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ドイツの画家フランツ・プフォルが生まれた。

ArtDailyは2018年04月05日に、ドイツのナザレ活動の画家であったフランツ・プフォル(Franz Pforr/1788 - 1812)は、画家であったヨハン・ゲオルグ・プフォル(Johann Georg Pforr/1745 - 1798)とヨハンナ・クリスチーナ・プフォル(Johanna Christiane Pforr (旧姓;ティシュバインTischbein? - ?)の子として、1788年04月05日にフランクフルト・アム・マイン(Frankfurt/M)で生まれたと報告した。

彼には、兄のハインリッヒ・プフォル(Heinrich Pforr1780 - ?)がいた。

彼は初期に、彼の父親で画家の若いヨハン・ゲオルグ・プフォルと、彼の叔父で、美術教授、カッセルの絵画ギャラリーの最初の検査官であった若いヨハン・ハインリッヒ・ティシュベイン(Johann Heinrich Tischbein the Younger/1742-1808)から、絵画の訓練を受けた。

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フランツ・プフォルのアートは、早くから、その才能を認められ、1810年に、オーストリアのウィーンで公開されている高等教育の美術学校「ウィーン芸術アカデミー(Akademie der Bildenden Künste Wien)」で勉強しながら、ローマに引っ越し、失われた霊性を芸術で探していた彼らは、サンティシドーロ・ア・カーポ・レ・ケース(Sant'Isidoro a Capo le Case)の放棄された修道院に住んで、ヨハン・フリードリヒ・オーファーベック(Johann Friedrich Overbeck)、ルートヴィヒ・フォーゲル(Overbeck, Ludwig Vogel)、ヨーゼフ・ヴィンターゲルスト(Joseph Wintergerst)、ヨーゼフ・スッター(Joseph Sutter)、ヨハン・コンラート・ホッティンガー(Johann Konrad Hottinger)と、「聖ルカ兄弟団(Lukasbund/the Brotherhood of St Luke in Vienna)」を結成した。

これが「ナザレ派(Nazarene movement/the Nazarenes)」と呼ばれる画家集団の始まりとなったが、長生きできず、ローマのアルバノ・ラツィアーレ(Albano Laziale, Rome)で結核により24歳で死去した。

今回公開された作品は、1810年に描かれたヨハン・フリードリヒ・オーヴェルベックによるフランツ・プフォルの理想的な肖像(Portrait by Johann Friedrich Overbeck)である。

Oil on canvas, 62x47cm

Nationalgalerie, Staatliche Museen zu Berlin Berlin, Acquired 1887(1887年に取得)

これを描いたヨハン・フリードリヒ・オーヴェルベックはドイツの画家で、1804年から1806年にかけて、ヨーゼフ・ニコラウス・プレウ(Joseph Nicolaus Preoux)からデッサンの指導を受けた。

彼はウィーンのアカデミーに入学したが、そこでの古典主義に不満を持ち、4年後に退学した。

フランツ・プフォルやルートヴィヒ・フォーゲルとともにローマに渡り、ラフェルなどのようにドイツ美術に信心深さを復活させようとするロマン派の運動、ナザレ兄弟団の一員となった。

オーバーベック自身は修道会に所属し、各美術アカデミーからの教授職のオファーを何度も断っている。

ナザレ派の作品は、光、影、色を使った研究された構成が特徴である。

彼の最大の依頼のひとつは、コルネリウス(Cornelius)、ヴェイト(Veit)、シャドー(Schadow)と共同で制作した、ヨセフとその兄弟たちの場面を描いたフレスコ画によるバルトルディ邸の装飾(the decoration of the Casa Bartholdy/1818年)である。

この作品は、ナザレ派の代表的な作品のひとつとして知られ、友人が完全に幸福な状態であることを意図している。

これは、フランツ・プフォルの夢を受けて制作された作品で、プフォルは歴史画家の自分が、古い巨匠たちが並ぶ部屋で、美しい女性の存在に魅了されている姿を描いた。オーバーベックの絵では、ゴシック様式の窓のアーチの中に、ドイツの古い衣装に身を包んだプフォルが座っている。マドンナのような彼の「妻」は、手仕事を抱えて跪きながら聖書を読んでいる。ドイツの古い町並みとイタリアの海岸線を背景に、ドイツとイタリアの芸術を結びつける切っても切れない絆というナザレン派の理想を感じさせということで知られている。

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