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今度は、「分譲アパートの床下」から、イエス・キリストの墓?

そして、今度もキリスト教の起源と古代ユダヤ教を研究するという米国で著名な学者で歴史家m米国ノースカロライナ大学シャーロット校教授 ジェームズ・テイバー博士(Dr. James Tabor, Professor, University of North Carolina at Charlotte, USA)と言うアメリカ人。

Forbes JAPANは2024年04月06日に、「パティオの墓」内に骨棺があり、石で封印されているのが見えると報告した。

ジェームズ・テイバー博士は、これが「イエス一族の墓」と思われると発表した。

庭の墳墓が最初に発見されてからわずか1年後、集合住宅の建設工事に伴うダイナマイトの爆発によって、すでに露出していた庭の墳墓のわずか60メートル北にある、古代の墳墓が新たに露出した。再度、アモス・クロネル(Amos Cronell)がその墓の調査に呼ばれた。

それほど都合よく、短期間に思い通りのものが見つかるのだろうか?

パティオの墓(または「復活の墓」)と名づけられた集合住宅の中庭。庭の墓と同様、現在は立ち入り禁止になっている。

クロネルは天井の割れ目からしか墓に入ることができなかった。古代の正方形の入り口は閉ざされ、ストッパーの役目を果たした大きな石で堅く封印されていた。クロネルが最初に見たのは、3.5メートル×3.5メートルの、岩で削られた正方形の1つの部屋だった。

部屋の3つの側面に沿って、それぞれ3つずつ、深さ2メートルほどの9つの彫りの深い切妻の窪みがあった。それぞれの壁龕は前面が塞ぎ石で塞がれていた。クロネルは壁龕の中に骸骨があり、そのうちの4つの壁龕の中に、まだ骨棺に納められていない一次埋葬の遺骨があることを確認した。また、床の3カ所には調理用の鍋が置かれていた。

クロネルには墓を調べる時間が十分に与えられなかった。やがてクロネルは、墓の神聖さを守ろうとする超正統派のユダヤ人たちに抗議され、そこから立ち去らざるを得なくなってしまったからだ。

しかしその後クロネルは、1つの小さな骨棺を調査することに成功した。それは、子どもの遺骨にふさわしい、碑文のない、装飾の施された骨棺だった。クロネルはそれをロックフェラー本部にあるIAA当局に預けたという(この骨棺は現在、イスラエル国の所蔵品となっている)。

抗議行動があったにもかかわらず、クロネルとIAAはこの墳墓を調査する決意を固めた。クロネルは別の予定のために出国しなければならなかったが、IAAの2人の考古学者、ジョセフ・ガト(故人)とシュロモ・グドヴィッチに調査の続行を託した。

そして彼らは現場に戻り、窪みから塞ぎ石を取り除き、中にある合計7つの骨棺を調べ、写真を撮って位置を記録することができたのだ。

1つを除くすべての骨棺に装飾が施され、2つにはギリシャ語の碑文が確認された。考古学者らは墳墓の場所に数日間滞在し、骨棺を龕から取り出し、さらに調べるために蓋を開けた。

しかし、それらの骨棺をIAAロックフェラー本部に運ぶため、墓の天井から吊り上げる準備をしていたところ、超正統派ユダヤ人の抗議グループによって再び作業が阻止された。そして残りの7つの骨棺は、すべて元の位置ではないものの窪みに戻されてしまい、今日に至っている。

骨棺を含む墓の割れ目の1つを遠隔カメラで撮影したもの。この空間内でカメラを操作するのは、控えめに言っても困難である。 写真:ウィリアム・タラント、GE Inspection Technologies and Associated Producers, Ltd.

ロボットアームとカメラで墓内に「侵入」

新たな考古学チームが結成され、この墓(現在は「タルピオットB」または「パティオの墓」として知られている)とその内部を再度調査することになったのは、それから25年以上経った2005年のことだった。

この最新の調査と記録は、著名なカナダ人映画プロデューサー兼監督のシンハ・ヤコボビッチ、ジェームズ・テイバー、ネブラスカ大学の著名な考古学者ラミ・アラフ、カナダ人映画プロデューサーのトップであるフェリックス・ゴルベフ、技術専門家である重要人物ウォルター・クラッセンとウィリアム・タラント、学術コンサルタントであるプリンストン神学校のジェームズ・H・チャールズワース博士など、さまざまな専門家を含むチームによって行われた。

調査の対象は以前に発見された庭園の墓と、1980年に工事の準備中にダイナマイトの爆発で大部分が破壊された墓である。

パティオの墓の調査に関する予備報告書の中で、テイバーは「これら3つの墳墓が近接していること、そして紀元1世紀の裕福な土地にまとまって存在していた可能性があることから、私たちはさらなる調査を行うための許可を求めたのです」と報告している。

3基の墓のすぐ近くには、漆喰の儀式用浴場(またはミクヴェ)、貯水槽、古代のオリーブ搾り機の跡もあった。この地域を調査したジョセフ・ガスは、墳墓を含めてこの地域は大規模で裕福な農業用地であったと断定した。おそらく、墳墓はその土地の所有者の家族の墓だろう。

「私たちの調査の目的は、パティオの墓がまだ無傷のまま残っていて、そこに名前や他の証拠があるかどうかを調べることだった」とテイバーはいう。

しかし、墓の更なる探索は、墓には触れたり壊したりしてはならないという正教会当局の要求に添うこと、目的を異にし、考慮し保護されるべきそれぞれの利害関係を有した複数の情報源から許可を得るという課題、そして墓の壁龕内の骨棺の周囲のスペースが非常に限られていることなど、もはや乗り越えられないハードルに直面してしまった。

必要なのは、墓の内部に対する前例のない「人手を使わない」調査だった。これを達成するために、チームは特別に設計された独自のロボットアームとカメラ/ビデオの組み立て部品を考案した。

丹念な努力と調整の結果は、驚くべきものであった。クロネルが最初に調査した結果に加えて、チームは装飾的な彫刻が施された4つの骨棺、無地の骨棺1つ、ユニークな印や銘文が刻まれた2つの骨棺の詳細を識別することができたのだ。

話題を呼んだのは後者の2つの骨棺で、それらは「第5骨棺」、「第6骨棺」と名付けられた。
第5骨棺には、2つのロゼットと精巧なフリーズの縁取りがある、装飾的な正面ファサードがあった。そして興味深いことに、ロゼットの間には4行のギリシャ語の碑文があった。

神の名「ヤハウェ」の文字がギリシア語で─

ギリシャ語が使われていることは、必ずしも特別ではない。しかし、翻訳されたこの文章はまるで墓碑銘のように読むことができ、この状況下では極めて異例であった。

さらに珍しいことに、当時のユダヤ人家族の墓であることが明らかな1世紀の骨棺に、神の名である「ヤハウェ」という文字がギリシア語で書かれており、よみがえりや復活を表す言葉(「神のもとによみがえれ」、あるいは「天によみがえれ」)が使われていた。

第6骨棺は、もともと(クロネルが探索した時には)墓の入り口に最も近い位置にあり、おそらくもっとも興味深い印があった。その前面には、尾、ヒレ、ウロコを含む魚の像と、口から大きな頭を出した棒のような人間の姿らしきものが描かれていた。

さらに上部の縁に沿って、魚の形をした小さな絵が連なっており、左端には鐘の形をした円があり、その中に十字架が描かれていた。右端には、鱗に覆われた魚の胴体と尾と思われる絵が描かれていたが、その下部だけが逆さまに描かれている。魚の頭の中には、「ヨナ」という名前と解釈されるものが刻まれており、この発見により、第6骨棺は「ヨナの骨棺」として広く知られるようになった。

「天によみがえれ」、魚の像、その「口」から現れる人間の像、そして「ヨナ」という名前。これらの発見は一体、何を意味するのだろうか?

アメリカ式考古学である。

何も真実が明らかになっていない。

2024年04月04日---「キリスト磔刑の現場」に新説。学会を仰天させたある考古学者の提言。

https://forbesjapan.com/articles/detail/70078
https://forbesjapan.com/articles/detail/69070
https://forbesjapan.com/articles/detail/69059
https://www.amazon.co.jp/dp/4781670121/
https://popular-archaeology.com/article/the-jesus-family-tomb/

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