタッフも在籍していますし、キャリアチェンジ後に活躍している方が多くいらっしゃいます。

今回は、バイク関連のお仕事からフリーランスを経て、現在はフロントエンドエンジニア、そして三兄弟の父としても活躍する西村さんに、これまでの経歴についてお話を伺いました。

西村 州平(フロントエンドエンジニア)

── まずはキャリアのスタート地点について教えていただけますか?

はい、最初はサラリーマンとして働いていましたが、どうしてもバイクに関わる仕事をしたいという夢がありました。父が整備士だった影響も大きかったですね。小さい頃からよく整備を手伝わされていました。バイクの免許を取って乗るようになって、だんだん乗るだけじゃ物足りなくなってきて、親父の手伝いもあったんで、ちょっと分解ぐらいならできるようになりました。
ただ、バイク屋を開業する矢先に事故に遭い、バイクに関わる仕事を続けることが難しくなりました。

── その事故で片足を失うことになって、義足になってしまったんですよね。

バイク屋をするにはバイクに乗れないといけないので、義足でも諦めずに準備していたんですけど、実際にバイクに乗ってみたら大変で… 倒れちゃうんですよね。かなり時間があれば別だったんですけど、これはできないなと。

── 義足をつけて歩けるようになるまでにはどれぐらいの時間が必要でしたか?

まず義足をつける前に、傷口がなかなか治らず、3年ぐらいかかりましたね。義足をつけてから歩き出すのは割と早かったです。半年ぐらいで結構歩けるようになりました。

── 「割と早かった」と言いますが、半年って聞くだけでも相当長いと感じます。

そうですね… 入院中に泣いたこともあります。終わりが見えなくて、不安で… でも、社会復帰して乗り越えてから振り返ると、もうなんともなかったんですよ。辛かった当時も、今ではそんなに辛く感じないです。

── その後、次のキャリアはどのようにして見つけたんですか?

入院中にインターネットと出会ったのがきっかけです。ウェブサイトを見ていて「これ、どうやって出来てんだろう?」みたいなところから仕組みに興味を持ちました。自分でHTMLを書いて、ブラウザで表示されたものを見てみたら、見出しひとつだけでもすごく感動しました。

── その時点でパソコンは普通に操作できた、というか、慣れていましたか?

いや、全然。指二本でキーを叩くみたいな感じで、入力もよくわからない状態でした。

── ウェブサイトの構造に興味を持ったのは、車の整備やバイクの解体に通じるものがあったからですかね?

そうですね。バイクもコンピューターも、どうやったら速くなるのかを考えるのが面白くて。「チューニングするには?」みたいな記事を見たり、本を買ってきて勉強したりしていました。

── なるほど、スピードにつながる仕組みを解明していくみたいな楽しさを感じたんですね。そこからウェブデザインの学びはどのように進めていったんですか?

独学で簡単なウェブサイトを作れるようにはなっていましたが、限界を感じてヒューマンアカデミーのコースを受講しました。現場で働くプロの講師から直接学べるのが魅力でしたね。

── その修業を終えて就職に至るんでしょうか?

講習期間が終わるちょっと前に、「地元・鹿児島のサービスプロバイダーに求人があるよ」って教えてもらって応募をして、講習が終わる前に就職が決まりました。

── おお、すごい。

ちょうど CSS レイアウトとテーブルが入れ替わる過渡期で、CSS がわかるってだけで採用されました。

── そのサービスプロバイダーでは何年くらい働かれたんですか?

2年半ぐらいですね。その会社を辞めるあたりで、Apple User Group Meeting(AUGM)に参加した時に、隣になった方が WordPress 界隈のイベントによく行かれてる方で、その方に「福岡でイベントがあるよ」と教えていただいて、初めて WordPress のイベントに参加しました。そこでいきなり小賀さんに会いました。

── 小賀さんの印象はいかがでした?

小賀さんに会った時は… 確か休憩中にデジタルキューブの皆さんがゾロゾロ歩いてて… かなり存在感がありました。遠くから見て矢印が立ってるぐらいの感じで… 「鹿児島から来たのか?」って急に訊かれて。

── いきなりそんな話しかけ方する人います?

すごいですよね。

── すごいですね。

ただ、僕的には同じ匂いがしたんですよね。で、「鹿児島で WordCamp やれよ」って言われて、「この人、唐突に何を言ってんだろう」って感じでした。「多分、僕は無理だ」って言ったら「誰もいなかったら俺たちが行くから」って言ってくれて。僕も「この人たちが来るんならできるかも」と思って。「じゃあやります」みたいな感じで、始まりました。

── やるとなったら、まずはスケジュールを決めると思うんですが、その後ってどんな感じで準備していったんですか?

小賀さんに「WordCamp の前に、鹿児島でも WordBench をやればいいじゃん」って言われて、その通りにやっていたら、だんだん参加者が増えてきて、「僕も手伝う」「私も手伝う」みたいに人が増えていって…

最初はやる気なんてなかったんですけど、やってみたらすごく楽しいじゃんって感じでした。 実際には WordVolcano  という非公式イベントを開催しました。

── WordVolcano を開催していた頃はフリーランスだったんですか?

そうです。イベントをやっていく中で少しずつ WordPress がわかるようになっていったんですが、その頃からデジタルキューブが忙しい時にお手伝いをしていて、仕事のやり方も教えてもらっていました。テーマ構築のような仕事ばっかりだったんですけど、ものすごくレベルが高くて、最初はビビってました。

── そこからどういうきっかけで、デジタルキューブに入ることになるんですか?

入社するまでに小賀さんから飲みの席で2回ぐらい「入れよ」って言われていて、「いやいや、俺なんか」って言ってたんですけど、ある時に「300年先のデジタルキューブ」という話を小賀さんがした時に、すごく響いちゃって…

── それは見たいぞ、という感じですか?

すごいロマンがあるなって思いました。ただ、その時に「一緒にやろうよ」って言われたきり、何の連絡も来なくなったんです。

── でも「一緒にやろう」って声かけたのに、西村さんが反応しなかったら、相手は縁が無かったと思いますよ。

実は、ビビっちゃったんですよね。本当に僕が役に立てるのか…
でも、いろいろ考えて、自分にとって楽な道ではないと思いつつも、ワクワクしましたし、しっかりとやる気になって、僕が「入れてくれよ」って言った感じですね。で、入社して今年で3年目になります。

── デジタルキューブの行動指針の中で、とくに共感しているものはありますか?

「即実践」ですかね。そのままですが実践してると思います。

Our Values 行動指針

── お話を伺っていて「常に学び続ける」や「主体的であれ」も当てはまる部分があるんじゃないかと思いました。

確かにそうですね。「主体的であれ」は特にそうかもしれません。

── 今はデジタルキューブで働く傍ら、自らのスキルや経験を「シェアする」講師としても働いていると思うんですが、講師の仕事はいかがですか?

デジタルキューブでの仕事とギャップがありますね。デジタルキューブはフルリモートなのでオンラインで顔を見て話はしますけど、講師はリアルな人との対話が中心なので。

── 講師の仕事をするきっかけは?

元々通っていたヒューマンアカデミーからお声がけをいただいたことがきっかけです。

── どんな方に教えていらっしゃるんですか?

20代から50代までの15名くらいです。皆さんすごく真面目で、きっちり聞いてくださいます。だから、知ってることを全部話しますし、下調べもするので、自分の勉強にもなっています。

── 対人関係のストレスってないですか?

対人関係はないです。タスクが溜まってて遅れちゃったり、スケジュールがズレちゃったりするのがストレスになりますね。そこにプライベートのスケジュールが色々重なってくると、もう嫌ですね。

── 「スケジュールをしっかりと管理すること」が一番のストレス対策ですね。

ただ、フリーランスの時は、人対人で思い悩むことが多かったです。トラブルまでではないですが、お金をもらえないことはありました。結構思い悩んで家でブツブツ言っていることもありました。でも、途中から本当に嫌なものは「嫌」って言ったらすごく楽になって、「これでいいじゃん」となりました。

── 何かきっかけがあったんですか?

お金がもらえるはずなのにもらえないとか、お金に関して言ったことを守ってくれないとか、そういうことで悩むぐらいだったらお金なんて無くていい、と思ったんです。「もう、入ってこなくていいや」ぐらいになって、「もう、僕はやりません」って言い出したら、逆に収入が安定するようになって…

── 自分の意思をしっかりと伝えることでうまく回り出したみたいなことですね。

そうですね。自分の想いはしっかりと伝える方がいいと思います。ちょっとニュアンスは違いますけど、子供にも「本当に目標が見つかったら、身近な人にどんどん言え。情報が勝手に集まるぞ」って言ってます。

── バイク事故の経験からキャリアチェンジして、いろんな人に出会いながら、IT の専門職に就いて、講師もされています。途中で不貞腐れてしまっても誰も責められないというか、仕方ない気もするんですが、どうしてここまで来られたと思いますか?

ワクワクする方に進んできただけですね。少し面倒でもワクワクすることを選んできました。

── たとえば、フリーランス時代のお金の苦労はいかがでしょう? それ自体はワクワクするものではないと思うんですが、ワクワクに向かっていたということですか?

そうですね。あと、良いことなのか悪いことなのかわかんないんですけど、僕は忘れっぽくて、嫌なことって割と忘れちゃうんですよね。バイクでの事故の後もそうですが、どうしてもできないことってあるじゃないですか。できないことをできないって言っててもつまんないので、「できることをやろう」って思ったんです。だからできることしかしてないかもしれないですね。

── 西村さんのパワーの源についてですが、バイクの事故に遭って、一旦そこで諦めなきゃいけないということがなかったら、「できることをやっていこう」っていう前向きさにならなかったと思いますか? それとも元々そういう性格でしたか?

足を切断するとなった時には長男がいて、「この子を海に連れていけないや」とか、できないことがすごく出てきたんです。悔しい思いが湧き上がって、それが1週間ぐらい続きました。
でもこんなことばっかり考えてちゃいかん、と。それで諦め力がついたというか、どうにもならんことってあるんだなと感じました。だから他のことをしようと思って、割と気楽になりましたね。

── 「くよくよしない」という表現で合ってますか?

そうですね。「ダメならもういい」って感じで。簡単には諦めませんけど、どうにもならないことに時間をかけてもしょうがないなって思ってます。

── では、今後の目標や夢について教えてください。

今の仕事に全力で取り組みつつ、仕事をリタイヤしたらコーヒー屋さんをやる気満々です。

── いいですね。コーヒー屋さんはカフェってことですか? それとも焙煎して豆を卸すような?

カフェ、淹れる方ですね。20代の頃からうまいコーヒーを淹れられるとうれしいんですよね。

── コーヒーはバイクやパソコンのように、スペックや分析に興味があるのではなく、コミュニケーションツールとしての役割が大きいですか?

そうですね。かみさんも焼き菓子屋さんなので、「子育てが終わったら一緒にやろうぜ」って話をしてます。

── いいですね! キッチンカーで全国を巡りながら焼き菓子とコーヒーを販売するってどうですか? 

ありですね。最近、子育てがもうすぐ終わるっていうのもあってか、そんな感じで見え出しましたね。


僕の西村さんに対する印象は、「元気なオヤジ」や「パワフルな漢」といった感じで、とてもキャラが立っています。四字熟語で表現するなら「明朗快活」ですが、考えてみるとそれは「くよくよしない」という姿勢から来ているのではないかと思いました。

事故からのリハビリ期間中に見つけたインターネットへの興味が、新たなキャリアの扉を開き、フリーランス時代の挑戦がデジタルキューブとの出会いへとつながり、そして現在では、デジタルキューブの一員として、さらには講師としても活躍しています。

「くよくよしない」「前を向く」ためには、努力を尽くした後でのある種の受け入れや諦めが必要なのかもしれません。ただ、「諦め」が直接エネルギーを生むわけではなく、集中することで、実践する力を強化するのだと思います。僕も日々是精進、ポジティブに集中する能力を磨きつつ、ワクワクする方を選んでいこうと思いました。

それでは、また。