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そのあぎとが見えるか
はじめに骨組みが歪んだ。
赤いさび止め塗料がぼろぼろと剥がれ落ち、クレーンの骨組みが歪んでいく。曇り空がまた一段、薄暗さを増した気がした。僕も、周りの連中も、強風に煽られて立っていることができず床に這いつくばる。
錆び付いたドアを開くような音が鼓膜に殴り掛かってきた。クレーンの金属があげるその悲鳴が辺りを打ち据え、誰もが耳をふさぐ。
クレーンは泣き、暴れ、歪められていく。いつだかテレビで見たシーンのようだ。ガゼルか何かがライオンに首を噛まれ、大地に引きずり倒されるあのシーンだ。
骨すら揺さぶられる鉄の破壊音がいやましに高まり、ついに弾けた。軽く、しかし重々しい、鉄がちぎれる音。その音と共にクレーンジブをなす鉄骨が一本、また一本と破断していく。
まずい、落ちる。
咄嗟の想像が脳裏を過ぎる。赤い鉄骨のトラスが百数十メートルを落ちていき、下で逃げ惑う人々を押し潰す光景が。
だがそうはならなかった。
空はますます暗い。風は強く、誰もが床に押し付けられている。クレーンのコクピットで運転手が泣き叫んでいる。両手で強化ガラスを叩き、何かを喚きながら。
ちぎれたクレーンは消えていった。忽然とではない。ゆっくりと。曇天に溶けるように消えていった。そしてその消失すら無音ではなかった。その音に背筋が泡立ち、膝が震えはじめた。あまりにも耳に痛く巨大なその音は、しかしどうしようもなく聞き覚えがあった。それはまるで、蕎麦を啜るような擦過音だった。
無残に捩曲がったクレーンが、消えて行った半身を求めて虚空に手を伸ばしている。その手もまた啜り上げる音とともに消えていく。消失はなめくじが這うようにゆっくりと、しかしカマキリの腕のように素早くクレーンを飲み込んでいく。
その時はじめて、運転手が泣き叫んでいる理由に思い当たった。
湿り気のある音と、落雷の音。その後、雲が晴れて風は止んだ。
屋上から突き出ていたクレーンは、跡形もなかった。
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