フランスの写真家ルイ・ジャック・ダゲールが生まれた。

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ArtDailyは2020年11月18日に、写真撮影の銀板写真法プロセスを発明したと認められているフランスのアーティストで物理学者ルイス-ジャック-マン・デダゲール(Louis-Jacques-Mandé Daguerre/Louis-Jacques Daguerre/1787 - 1851)が、1787年11月18日にルイ・ジャック・ダゲール(Louis Jacques Daguerre/1761 - ?)とアンヌ・アントワネット・オーテル(Anne Antoinette Hauterre/1766 - 1846)の子として、フランスのコルメイユ(Cormeilles, France)のCormeilles-en-Parisis, Val-d'Oise, Île-de-France, Franceで生まれた。

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両親は、1780年に結婚している。
1791年には、妹のマリー・アントワネット・エウラリー・ダゲール(Marie Antoinette Eulalie Daguerre/1791 - ?)が生まれている。

妻は、アントワーヌ・ジャン=バティスト・プロスペル・コートン(Antoine Jean-Baptiste Prosper Courtin)とは、1810年10月24日に結婚している。

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娘は、アルマンディン・マリー・エウラリー・コートン(Armandine Marie Eulalie Courtin/1815 - ?)は、イギリスのロンドンで1815年03月01日に生まれている。
彼女は、1841年12月18日に、フランソワ・アルフレッド(コルディエ)・コルディエ・ディ・ビロン (François Alfred (Cordier) Cordier dit Billon)と結婚している。

https://time-az.com/main/detail/62199

彼は、写真撮影の父のうちの1人として知られた。

Louis Daguerre
Louis DaguerreAKA Louis-Jacques-Mandé Daguerre

Born: 18-Nov-1787
Birthplace: Cormeilles, France
Died: 10-Jul-1851
Location of death: Bry-sur-Marne, France
Cause of death: Heart Failure

Gender: Male
Race or Ethnicity: White
Sexual orientation: Straight
Occupation: Inventor, Photographer

Nationality: France
Executive summary: Invented Daguerreotype photography

彼は、1810年11月10日にルイーズ・ジョルジーナ・スミス(Louise Georgina SMITH/1786 - 1857)と結婚している。

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ただし、写真撮影で最も貢献したのは、ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce/1765 - 1833)で、ルイ・ジャック・ダゲールではなかったことが、現在では明らかになっている。

彼は、写真撮影への寄与のため最も有名であるけれども、彼はまた、ジオラマ劇場の熟練している画家で開発者でもあった。

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今回公開された写真は、パリで1838年にダゲールにより撮られた「Boulevard du Temple」で、人の最も早い既知の写真でもあった。

写真が通りを示すけれども、10分露出時間であるため、路上に何も写ってない。

しかし、左下で、捕らえられるように、それらのイメージのために、見たところ、磨かれた彼のブーツ、および靴磨きに磨かせておく人が十分に静止していた。

また、同じところで撮影した靴磨きが写っていない写真もある。

また、日本人で最初に撮影されたのは、島津成章(Shimazu Nariakira)で、撮影したのは(Ichiki Shiro)と記録が残っている。

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「ダゲレオタイプ」は、感光材料として、銀メッキをした銅板などを使っていた。

また、ネガではなく、ポジ画像をダイレクトに銀板上に定着され、そのため撮影された写真は1枚しか存在しなかった。

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それは、初期のポラロイドと同じであった。
また、初期のジルー・ダゲレオタイプは露光時間が日中で10〜20分かかり、肖像写真に使えるようなものではなかった。
その後、明るいレンズの開発と感光材料の改良によって最短で数秒程度の露光時間ですむようになった。

それ以前では、1802年にThomas Wedgwood(1771 - 1805)による硝酸銀を用いた方法もあったが、画像を定着する方法にはたどり着くことができなかった。

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ジョセフ・ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicéphore Niépce/1765 - 1833)は、腐食防止用に使うアスファルトの一種でパレスチナ原産の「ユダヤの土瀝青」(ビチューメン/Bitumen)が、光に当てると硬くなって油に溶けなくなる性質(フォトレジスト/Photoresist)を利用しようとした。
まずは版画の制作を行った。磨いたシロメ(白鑞)の板にビチューメンを塗って、この上に紙に描いたニスを塗って紙を半透明にした絵画を置き、太陽に当てると、絵の線の部分はよく光が当たらず瀝青が固まらないままになる。この板をラベンダー油(ラベンダーの精油/lavande essential oil)で洗うと、光が当たって硬くなった瀝青は残り、線の下にあって固まらなかった瀝青が洗い流され、結果として板に溝が残る。ここにインクを入れて印刷原版にするというアイデアだった。ニエプスは自分の技術を「太陽で描く」という意味から、これを「ヘリオグラフィ(héliographie)」と呼んでいた。

この技術は、有名なエッチングの絵画をコピーする技術「ヘリオグラビュール(héliogravures)」として、多く採用されていた。

また、少数印刷物にも多く採用され、多くのエロチック絵画が残っている。

その中には、デュラーやレンブラントの版画集もあるが、これを作るために、オリジナルの版画にニスを塗って紙を半透明にしたので、すべて破壊された。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが世界初といわれる写真エッチング「ヘリオグラビュール」を製作したのは1822年で、時の教皇ピウス7世(Pope Pius VII)の肖像を写したものとされているが、その原版は自身で複製を作ろうとしたときに破壊してしまった。

原版が現存する世界最古の写真は、1825年に彼が撮った、『Un cheval et son conducteur(馬引く男)』である(この写真は2002年03月21日にサザビーズに出品され、US$44万3000で落札された。

ジョセフ・ニセフォール・ニエプスは、より進んだ写真技術の開発を進めるため、1829年にパリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していたルイ・ジャック・マンデ・ダゲールと協力し、光で化学反応する銀化合物を使う研究を行った。

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しかし1833年、ニエプスは脳卒中で急死し、彼の研究はダゲールに引き継がれ、ダゲレオタイプとなって1839年に結実した。

ダゲールは1839年に、その発明を政府に買い上げてもらい、毎年6,000フランの年金を受け取ることになった。
一方、ニエプスの遺族にも毎年4,000フランの年金が与えられた。
これに対してニエプスの息子は、ダゲールの成果は全て父の成果を受け継いだだけだと主張した。実際、写真の発明へのニエプスの貢献は長年無視されてきた。
今日では、彼の日光の作用で感光させてイメージを定着させる技法ヘリオグラフィが世界初の写真の成功例であったことが広く認められている。

私はこれまでに、写真エッチング「ヘリオグラビュール」の版画のコピーを多く見てきたが、その多くのオリジナル作品が消えた。

私の知識は、写真より、印刷技術としての「ヘリオグラビュール」を勉強してきた。

patent No. 8194 of 1839: "A New or Improved Method of Obtaining the Spontaneous Reproduction of all the Images Received in the Focus of the Camera Obscura."

ダゲールが生まれたフランスのコルメイユ(Cormeilles, France)の緯度、経度。
49°14'50.2"N 0°22'39.6"E
または、
49.247275, 0.377667

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2011-03-10---写真の世界発達史!
2011-03-10---ショパンの死後の写真?
1857-09-17---日本で最初の写真が撮影された。
1839-08-19---世界初の実用的カメラ「ダゲレオタイプ」を報告した。
0000-06-01---写真記念日

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