『円錐』の原理
最近というか今年、
去年の自分と何が変わったんやろ、、、?
ってたまに考える事あって。
正直、何も変わってないなーって思うことばっかり。
でも探しに探した挙句
一つだけ自信もって言えること見つかったんで
あげときます。
自分の答えは、
柔軟に受け入れられるようになった事。
よってプラスに捉えられるようになった事。
これを考えとった時
ふと同時に頭によぎる事が、、、
何の授業の内容だったかは忘れたんですけど、
高校の数学の授業中に、話が少し逸れて
先生が黒板に円錐の図を書き始めたんですよね。
「これは円錐です。でもこの円錐を、
ある人は円。
ある人は三角形。
ある人は点も見える。と言います。
この3人の言っている事は間違いじゃありません、
それぞれ、下から、横から、上から見ただけ。
ただ見る角度が違うだけです。」
そして最後に
「これらをどう繋げて円錐へと連想させるかが大事。」
今やあの時の数学なんてほぼ覚えてないけど笑
この話だけはなんでか忘れません。
この話がどう繋がるかって?
今までの自分なら
「私」は円錐だ!と思ってて
他の人から
お前は円だの三角形だの点だのって言われたら
え、違うんですけどって思ってた。
だけど、それはその人なりの角度や視点や立場で
「私」を見るとそう見えてるって事。
それがすべてじゃないけど、一部ではある。
「私」にはそうゆう要素が少なくともある。
むしろ、「私」からはどう頑張っても見えなかった姿。
それらをいかに繋げて
「私」という円錐を作り上げていくかが大事って事。
に気付けました。
そう考える事で、
人から言われる事を
素直に、柔軟に受け入れられるようになりました。
逆を言えば、
ある1人の人から見えている「私」というのは
本当の「私」の中の一部分であり、すべてじゃない。
例えば、「期待してたのに。」って言葉、
その人が勝手に「私」のことを高望みしてただけ、
「私」の一部分だけを見て。
そう考える事で、
気持ちがすごく楽になるのは自分だけかな?
なんてゆうか、、、
その人が見えている「私」というのは
その人の枠組みの中の「私」であって。
その枠組みの中だけで生きていくのは嫌ってゆうか。
その型にはめられたくないってゆうか。
そんな感じです。
こんな語彙力しかないけど伝わってくれ〜〜。
そう考える事で、
理不尽なこと言われたとしても
別に落ち込む事はなくなったし、
むしろ吹っ切れて
プラスに捉えられるようになりました。
この考え方をできるようになった事が
自分が去年より成長したことかな〜て思います。
円錐の話された当時はただ、
うんそうだね。くらいの
感じでしか思ってなかったと思うけど、
今振り返ると、すげぇ深いなって思う。
ちなみにこの話、
『円錐』の原理と名付けました(勝手やしダサい笑)
あっ、もうお気付きかもしれませんが、
別に円錐じゃなくて
円柱でも四角錐でもなんでもいいです笑
ただ数学の先生が円錐を例にしただけなんで。
で、、このことを文字にしたのは初めて。
頭で考えてる事を
言葉に置き換えるってやっぱ難しいね。
って改めて感じました。
こうゆう考え方ができるのも自分の財産なんやな〜
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