ロゼッタ・ストーンの発見。

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多くの新聞情報を紹介しているNewspapersは2021年07月12日に、ジェニー・アシュクラフト(Jenny Ashcraft)によるナポレオンのエジプト遠征(Napoleon’s campaign in Egypt)中の1799年07月15日、エジプトの都市ロゼッタ(Rosetta)の郊外で、一人のフランス人兵士が碑文の書かれた黒い石を発見したと報告した。

https://time-az.com/main/detail/74825

彼は、重要な文化的発見ではないかと考え、これを上官に報告した。ロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone)には、3種類の文字で書かれた古代の法令が記されていた。そのうちの1つがエジプトの象形文字である。このロゼッタストーンを使って、他の文字と比較しながら、フランスの言語学者がヒエログリフの暗号を解読したのである。4世紀にヒエログリフが途絶えて以来、初めて失われた言語を解読することができ、エジプト学(Egyptology)という分野が誕生したのである。

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新聞「The Maryland Gazette(メリーランド・ガゼッタ) - 12.10.1801」
1798年、ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)はフランス軍を率いてエジプトとシリアを攻略した。彼の目的は、フランスの貿易利益を守り、最終的にイギリスをインドから追い出すことだった。ボナパルトは、発見した古代遺産を記録するために、学者を連れて遠征した。1799年07月、ロゼッタで土台を掘っていた青年将校のピエール=フランソワ=グザビエ・ブシャール(Pierre-Francois-Xavier Bouchard)は、碑文の書かれた石を発見した。
割れた石は大きな石盤の一部で、プトレマイオス王(King Ptolemy/紀元前204〜181年)に関する公式なメッセージや令状が書かれていた。同じメッセージが、ヒエログリフ(hieroglyphs)、デモティック(Demotic)、古代ギリシャ語(Ancient Greek)で書かれていた。

ナポレオンの敗戦後、アレクサンドリア条約(The Treaty of Alexandria)により、ナポレオンの遠征中に集められたすべての骨董品はイギリスに引き渡されることになっており、の中にはこの石も含まれていたのでロゼッタ・ストーンはイギリスの手に渡った。
ロゼッタ・ストーンは船に積まれ、1802年02月にイギリスに到着した。
その夏、ジョージ3世(King George III)に献上され、大英博物館(British Museum)に展示された。すぐに学者たちが碑文の研究を始めた。
イギリスの物理学者トーマス・ヤング(A British physicist named Thomas Young)は、石の上で何度も繰り返される象形文字群が、プトレマイオス(Ptolemy)という名前の音を書いていることに最初に気付いた。

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新聞「The Morning Chronicle(モーニング・クロニクル) - 8.9.1802」
ロゼッタストーンは、フランスの学者ジャン=フランソワ・シャンポリオン(Jean-Francois Champollion_をはじめとする他の学者たちと同様に、広範囲にわたる研究を続けていた。
その後、20年以上にわたってロゼッタストーンの解読競争が続いた。
1822年、シャンポリオンはいくつかの画期的な発見をし、1824年、シャンポリオンは、ヒエログリフが音声記号と表意文字を組み合わせたものであることに気づき、古代エジプト語を起源とするコプト語(ヒエラティ)の知識と合わせて、暗号を解読し、ヒエログリフを読むことができた。

その後、シャンポリオンはロゼッタストーンにメッセージを書き写した。シャンポリオンは、エジプト学の創始者と言われている。ロゼッタストーンに書かれていたメッセージは、プトレマイオス5世の戴冠1周年を祝う法令であったが、さらに重要なことは、他のエジプトの古代遺物に書かれた象形文字を解読できるようになったことである。

ロゼッタ・ストーンは現在も大英博物館に展示されており、220年近くもの間、多くの人々を魅了し続けている。

しかし、カイロのエジプト博物館には、ロゼッタストーンと同じような碑文は、その後複数見つかっている。

さらに、イランの郵便局に前には、ヒエログリフ、デモティック、古代ギリシャ語に加え、古代ペルシャ語で書かれた四角い碑文も残っている。

わたしのように、それを目的に旅していたものにとっては、エジプト博物館で、驚きが多かった。
例えば、ヨーロッパ中の博物館で、保存されている書記の像を分析した後、エジプト博物館数100の書記の像が見つかると、自分の研究はなんだったのかと、落胆する。

わたし手元には、シャンポリオンが出版したロゼッタストーンの解読を解説した本の復刻版がある。

また、ナポレオンのエジプト遠征(Napoleon’s campaign in Egypt)の復刻版もある。

エジプトの港湾都市ロゼッタ(Rosetta)の緯度、経度
31°24'00.0"N 30°25'00.0"E
または、
31.4, 30.416667

1799-07-15---ナポレオン・エジプト遠征で、ロゼッタ・ストーンを発見。
1798-07-21---ナポレオン軍がオスマン帝国のマムルーク軍に勝利。


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