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イタリアのアーティスト、パルミジャニーノが生まれた。

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ArtDailyは2019年01月11日に、アクティブなイタリアのマンネリスト画家で、版画制作者(Italian Mannerist painter and printmaker)で、一般的にフランチェスコ・マッツォーラ(Francesco Mazzola)または、ニックネームとしてパルミジャニーノ(Parmigianino)として知られている。このニックネームは、「パルマ(Parma)から来た子」ということで、当時は、多くの弟子がニックネームで呼ばれることが多かった。本名ジロラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ(Girolamo Francesco Maria Mazzola/1503 - 1540)は、ルネサンス期の画家であった父親フィリッポ・マッツォーラ(Filippo Mazzola/1460 - 1505)と母親ドナテーラ・アバッティ(Donatella Abbati/または、マリア・マッツォーラ/Maria Mazzola (di ser Guglielmo/? - ?)の8番目の子供として、1503年01月11日にイタリアのパルマ(Parma)で生まれた。つまり、フィリッポ・マッツォーラ夫婦には7人の子供がいたと報告した。

https://time-az.com/main/detail/62835

パルミジャニーノの父親は、彼が2歳の時にペストで死去し、子供たちは叔父であるミケーレ(Michele)とピアイラーリオ(Pier Ilario)に育てられた。
この叔父も画家であったことから、パルミジャニーノも、画家になり、1515年に、叔父はニコロ・ザングランディ(Nicolò Zangrandi)からサン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの礼拝堂(decoration of a chapel in San Giovanni Evangelista)の装飾の依頼を受け、若いパルミジャニーノも参加している。後に若いパルミジャニーノによって完成された作品で、18歳の時には、すでにバルディのサンタ・マリアのための祭壇画(altarpiece for Santa Maria at Bardi)「カタリナの結婚(Marriage of Catherine)」を完成させていた。

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1521年、パルミジャニーノは、従兄弟の画家ジローラモ・ベドーリ(Girolamo Bedoli)と共に、フランス軍、帝国軍、教皇軍の間の戦争から逃れるために、ヴィアダーナ(Viadana)に送り出されたれた。
ヴィアダーナでは、フラティ・デ・ゾッコリ教会のために聖フランチェスコ(Saint Francis for the church of the Frati de' Zoccoli)を、サン・ピエトロ教会のために聖カタリナの神秘的な結婚(Mystical Marriage of Saint Catherine for San Pietro)をテンペラ画で描いている。サン・ジョヴァンニでも仕事をし、クーポラのフレスコ画の装飾に取り掛かっていたコレッジョ(met Correggio, who was at work on the fresco decorations of the cupola)と出会った。

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パルミジャニーノの作品は、ミケランジェロやダ・ヴィンチなどルネッサンスの影響を受け、その中でも最も影響を受けているのはラファエロで、現存するスケッチの中でも、特にラファエロのスケッチが多く残っている。

1524年に「凸面鏡の自画像」を持ってローマに行き、高い評価を得た。

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ヴァザーリ(Vasari)はローマで、パルミジャニーノを「ラファエロの生まれ変わりとして祝われた」と記録している。

1527年の作品「Vision of Saint Jerome」を含んで、「改良された肉欲(refined sensuality)」としばしば特徴付けられて、全体のキャリアをフィレンツェ(Florence)、ローマ(Rome)、ボローニャ(Bologna,)、および彼の生まれ故郷の都市パルマで活動していた。

また、自分で版画を試した最初のイタリア人画家の一人でもあった。

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しかし、その当時に流行っていた赤痢により、37歳の若さで1540年08月24日にベネチア共和国のカザルマッジョーレ(Casalmaggiore, Republic of Venice)で、 死去したと言われている。

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マンネリストとしての最初の世代の中で最もよく知られた1527年の「Vision of Saint Jerome(聖ジェロームの幻影)」や1534年の「Madonna with the Long Neck(長い首の聖母)」があり、細長い形態を特徴とする作品を制作した。今回公開された画像は、1530年から40年頃に制作された「Virgin with Child, St. John the Baptist, and Mary Magdalene(聖母子と洗礼者ヨハネ、マグダラのマリア)」である。

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パルミジャニーノが生まれたイタリアのパルマは、カリグラフィ的要素を排除したオリジナルの活字で印刷したボドニー(Giambattista Bodoni/1740 - 1813)の故郷でもある。

さらに、最初は「パルマ王年代記(Parma King Chronicle)」を出版しようとして、原稿は完成していたが、当時はスペイン王に出版許可を取ることが義務付けられていたが、スペイン王は、他の王を認めないということで出版が禁止された。
その出版権をボドニーが買い取り、全く同じ内容だが、「パルマ年代記(Cronaca di Parma)」としてスペイン王から出版許可を取り、出版したというエピソードがあり、私にとっては、ボドニーがスペイン王を騙して出版したという重要な出版史の事件ということで、ローマの古本屋から買い取って、コレクションに追加した。

しかし、その背景をほとんどの人が知らないという。

また、パルマの生ハムが有名で、真夜中のレストランも有名で、何軒かが真夜中だけ開いている。

日本人の観光客は、ホテルに入ると、部屋を出ないが、パルマでは、それでは大損をしている。

また、パルマでは、当然、ボドニー博物館も見逃せない。

Full Name: Girolamo Francesco Maria Mazzola
Alternative Names: Francesco Mazzola, Parmigiano
Date of Birth: 11 Jan 1503
Date of Death: 24 Aug 1540

Focus: Paintings
Mediums: Oil, Wood, Other
Subjects: Figure, Scenery
Art Movement: Mannerism
Hometown: Parma, Italy

パルマのzzale della Steccataにあるパルミジャニーノ(Parmigianino)の像の緯度、経度。
44°48'08.0"N 10°19'38.9"E
または、
44.802214, 10.327461

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2018-09-07---中華食材卸の藤屋のパルマ産生ハム・スライス。
1609-07-15---イタリアのバロックの画家アンイバレ・カラッチが死去した。
1610-07-18---イタリアのバロック時代の画家カラヴァッジオが死去した。
1593-07-11---イタリアの画家ジュゼッペ・アルチンボルドが死去した。
1578-08-16---イタリアの画家フランチェスコ・アルバーニが生まれた。
1575-11-04---イタリアの画家で、イラストレーターのグイード・レーニが生まれた。
1571-09-29---イタリアのバロック時代の画家カラヴァッジオが生まれた。
1560-11-03---イタリアの画家・イラストレーターのアンイバレ・カラッチが生まれた。
1564-02-18---ミケランジェロが死去した。
1564-02-15---天文学者ガリレオ・ガリレイが生まれた。
1560-11-03---イタリアの画家・イラストレーターのアンイバレ・カラッチが生まれた。
1519-05-02---イタリアのアーティスト、レオナルド・ダ・ビンチが死去した。
1512-11-01---ミケランジェロがシスティナ礼拝堂の天井画を公開した。
1511-06-18---イタリアの建築家で、彫刻家のボルトロメオ・アンマンナーティが生まれた。
1507-11-03---レオナルド・ダ・ビンチが「モナ・リザ」の 肖像画を描くために委任された。
1504-09-08---ミケランジェロの『ダビデ像』が公開された。
1503-09-13---ミケランジェロが『ダビデ像』の制作を開始した。
1486-09-14---ドイツの練金術師ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパが誕生した。
1483-04-06---イタリアの画家で建築家のラファエロが生まれた。
1475-03-06---イタリアの画家で彫刻家ミケランジェロが生まれた。
1462-01-02---イタリアの画家ピエロ・ディ・コジモは生まれた。
1452-04-15---イタリアのアーティストレオナルド・ダ・ビンチが生まれた。
1435-10-24---イタリアのアーティストのアンドレア・デッラ・ロッビアが生まれた。

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