NATOの衝撃の歴史。
NATO(North Atlantic Treaty Organization)が公開している「A SHORT HISTORY OF NATO」によると、西ヨーロッパの民主主義諸国は、 1954年に西ヨーロッパ連合(Western European Union)となる西連合(Western Union)を1948年に、軍事協力と集団防衛を強化するためのさまざまなプロジェクトを実施するために協定した組織として設立した。
大西洋を横断する安全保障協定のみが、ソ連の侵略を抑止すると同時に、欧州軍国主義の復活を防ぎ、政治的統合の基礎を築くことができると判断されたのである。
そこで、多くの議論と討論を経て、1949年04月04日にNATOが調印された。
条約の中で、最も有名な第5条では、新しい同盟国は「それらのうちの1つ以上に対する武力攻撃は...それらすべてに対する攻撃とみなす」こと、そしてそのような攻撃を受けて、各同盟国は「武力の行使を含む必要と考える行動」をとることに合意した。
重要なのは、条約第2条と第3条が、攻撃の脅威とは直接関係のない重要な目的をもっていたことである。第3条は連合国間の軍事的準備態勢における協力の基礎を築き、第2条は非軍事的協力にある程度の余裕を持たせていたのである。
これが、攻撃的で、歴史のない米国を仲間に入れることを可能にしている。
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NATOは、同盟国を生み出したが、その行動を効果的に調整できるような軍事機構を作り出したわけではなかった。
ところが、ソ連の意図に対する懸念が高まり、1949年のソ連による原爆投下、1950年の朝鮮戦争勃発に至った。
この2つの事件で、NATOが受けた影響は劇的だった。NATOはすぐに、パリ郊外のベルサイユに近いロカンクール(Rocquencourt)に軍事本部を置く統合司令部構造を獲得した。これがSHAPE(Supreme Headquarters Allied Powers Europe/連合国欧州最高司令部)であり、ドワイト・アイゼンハワー将軍(US General Dwight D. Eisenhower_が初代SACEUR(Supreme Allied Commander Europe/欧州連合国最高司令官)に就任した。その後まもなく、連合国はパリに常設の文民事務局を設置し、NATOの初代事務総長にイギリスのイズメイ卿(first Secretary General, Lord Ismay of the United Kingdom)を任命し、その行動を効果的に調整できるような軍事機構を作り出した。
1953年のベルリンでの弾圧や1956年のハンガリー侵攻と同様、1968年08月、ソ連はチェコスロバキアに侵攻し、「プラハの春(Prague Spring)」と呼ばれたチェコの政治的自由化の時期を終わらせることに成功した。
この一連の流れが、その後ブレジネフ・ドクトリン(Brezhnev Doctrine)として知られるようになった。
これを期待したプーチンのウクライナ侵略は、今、失敗に終わりそうである。
ソ連から、ロシアに動いた時期、経済発展に重点を置き、新しい武器を開発してこなかった。
今回のウクライナ戦争で明らかになったのは、新しい武器を開発していたのは、米国だけであった。
そして、米国はウクライナ戦争で、新しい武器の実験場にした。
ロシアは、古い武器の処分場にしたが、米国の新しい武器の実験が、想像以上の効果を証明した。
中国が開発した武器は、米国の古い武器のコピーに過ぎない。
私が以前から中国に訴えてきたように、中国は、経済発展で主導的な立場を堅持し、武器による大国は無駄なことになることが明らかになった。
中国も、今回のウクライナ戦争で、それに気がついたようだ。
日本経済新聞は2022年5月17日に、中国は、配車アプリ最大手の滴滴出行(DD/ディディ)が当局の指導を受けて、米国上場の廃止手続きを進めるなどネット企業の海外上場は難しくなっていたが、新型コロナウイルスの感染封じ込めを狙う「ゼロコロナ(ZERO Corona)」政策で経済状況が悪化しているため、ネット大手の活性化でテコ入れをめざす習近平指導部は中国のネット企業の海外上場を容認する方向に転換することを中国の国営テレビ局「中国中央電視台(中国中央电视台/CCTV/China Central Television/中国中央テレビ)」が報告したと伝えている。
中国は、コロナのおかげで、正しい方向に向かい始めた。
中国には、世界を経済的に制覇できる、華僑ビジネス環境がすでに基盤としてある。
これは、昔から中国のエリートにインターネット上で話してきたことであり、それは米国の武器に勝てる唯一の方法である。
そのためには、中国が台湾に攻め込む必要も消え、シンガポールも協力してくれる。
現に、台湾の工場が、どれだけ中国にでき、経済的に協力していることか!
そのためには、米国も協力していることを忘れてはいけない。
中国が、武器で勝とうとすると、中国の未来は明るくない。
私が最もNATOで驚いたのは、1952年にギリシャとトルコがNATOに加盟したのに続き、ナチスを生み出したドイツが第2次世界大戦終戦から10年以内の1955年にNATO加盟し、合法的に軍隊を組織した時であった。
ヨーロッパの政治的統合は、その最初の一歩をためらいながら踏み出したのである。
西ドイツのNATO加盟に反発したソ連と東欧諸国は、1955年にワルシャワ条約(Warsaw Pact)を結び、1961年のベルリンの壁建設が始まっている。
ドイツにいた時、自宅の前をNATO軍の戦車が走り、その戦車を友人が運転していた時の衝撃は、今も忘れない
2022-05-18---フィンランドとスウェーデンが加盟申請、NATO長官が「歴史的瞬間」と称える。
2022-05-11---NATOとEU、G7とロシア、ウクライナ戦争。
2022-03-04---プーチン大統領暗殺計画。