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人類史上初の平和条約はどのようなものだったのか?
プラティーク・ダスグプタ(Prateek Dasgupta)は2021年11月28日に、米国のMedium Daily Digestの「History-of-Yesterday」として、人類史上初の平和条約について紹介した。
それは、紀元前1271年(1258 B.C.?)に締結された最初の平和条約で、青銅器時代の2つの大国間の敵対関係を終わらせるものだったと報告している。
https://time-az.com/main/detail/76276
エジプトのファラオ、ラムセス2世(Egyptian pharaoh, Ramses II/太陽王ラムセス2世/ラムセス大王)と、ヒッタイトの王ハットゥシリス3世(Hattusilis III, King of the Hittites)によって締結されたものである。この条約は2部作成され、1部はエジプト古代文字である象形文字(hieroglyphics)で、もう1部はメソポタミアの古代楔形文字のアッカド語(Mesopotamian language of Akkadian/またはバビロニア・アッシリア語/Babylonian-Assyrian)であった。
実は、エジプトの武器は、青銅でできた剣や弓、槍であったが、メソポタミアではすでに鉄の武器ができていた。
戦闘になれば、青銅でできた剣や弓、槍が鉄の武器で切られ、勝負にならなかったことだろう。
しかし、ラムセス大王は負けるわけにわいかず、政治的に平和条約に持ち込んだ。
太陽神は負けてはいけない。死んでもいけない。
ところが、エジプトに帰ってきた時は、勝者であるが如く、堂々と帰還した。
メソポタミアには、太陽王ラムセス2世が当時、2頭の馬に引かせた2輪戦車で戦っているレリーフも残っている。
このレリーフは、太陽王として現在はイランの古代遺跡ペルセポリスにもあり、インドのオリッサ州プリー(Puri. Odisha)には2輪戦車に、太陽王ラムセス2世の代わりに太陽神ブッダ飾られた遺跡が残っている。
昔、一時太陽神の歴史を調べていた時に気がついた。