イタリアの画家マザッチョが生まれた。
ArtDailyは2019年12月21日に、イタリアで15世紀、ルネサンス初期に、最初に最も偉大な画家になったマザッチョ(Masaccio/1401 - 1428)は、1401年12月21日にトマソ・ディ・サー・ ジョヴァンニ・ディ・シモーヌ(Tommaso di Ser Giovanni di Simone)として、フィレンツェ共和国の現在のサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ(San Giovanni Valdarno/当時のカステル・サン・ジョバンニ・ディ・アルトゥラ/Castel San Giovanni di Altura)で、公証人であった父親のジョヴァンニ・ディ・シモーネ・カッサーイ(Giovanni di Simone Cassai/? - ?)と、フィレンツェ南部バルベリーノ・ディ・ムジェッロ(Barberino di Mugello)の宿屋の娘だった母親モンナ・ヤーコパ・カッサイ-フェオ(ディ・マルティノッツォ(Monna Jacopa Cassal-Feo(di Martinozzo/? - ?)の子として生まれたと報告した。
兄妹には、弟のイオ・シェッギア/ジョバンニ・セル・ジョバンニ・カッサイ、イオ・シェッギア(lo Scheggia/Giovanni ser Giovanni Cassai, lo Scheggia/1406 - 1486)がいた。
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家名の「カッサーイ(Cassai)」、父方の祖父シモーネ・カッサーイ(Simone Cassai/? - 1406)と大叔父ロレンツォ・カッサーイ(Lorenzo Cassai/? - ?)が家具職人(casse あるいは cassai)であったことが明らかになっている。
マザッチョ(Masaccio)は、本名のトマソ(Tommaso)の短縮形で、「マーゾ(Maso)」からきており、 「不恰好」あるいは「だらしない」男を意味する。
父親のジョヴァンニはマサッチォが5歳の1406年に死去した。
同じ年に弟ジョヴァンニ(Giovanni/1406 - 1486)が生まれており、後にロ・スケッジャ(lo Scheggia/破片)という愛称で呼ばれる画家になっている。
イタリアのアーティストは、愛称で呼ばれることが多い。
1412年に母親のヤーコパ(Monna Jacopa)は年上の薬剤師テデスコ・ディ・マエストロ・フェオ(Tedesco di maestro Feo/? - ?)と再婚し、フェオの連れ子で、マザッチョの異母姉カテリーナ(Caterina)が後にミラノ(Milano)郊外のカステル・サン・ジョヴァンニ(Castel San Giovanni)出身の画家(婚礼箪笥の蓋の装飾を専門としていた木工職人として登録されている)マリオット・ディ・クリストファーノ(Mariotto di Cristofano/1395 - 1457/マリオット・ディ・クリストファーノ・ダ・カステル・サンクト・ジョヴァンニ/Mariotto di Cristofano da Castello Sancto Giovanni)としてCompagnia dei Pittoriには登録された)と結婚したという記録が残っている。
若い才能に絵画の道を示したのは彼だったかもしれないが、2人の画風が相互に影響し合ったという証拠はなく、むしろロレンツォ・ディ・ビッチ(Lorenzo di Bicci)の工房など、フィレンツェの老舗工房で修行した可能性の方が高いだろうと言われている。
ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari/1511 - 1574)の『画家・彫刻家・ 建築家列伝(Le Vite delle più eccellenti pittori, scultori, e architettori/Lives of the Most Excellent Painters, Sculptors, and Architects)』によると、マザッチョは、自然を模倣する手腕において、彼がいたルネサンス初期の時代で、納得できる三次元性の感覚だけでなく、真に迫った表現や動きから、ムーブメントを再生することまで、最もすばらしい画家であった。
また、作品に透視図法を最初に使用した最初の画家の一人であり、絵画に消失点などの概念を導入し、遠近法や明暗のコントラスト示すキアロスクーロ(Chiaroscuro/明暗法/陰影法)などを用いることによってより、自然で写実的な絵画を描いた最初の画家でもあった。
マザッチョは、26歳で死に、短命な画家だったが、ほんの少しの人だけが、彼の死の正確な状況を知っているだけであった。
今回公開された絵は、1422年に描かれた「San Giovenale Triptych」である。
マザッチョの絵画は、ヌードを「嫌って」メディチ家のコジモIII世(Cosimo III de' Medici)により、17世紀後半にイチジクの葉で隠されたが、1980年代の修復のときに、元の状態に戻した絵も残っている。
フィレンツェ南部バルベリーノ・ディ・ムジェッロ(Barberino di Mugello)の緯度、経度。
44°00'55.4"N 11°13'47.0"E
または、
44.015397, 11.229711