フランスの画家でイラストレーターのジョルジュ・ルオーが生まれた。
ArtDailyは2022年05月27日に、作品がしばしばフォビズム(Fauvism/野獣派)でエクスプレッショニズム(Expressionism/表現主義)と言われるフランスの画家で、図案家、版画家であったジョルジュ・アンリ・ルオー(Georges Henri Rouault/ジョルジュ・ルオー/Georges Rouault/1871 - 1958)は、1871年05月27日に指物(さしもの)職人アレクサンダー・ルオー(Alexander Rouault)とマリー・ルイーズ・チャンプダヴォーヌ(Marie-Louise Champdavoine)の子として、場末の労働者街であったフランスのパリのベルヴィル地区のヴィレット(Villette dans le quartier des Belleville à Paris)で、コミューンに反対する勢力による街の砲撃中に地下室で生まれたと報告した。
つまり、ジョルジュ・ルオーは、COMMUNE DE PARIS(18 MARS - 28 MAI 1871)の真っ只中で生まれた申し子であった。
パリには、COMMUNE DE PARISの現場に、Allée Georges Rouault(ジョルジュ・ルオー小路)と命名された小路もある。
https://time-az.com/main/detail/59961
ルオーの母親は芸術への愛を奨励し、1885年に14歳の時、ガラス画家で修復家の見習いとして、ステンドグラス職人エミール・イルシュ(Émile Hirsch)に弟子入りさせた。
ルオーの黒く骨太に描かれた輪郭線は、その頃の影響と考えられている。
1890年には本格的に画家を志し、国立美術学校ENSBA(École nationale supérieure des Beaux-Arts/エコール・デ・ボザール)に入学し、ここでマティスらと知り合った。同校で指導にあたっていたのは象徴派の巨匠ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau/1826 – 1898)であった。
ルオーは、1903年にギュスターヴ・モローを求愛し、モローの旧居を開放したギュスターヴ・モロー美術館(Musée national Gustave-Moreau)の初代館長となっている。
1917年、ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)、ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)、ジョルジュ・ルオー、アリスティード・マイヨール(Aristide Mayall)ら印象派やポスト印象派の画家に対して物質的・精神的な援助を行って来た画商アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard/1866 - 1939)はルオーと契約を結び、ルオーの「全作品」の所有権はヴォラールにあるものとされたが、この契約が後に裁判沙汰の種になった。ルオーは、いったん仕上がった自作に何年にも亘って加筆を続け、納得のいかない作品を決して世に出さない画家であった。
また、前衛表現を取り入れた20世紀最大で、最も情熱的な宗教画家とも言われている。
晩年、ルオーは「未完成で、自分の死までに完成する見込みのない作品は、世に出さず、焼却する。」と言い出した。
ヴォラール側は「未完成作品も含めて自分の所有である。」と主張したが、「未完成作の所有権は画家にある。」とするルオーの主張が1947年に認められ、ルオーは300点以上の未完成作をヴォラールのもとから取り戻し、ボイラーの火にくべ燃やしてしまった。それが彼の芸術家としての良心の表明だったと言われるが、残念でもある。
今回公開された作品は、のジョルジュ・ルオーによって、1934年に制作された「Tristes Os(悲しい道化師)」
12 1/4インチ×7 7/8インチ。紙にカラー・エッチングとアクアチント。SUAC 1975.22.08
ArtDailyが2017年05月27日に公開したのは、ルオーが1905年に描いた「Jeu de massacre(屠殺)」、(Forains, Cabotins, Pitres), (La noce à Nini patte en l'air)で、グワッシュ、墨、および紙、53x67cm.
パリのジョルジュ・ポンピドゥー・センター(Centre Georges Pompidou, Paris)所蔵。
ジョルジュ・ルオーは、パリの美術学校でマティスらと同期だったこともあり、フォーヴィスムの画家に分類されることも多い。
Allée Georges Rouault(ジョルジュ・ルオー小路) 75020 Parisの緯度、経度
48°52'10.8"N 2°23'01.6"E
または、
48.869661, 2.383783
ギュスターヴ・モロー美術館(Musée national Gustave-Moreau)の緯度、経度
48°51'41.0"N 2°20'04.0"E
または、
48.861389, 2.334444
ジョルジュ・ルオーが住んでいた家があるBeaumont sur Sarthe, Pays De La Loire, Franceのぽ
48°13'33.3"N 0°07'33.1"E
または、
48.225919, 0.125847
2004-08-03---フランスの写真家アンリ・カルティエ-ブレッソンが死去した。
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