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ロシアのウクライナ攻撃はどこで非難されたか。

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ドイツのインフォグラフィクスを紹介しているハンブルク(Stadt Hamburg)にあるStatista GmbHのデータ・ジャーナリスト(data Journalist)のカタリーナ・ブッフホルツ(Katharina Buchholz)の報告として2022年02月28日に、ロシアのウクライナ攻撃は、全世界で非難されたわけではない。

では、どこが反対し、どこが中立で、どこが応援しているか?

https://time-az.com/main/detail/76341

ヨーロッパとアメリカ大陸のほとんどの国が、ロシアのウクライナ侵攻を非難しているが、アジアとアフリカではもう少し複雑な様相を呈している。

Wikipediaがまとめたメディアによると、2022年02月28日月曜日の夜までに、日本、韓国、台湾、シンガポール、フィリピン、ブルネイ、インドネシアだけが、この攻撃に対して声明を出している。

多くのアジア諸国、中でも発展途上国のインドと中国は、今回の危機において中立を保つという綱渡りを試みている。

中国はロシアの主要な同盟国であり、ロシアが金融の流れを維持するために頼りにしている国でもある。
中国は、フランス、日本、ドイツに次いで、ロシアの中央銀行準備金の最大の外国人保有国である。

後者の国々とは異なり、中国はロシアの中央銀行やその他の金融の流れに対して制裁を加えるとは宣言していない。

中立を保とうとする多くの国々と同様、中国は外交を賞賛しているが、ロシアの動きを明白に侵略と呼ぶことは否定している。

同様に、インドのナレンドラ・モディ首相(Indian Prime Minister Narendra Modi)はプーチンに暴力を止めるよう訴えたが、同国を侵略国とは名指ししていない。

インドは武器の70%をロシアから購入しているが、中国に代わる国として確立したい米国とも密接な関係がある。

アジアでは、北朝鮮(North Korea)、イラン(Iran)、ミャンマー(Myanmar)が親ロシアの姿勢を示している。

ロシアは自国の主権を守るために行動している、とミャンマーの政権報道官は述べている。

また、ベネズエラ(Venezuela)、キューバ(Cuba)、シリア(Syria)、ニカラグア(Nicaragua)の指導者も同じ考えを持っている。中米のホセ・ダニエル・オルテガ大統領(José Daniel Ortega, the president of the Central American country)は、ロシアのプーチン大統領(Russian President Vladimir Putin)がウクライナ侵攻前に行ったように、分離主義地域のドネツク(Donetsk)とルハンスク(Luhansk)を独立国家として承認している。

アフリカでは、多くの国がこの問題に対して沈黙を守っている。また、この問題に関して国連のイニシアティブに参加したり、独自に事態を非難したりする国もある。また、外交と平和を呼びかける国もある。ヨーロッパでは、中立の立場をとっているのは、侵略に反対しながらも制裁を拒否しているセルビアと、親ロシアの立場をとっているベラルーシ(Belarus)だけである。

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毎日新聞は2022年02月27日に、ロシアの論理として、1968年に自由化政策としての「プラハの春」が始まり、チェコスロバキアに侵攻した際に、ソ連は制限主権論で、ワルシャワ条約5カ国(ソ連、東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア)軍のチェコスロバキア侵攻を正当化した。

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2022年02月21日にロシアが「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の独立を承認するとともにそれぞれの「人民共和国」と「友好、協力、相互援助条約」を締結した。

ロシアの理屈では、両「人民共和国」の憲法で、「ドネツク人民共和国」の領土はドネツク州全域、「ルガンスク人民共和国」の領域はルガンスク州全域と定められているから、ウクライナにドネツク州とルガンスク州はもはや存在しない。
両「友好、協力、相互援助条約」により、ロシアと両「人民共和国」は集団的自衛権を行使することができる。従って、ウクライナが不法占拠している「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の領土をロシア軍が「解放」しているのだと強弁している。

妹は、プーチンは頭がいいのは知っているが、紙一重を超えてしまったと言ってる。

わたしは、「そうだね。」と言った。

1969-12-28---チェコの「プラハの春」を指揮したドプチェクがソ連介入で失脚した。
1968-09-13---アルバニアがワルシャワ条約機構を脱退。
1968-08-22---チェコ人はソビエト連邦の侵略に抗議した!
1968-08-20---チェコの自由主義改革の鎮圧にソ連(当時)が侵攻した。
1968-01-05---自由化政策としての「プラハの春」が始まった。

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